吉田将棋碁盤店・三代目、吉田寅義氏より、本局で使用される将棋盤が贈呈されました。
吉田将棋碁盤店・三代目、吉田寅義氏
「宮崎県日向産の本かやの7寸盤(天地柾)。これは35年前に師匠が購入した材を盤にしたもの。昨年、とちぎ将棋まつりや宇都宮将棋フェスタで盤作りの実演依頼があり、関係者の将棋道普及に傾ける情熱に感銘を受けました。その活動に心打たれ、何か私にも一つくらいできるものはないかと考え、将棋盤を寄贈しようと思い将棋盤を作成しました。栃木県での対局に使用していただけるとのことで、仕事冥利に尽きます。末永くご愛用ください」
如水委員長の御礼の言葉
「昨年、吉田さんがこちらにお越しいただいたときに、このような話をいただいたときには、まさか本当に作っていただけるとは思っていなくて、本当にありがとうございます。目がきれいな盤です。これだけ素晴らしい盤はなかなかありません。これから栃木で行われる対局で大切に使わせていただきたいと思います。ありがとうございます」
続いて両対局者から、明日の対局に臨む決意表明。
久保棋王
「去年は餃子をお腹いっぱいになるほど食べて、食べ物がおいしい街だなと思います。前日には体を休めて、準備したものをぶつけたい。明日からの第4局、昨年と違うのは第4局と第1局ということで、勝負の度合いは違いますが、明日からの対局も将棋の一局には変わりありませんので、明日は全力を傾けたい。棋士は素晴らしい棋譜を残すことですので、それを約束して明日の対局を望みたい。将棋のイベントもありますので、楽しんでもらえるとうれしい」
郷田九段
「栃木県はプライベートで日光に行ったり、対局で佐野市で対局したことがあります。私たちプロ棋士は盤上で、将棋の面白さ楽しさを対局を一生懸命することで示すが務めです。自分なりに精いっぱい頑張ります」
最後に立会人の加藤九段から対局のみどころが、およそ20分熱く語られました。
加藤一二三九段
「去年の将棋まつりは楽しくすごしました。えっと、話が長くなるかもしれません。
思うんですけど、去年は米長さんとの席上対局で負けたんですけど、今年の1月2日に巨匠対決というNHKの番組が企画されたんですけど、それは将棋まつりの往年のライバル対決にヒントを得たのかなと思います。米長さんが私の矢倉に、いわゆる勝ちを目指す指し方をされて、負けたんです。巨匠対局は振り駒の結果、後手になったんです。先手になったら、将棋まつりのときの指し方が来ると思ったんです。率直にいうと、米長さんの矢倉対策にはっきりいって困惑していたんです。
しっかりと作戦勝ちできる自信がなかった。
でも、振り駒の結果、後手になった。後手番になった途端『今日の将棋は勝てる』と思ったんです。
面白いのは、普通棋士は先手番を希望するんです。戦いやすいですから。
後手番になったときに勝てると自信を持ったのは初めての経験で、実は私の予感は的中いたしました。
引退した米長さんが先手の矢倉で、羽生さんやバリバリの若手が指す本格的な矢倉を指してきたんです。おかしいなと思うのは、その矢倉は公式戦で私が何度も何度も勝ってきた作戦なんですよ。
正攻法で来たから勝てたということもあります」
「本論にいきまして、前3局を久保さんが後手のときはゴキゲン中飛車、先手のときは石田流でした。僕、思いますけど、明日は久保さんが先手でしょ。久保さんが先手ですから▲7六歩△3四歩▲7五歩なら石田流なんだけども、▲7六歩△3四歩▲6六歩はどうかと思ったんですよ。
というのは、いろんな将棋を見ているんですけど、かつて昭和46年に大山-升田の名人戦があって、初めて石田流が大きな勝負で出たのがその名人戦なんです。
升田さんが負けたんですけど、いまの若手は石田流を指しこなしますが、升田さんは3勝2敗とリードしながら石田流を使って負けてしまいました。対局もほとんどいいところがなかったと思います。
久保さんが▲6六歩なら郷田さんはどうやるんだろうと思いますね。石田流で互角ならいいんですけど、調子が悪いなら、顔を洗って出直すくらいがいいんじゃないかなと思っています。石田流で指した第2局は内容的にいいところがなかったですから」
「(▲6六歩にはどこに飛車を振るのでしょうかの質問に)私は久保さんが六段くらいのときに四間飛車で負けています。なので、四間飛車にされるんじゃないでしょうか。郷田さんが棒銀に来ても戦えるはずですので。石田流は大きな舞台で続くとは思わないので、ここは発想の転換です。
また、話が変わりますが、かつて大山名人と中原挑戦者の名人戦、昭和47年の名人戦、居飛車の中原、振り飛車の大山の戦いで中原さんが2勝3敗で負け越していたんです。そこで中原さんが何をしたかというと、飛車を振って作戦を切り替えて勝ったんです。一生懸命やっても勝てなければ作戦を変えなければいけません」
「棋王戦ですよ棋王戦。私、第2期棋王戦では幸い3連勝できてタイトルを取りました。大内さん(大内延介九段)に3連勝だったけども、スレスレの勝負でしてね。
2連勝したときに、次に負けて1勝2敗になったら大内さんの調子が非常にいいので危ないと思って指しました。第3期は中原さんの挑戦を3連勝で負かしました」
「名人になったのは42歳です。気持ちの上では、当時よりもいまの方が努力しているんですよ。努力しているから即勝てるかといえばそうではないんですけど。
私は1300勝して、中原さんが2・3勝上で歴代2位の記録を持っていますが、それを抜くかどうかなんて論外で。論外というのは全然僕は何の関心もないということです。
こういうと若手の棋士がものすごく闘志を燃やしてくると思うんですけど、はっきり言って勝ち星の記録の更新は興味も関心もない。
これからは何か一つ優勝したい。タイトルを目指したいと思っています。そういう気持ちでいます」
※文章書き起こし=銀杏記者
(八雲)