2014年2月22日 (土)

天正11年(1583年)、前田利家の手によって金沢城の本格的な城作りが始まった。その後、火災による焼失と再建を繰り返して今に至る。二の丸の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(写真3枚目~9枚目)は入館可。石川門(写真10枚目~12枚目)は重要文化財に指定されている。

Img_4331

Img_4292_2

Img_4296_2

Img_4299

Img_4302

Img_4305

Img_4307

Img_4310

Img_4320_2

Img_4324

Img_4327

Img_4330

(文)

北國新聞会館横には創刊者・赤羽萬次郎の言葉が刻まれた記念碑がある。百回忌を記念して作られた。「公平を性とし誠実を体とし、正理を経とし公益を緯とす、わが北國新聞は超然として党派外に卓立す」という発刊の辞は、今も社是として受け継がれている。

Img_4195

Img_4196

Img_4197

対局場の近くには加賀藩藩祖前田利家を祭った尾山神社があり、鳥居の奥に見えるステンドグラスが特徴的な神門が目を引く。この神門は1875年に建てられたものだ。境内には前田利家の像が置かれている。

Img_3934

Img_3939

Img_3944

Img_3946

Img_3953

Img_3954

Img_3958

(文)

20140222b

渡辺棋王の指した△7二玉(図)が珍しい手で、実戦例が少ない。数だけで言えば代えて△9九馬が圧倒的に多いところだ。山崎八段は「渡辺棋王が過去の手を拾い上げた」と話す。これまで主流にならなかったことにはそれなりの理由があるのだろうが、渡辺棋王はその先を見通しているのだろうか。対局室では三浦九段が頬に手を当て、じっとうつむいている。その姿は、過去の変化を思い出そうとしているようにも見える。

Img_4286

Img_4287

(文)

金沢は16世紀、本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」を置いたことに始まる。江戸時代には100万石を超える加賀藩の城下町として栄えた。当時は江戸、大坂、京都に次ぐ大都市だったと言われている。第二次大戦中も戦災に遭わなかったことから、市街には歴史的な町並みが残っている。

Img_4193

Img_3948

(文)

20140222a

後手番を持つ渡辺棋王の作戦は、意表のゴキゲン中飛車。今週行われた王将戦七番勝負第4局でも採用したが、羽生善治三冠に敗れている。対して三浦九段は、超急戦と呼ばれる変化に誘導。これに渡辺棋王が△5六歩(図)と応じて、いきなり戦いに突入した。序盤、中盤を飛ばしていきなり終盤に飛び込む、数ある戦型の中でも苛烈を極める形だ。しばらくの間「振り飛車有利」とされていた形だが、最近は居飛車に有力な手が出て流れが変わっている。最前線の戦いに注目だ。
棋王戦の金沢対局では、2011年に行われた第2局、▲渡辺明竜王-△久保利明棋王戦(肩書きは当時)でも超急戦が登場している。本局がこの形になったのも何かの縁なのかもしれない。

(文)