藤枝明誠・棋道部には有名な顧問がいた。加藤女流王座の父親である故・加藤康次さんだ。84年に国語の教師として赴任して藤枝明誠高校を全国クラスの強豪に育てあげた。普及面での貢献も大きく、高校将棋女子選抜大会の創立・運営は康次さんの存在なしには語れない。
プレーヤーとしては安恵照剛八段の門をたたき、75年から1年ほど奨励会に在籍した(加藤女流王座も安恵八段門下)。亡き父が果たせなかったプロ四段の夢は加藤女流王座が引き継ぎ、現在は奨励会1級で戦っている。
加藤女流王座と康次さんのエピソードは将棋世界2011年12月号や2012年1月号に詳しい。以下、12月号から加藤女流王座の言葉を紹介する。当時は第1期五番勝負出場を決めた直後だった。
「奨励会に入ったのが小学校6年生のときなのですが、私がガンコで戦法のことでちょっと言い合いになったときには、あんまり言うことを聞かないもので、素直になれって、生涯ただ一度のビンタをされた思い出があります。父も負けず嫌いで、研修会のときには毎回結果の報告をしていたのですが、負けた報告をすると私以上に悔しがって、勝った報告をすると私以上に喜んでくれました」
藤枝明誠のHPには前期の加藤女流王座誕生の記事も掲載されている。
【加藤桃子女流王座誕生!!】
http://www.fgmeisei.net/topics/2011/121220111212-1.html