金沢城公園 天正11年(1583年)、前田利家の手によって金沢城の本格的な城作りが始まった。その後、火災による焼失と再建を繰り返して今に至る。二の丸の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(写真3枚目~9枚目)は入館可。石川門(写真10枚目~12枚目)は重要文化財に指定されている。 (文)
「地方は与論の本なり」 北國新聞会館横には創刊者・赤羽萬次郎の言葉が刻まれた記念碑がある。百回忌を記念して作られた。「公平を性とし誠実を体とし、正理を経とし公益を緯とす、わが北國新聞は超然として党派外に卓立す」という発刊の辞は、今も社是として受け継がれている。
尾山神社 対局場の近くには加賀藩藩祖前田利家を祭った尾山神社があり、鳥居の奥に見えるステンドグラスが特徴的な神門が目を引く。この神門は1875年に建てられたものだ。境内には前田利家の像が置かれている。 (文)
過去の手に光を当てる 渡辺棋王の指した△7二玉(図)が珍しい手で、実戦例が少ない。数だけで言えば代えて△9九馬が圧倒的に多いところだ。山崎八段は「渡辺棋王が過去の手を拾い上げた」と話す。これまで主流にならなかったことにはそれなりの理由があるのだろうが、渡辺棋王はその先を見通しているのだろうか。対局室では三浦九段が頬に手を当て、じっとうつむいている。その姿は、過去の変化を思い出そうとしているようにも見える。 (文)
加賀百万石の町 金沢は16世紀、本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」を置いたことに始まる。江戸時代には100万石を超える加賀藩の城下町として栄えた。当時は江戸、大坂、京都に次ぐ大都市だったと言われている。第二次大戦中も戦災に遭わなかったことから、市街には歴史的な町並みが残っている。 (文)