2025年2月 2日 (日)

国道33号を東に歩き続けると、高知駅に続く大通りと交わります。その一角にあるのは、高知の名所のひとつ「はりまや橋」。高知市のシンボルとして知られる朱色の橋で、その周辺は公園として整備され、休憩スポットにもなっています。ただ、昨年10月から今年3月8日(土)までは復旧工事のため、朱色の橋は見られません。見物にこられた観光客からは、残念がる声も聞かれました。
0005(はりまや通りをまっすぐ北に進むと、1キロほどで高知駅に着く)
0006(本来なら朱色の美しいこぢんまりとした橋がかかっている)
0007(アンパンマンのキャラクターは、日本だけでなく世界の子どもたちから愛される)
1000(高知駅に着くとすぐにアンパンマンがお出迎え)

(武蔵)

前夜祭会場となった「城西館」から対局場までは、国道33号をまっすぐ東に進んで約2キロほどの道のりです。道中には土佐を代表する偉人の出生地がありました。

0001_2(坂本龍馬の生誕地近くにある記念館)
0002(坂本龍馬誕生の地)
0003(記念碑。毎年11月15日は龍馬誕生祭が催される)

(武蔵)

202502026716時を回って、藤井棋王の残り時間が1時間を切りました。上図▲7五銀は46分の長考で指されました。△4四飛には▲同角△同角に▲6四歩が感触のいい突き出しになります。増田八段は、ほとんど時間を使わずに△5四飛と途中下車しました。再び藤井棋王は手を止め、5分を消費して▲7九玉と手を渡しました。玉を安全にしながら▲6九飛を見せて、後手の動きを誘っています。

Img_6415(16時頃、1階中央後部からの大盤解説会)
Img_6414(舞台には島井女流二段の師匠でもある森九段の姿があった)

(武蔵)

15時を回って、午後のおやつの時間になりました。藤井棋王は窯出しチーズケーキ、ごっくん馬路村。増田八段は「ぼくらはみんないきている」と土佐文旦クリームチーズタルト、土佐山ジンジャーエール辛口。「ぼくらはみんないきている」は、アンパンマンの作者である、やなせたかし氏をモデルにした連続テレビ小説放送を受けて作られた、アンパンをイメージしたまんじゅうです。
20250202img_6402(藤井棋王の注文はスフレタイプのチーズケーキ)
20250202img_6407(増田八段の注文。文旦も生姜も高知名産品のひとつ)
20250202img_6410(ぼくらはみんないきている、は童謡・唱歌の「手のひらを太陽に」の一節の名を冠す。作詞はやなせたかし氏が作詞した)

(武蔵)

13時から現地大盤解説会が始まりました。会場の四国銀行ホールは、コンサートやオペラ、日本舞踊に至るまで和・洋を問わず、さまざまなプログラムに対応できる多機能ホールです。総席数は1000席を超え、事前に用意された600席のチケットは、すでに完売しています。
Img_6388(スクリーンに盤上や対局室の模様を映し、2階から大盤を見下ろす)
Img_6396(佐藤天九段)
Img_6390(島井女流二段)

(武蔵)

2025020256昼食休憩明けの△7五歩から、▲6六歩△8四飛▲6五歩△4四歩▲6六銀△4五歩▲同歩(下図)と進みました。
2025020263後手は桂得、先手は持ち歩の多さが主張となります。▲4五同歩のあとは、△7六歩▲7五銀△8一飛に▲6四歩や▲7四歩が狙い筋です。▲7五銀のほかに▲4四歩と伸ばして、△3二金なら▲2二歩という厳しい追撃もあります。局面は中盤の難所。互いの主張がぶつかりました。
Img_6369
(武蔵)

高知県で男性棋戦のタイトル戦は、名人戦と棋王戦が指されています。初めて開催されたのは1978年の第36期名人戦七番勝負第4局。本局の立会人を務める森けい二八段が、中原誠名人に挑戦しました。
棋王戦ではこれまで、1995年の第20期五番勝負第1局▲森下卓八段-△羽生善治棋王戦と、2004年の第29期五番勝負第1局▲谷川浩司王位-△丸山忠久棋王戦が指されています。高知対局は▲谷川-△丸山戦以来、21年ぶりの開催です(段位・肩書は対局当時のもの)。
1002(高知までの道中、車窓から大歩危峡を望む)

(武蔵)