2025年3月

2025年3月 2日 (日)

対局室には先に増田八段が戻り、数分後に藤井棋王が入室しました。一礼して再び駒を並べ、16時31分に森内九段が指し直し局の開始を告げます。増田八段は残り時間が約2時間で藤井棋王より1時間多く、さらに先手番を得て有利な状況になりました。藤井棋王は決断よく指すことが求められます。

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千日手が成立して藤井棋王が駒を片づけると、記録係の吉田三段が指し直し局の開始時刻と残り時間を両対局者に伝えました。藤井棋王と増田八段はいったん対局者控室で休み、指し直し局に備えます。

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Kiou20250302010196棋王戦第3局は16時1分、96手で千日手が成立しました。消費時間は、▲藤井3時間10分、△増田2時間2分(持ち時間は各4時間)。

指し直し局は30分後に行われます。先後は入れ替え。藤井棋王が残り1時間になるように、両者の残り時間に10分が追加されます。

【指し直し局の中継ページ】
http://live.shogi.or.jp/kiou/kifu/50/kiou202503020102.html

(牛蒡)

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15時半過ぎ、控室がざわめきました。検討陣は桂得の後手がペース握っていると見ていたため、図から△3四飛▲3五歩△3三飛▲4四角成△4一歩▲5五歩△4三飛▲5四馬△同金▲同歩という順を検討していました。森内九段は「後手がいいとは思うんですが、▲4四角成の局面でいい手が指せるかどうか」。森内九段が示した△4一歩の底歩は飛車を切る順に備えていて、決戦になれば生きてきます。

しかし、実戦は増田八段が図から△4一飛と引きました。これは▲2六角成△4四角▲同馬△同飛▲7一角……と進むと千日手模様です。森内九段はすぐに関係者に声をかけて対局規定を確認し始めました。

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15時、午後のおやつの時間になりました。藤井棋王はアイス抹茶ラテとアップルジュース、増田八段は「ピスタチオとレモンのチーズケーキ」とアイスミルクティーを注文しています。

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午前中に飯島八段、伊藤女流初段、武富女流初段の3人は新潟市内を観光しました。今回のお目当ては新潟のソウルフードです。万代シテイバスセンターを訪れ、まずは「バスセンターのカレー」を注文。懐かしい色合いのカレーはとんこつスープがベースで深いコクがありつつ、しっかりとスパイスが利いています。2階に上がって万代シテイのPRキャラクター「ばんにゃい」のお出迎えを受け、続いて挑戦したのは「イタリアン」です。焼きそばにトマトソースをかけた地元料理で、飯島八段によれば「家庭の味」。まろやかなトマトソースと香ばしい焼きそばの組み合わせが新鮮でクセになる味でした。

新潟は日米修好通商条約の開港五港に数えられる新潟港があり、外国の食材や料理が浸透する下地がありました。今回堪能した「バスセンターのカレー」と「イタリアン」には、そうした新潟の歴史が垣間見えました。

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新潟グランドホテルの近くを流れる信濃川沿いを歩くと、萬代橋が見えてきます。3代目となる現在の萬代橋は1929年に架け替えられたもので、国の重要文化財に指定されました。新潟市の街のシンボルとして親しまれています。

午前中には萬代橋を望むロケーションで飯島八段と武富女流初段がABEMAの中継に出演。棋王戦にまつわるクイズを出題しました。「50期で新潟対局は何回行われたか?」「初めて棋王戦が新潟で開催された第4期五番勝負の挑戦者は米長邦雄八段。当時の棋王は?」「立会人の森内九段が棋王戦五番勝負に登場した回数は?」というもの。答えは順に44回、加藤一二三棋王、3回。森内九段は第25期と第31期に棋王挑戦、第25期は羽生善治棋王に1勝3敗で敗れましたが、第31期は3勝1敗とリベンジを果たして棋王初戴冠を決めました。第32期は佐藤康光棋聖の挑戦を受けて失冠しています(肩書は対局当時)。スタジオには森内九段の弟子の野原未蘭女流二段がいましたが、最後の問題には答えられたのでしょうか。

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増田八段の師匠、森下九段は第20期と第22期に棋王戦の挑戦者になっています。当時のタイトル保持者は羽生善治棋王で、2回とも3連勝のストレートで防衛を果たし、挑戦者のタイトル獲得はかないませんでした。

新潟日報に掲載された観戦記をひもといてみます。1995年の将棋界は七大タイトル戦時代。六冠を保持する羽生棋王は残る王将位獲得に向けて谷川浩司王将への挑戦を決め、七冠制覇への期待が高まっていました。そうした状況で棋王戦の挑戦者に名乗りを上げたのが森下八段です(肩書は当時)。1995年3月10日の第3局が新潟で行われました。観戦記を執筆した池崎和記さんは、ファンだけでなく棋士の間からも七冠王誕生を望む声が出たとき、「真っ先に不快感を示したのが森下だった」「棋士はこうでなくてはいけないと思う」と記しています。

若き絶対王者に気鋭の棋士が挑戦する構図は、八冠独占を成し遂げ現在も七冠を保持する藤井棋王と増田八段が争う今期の五番勝負と重なります。対局を見守る森下九段も、増田八段に昔の自分を重ねているかもしれません。

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現地では13時から大盤解説会が始まりました。事前申し込み制で受付は締め切り済みです。ゲストとして森下九段が出演し、場を盛り上げていました。本局は増田八段の深い研究に目を奪われがちですが、増田八段の指し手のペースが落ちていないということは、藤井棋王も時間を使ってはいるものの最善に近い対応を続けていると推測できます。こうした水面下の戦いを解説した飯島八段は「さすがですね」とうなっていました。

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昼食休憩の終わり際、対局室には藤井棋王が先に戻り、増田八段があとから続きました。13時に対局が再開されると、増田八段は一呼吸置いて盤上に手を伸ばします。昼食休憩前の16分を除けば、ほとんど時間を使っていません。どこまで研究通りなのでしょうか。

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