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2009年5月 7日 (木)

木村八段の勝負術

Dsc_0035  当初、昼休み後指された△6二飛を見て、真田七段は、「うーん、これはですね。」と切り出した。

「これは、木村八段が(局面が自分にとって)余り良くないと感じたのでしょうね。あくまでも僕個人の感想なので、終局後の感想戦で聞かないとわかりませんが・・・。」
 以下かいつまんで説明をすると、こういうことだ。

 稲葉四段がここまでの局面を研究しているだろうことは、木村八段も承知の上であろう。そして、相手は研究した結果、当然自分の方が有利と考えたから、実際にその手を指した。では、ここから先に待ち受ける、その確信となる根拠はどういった手順または局面なのか?そこが分かれば対処のしようはある。持ち時間を割いて考える、ということは、そういうことらしい。しかし、限られた時間の中、全てを読みきることは困難である。そこで、自分自身の中で形勢判断をし、決断をしてゆくことになる。その時の形勢判断が、どうも良くない、ということになれば、勝つために、相手に対してどのようにプレッシャーをかけてゆくか考えなければならない。即ち、研究上での確信に揺さぶりをかけ、言い方が悪いが、間違え易くする状況をつくってゆく。勝つということの大変さを身にしみて感じているプロ棋士ならではの術だろう。

 この局面においても、一見すると△5二飛か△7二飛が自然だ。△6二飛は、玉の退路を塞ぎ、指しにくい手である。その手を敢えて指すということは、相手の読みを大きく外すことにある。稲葉四段にいろいろな選択肢を与え、範囲を広げることで、気を使わせると同時に時間も使わせようという、勝負術である、とのこと。例えば▲2四飛△2三歩▲3三歩成△同桂▲5四飛△同歩▲5三銀(参考図)などとした時、△5二飛としていれば、こういう手順は成立しないわけだ。稲葉四段は、こういった手順も選択肢の一つとして、考慮に入れるであろうから、読みの範囲を広げなければならないと同時に、指しにくい手を敢えて指した木村八段の根拠は何か?といったことも当然考えることになる。敢えて誤解を恐れず言えば、純粋に指し手としては最善手ではないかもしれないが、その時の状況などを踏まえた包括的な判断の結果、最善手が最善でないということだ。

001 しかし、実際はそうでなかった。43手目の稲葉四段の約1時間にも及ぶ長考中、△6二飛の手に対する評価は、徐々に変容してくる。もちろん、木村八段特有の勝負術であることは間違いがないのだが、「これは、なかなかの手。」「先手が攻めをつないでいくのが、大変。」、一同今度は先手側を持って、何かないか?と検討している。潮目が明らかに変わった。木村八段の指し回しに感嘆している。

 真田七段は、「昼休明け、すぐに木村八段が△6二飛を指していることから、恐らく読んでいる時、或いは昼休み中か、この一連の指し手に自信を感じ取っていたと思います。一方の稲葉四段もこの△4四銀までは、研究対象外だったと思いますし、ここまでは、なかなか研究できなかったと思います。」

 ▲8三歩までの手順は、稲葉四段の研究による誘導だったとは言え、木村八段は、相手の懐に飛び込んでいった。しかし、その中で、相手の読みを覆す手を捻り出したことは、木村八段が貫禄を示した形と、今のところなっている。

 午後3時頃、別の対局の合間に控え室にやってきた野月七段、長岡四段などやって来ては、「(先手)辛そうですね。」。

 先ほど、対局室に入った勝又六段曰く、
「木村君、ぼやいているよ。」
「何て、ぼやいているんですか?」
「『そうか~、そうかぁ。』なんて、ぼやいていたよ。」
どうやら、木村八段がぼやいているときは、優勢を自負しているらしい。

研究と対極にあるもの

 さて、今日の対局に先立つ5月1日の対局(久保棋王対木村八段戦)で木村八段が勝ったことで、東京・将棋会館で行われることとなった。仮に、久保棋王が勝っていれば、関西将棋会館で行われる予定であった。ゴールデンウィークということもあり、1日の結果を受けての中継の準備は、何かと不自由があり、苦労はするが、連休明けに名人戦七番勝負第3局、そしてこの対局と、休みボケも吹っ飛ぶ大一番が行われることは、刺激的だ。

 実は、1日の19時過ぎ頃であろうか、さすがに久保棋王-木村八段戦の結果が気になった。関西将棋会館の御上段の間で行われてる対局はIPカメラによって、東京の事務所でその様子を見ることができる。丁度久保-木村戦を見ていた野月浩貴七段、佐藤和俊五段に形勢を尋ねてみると、どうやら木村八段の勝勢らしい。
佐藤(和)五段は、
「あとはどう決めるか?ということでしょうね。」
野月七段が冗談っぽく、
「Tさん(※筆者のこと)でも勝てますよ。」
実際に、アマチュアの私がこの局面を引き継いで勝てるか相当怪しいのだが、プロ的には、その差が逆転を呼ぶ状況でないことを意味している。勝負であるので、何があるか分からない。しかし、よほどでない限り7日は東京決戦となるだろうと思った。

 タイトル戦の番勝負や挑戦者決定戦などの一局が行われていると、事務所の一角で、棋士達がその対局を、ああでもない、こうでもない、と検討し分析し、その会話を聞きかじることができる。但し、棋士達の検討は、当然ながら、プロ同士で交わされるので、それについてゆく事は至難である。尤も、会話の処々に冗談が入ったりするので、理解できる、できないは別として、聞いていて飽きることはないだろう。

 昨今の情報通信技術の発達に伴い、他で行われておる対局が容易にリアルタイムで見ることがでるようになった。当然ながら、その対局は、複数の棋士の将棋頭脳によって、たちまち紐解かれてゆくこととなる。これは、梅田望夫氏の近著「シリコンバレーから将棋を見る」の中でも度々現れるキーワード「知のオープン化」作業である。この「知のオープン化」作業自体が、珍しいことではない。棋界では、以前から至極当たり前に行われていたのだが、そのスピードがポイントだと言える。加速化に、情報通信技術の発達が明らかに加担した。それに呼応するかのように、棋士達の将棋の研究は、細分化されてゆくこととなった。時として、こんな局面までも定跡化されているのか?と驚くことがある。それは、ある意味で情報通信技術の賜物かもしれない。

 一時期、パターン化された多くの定跡、それも超ミクロレベルでの研究がなされ、それらをどれだけ自分の引き出しに入れておくことができるか?といったことが勝敗を決める大きな要素であった。当然のことであるが、勝負に勝つためには、いかに効率の高い手を追求することができるかにある。これら効率を追求する弛まぬ努力とその結果によって、今日が在るわけであるが、ここ数年の現代将棋では、ある種のパラダイムシフトが起こっていると感じる方も多いと思う。

 再び梅田氏の「シリコンバレーから将棋を観る」からの引用になって恐縮であるが、第一章の中の「盤上の自由」という項目の中で、

"羽生に現代将棋の本質について尋ねるとき、決まって彼が語るのは、つい最近まで「盤上に自由がなかった」ということである。それをはじめて聞いたとき、私は「あれっ」と思った。なぜなら将棋を指すときに私たちは、ルール違反さえしなければ、盤上でどんな手を指したってかまわないからだ。盤上の自由とは、将棋というゲームに、おのずと内包されたもののはずである。"(※梅田望夫著「シリコンバレーから将棋を観る」29頁から引用)

と書いている。非常に微細且つ深い研究により、終盤に至るまでの徹底した定跡化をしていった結果の反動なのか、ある意味その成果物かもしれないが、いつの頃からか序盤の数手に嘗ての常識では考えにくい手があらわれるようになった。これには、様々な要因や経緯があってのことではあることは言うまでもないが、序盤数手のバリエーションが増え、そういった棋譜が増えたことは確実に言えるであろう。

 一般的に、将棋を初心者に指導するとき、まずは、大駒(角や飛)を有効に使うために角道をあけましょう、もしくは飛車先の歩を突きましょう、と教える。それが定跡である。ややもすれば、それ以外の手を指すと叱られかねない。しかし、現代将棋では、それを覆す。序盤早々に端歩を着き越してみたり、いきなり飛車を3筋に振ったり、角交換してわざわざ一手損までしたりする。いずれも棋理に反している。否、少なくとも少し以前までの棋理にと書いた方が良いだろう。今や、これらの指し手や作戦を頭ごなしに否定するプロ棋士はいない。つまりは、序盤の指し手の選択肢が格段に増えている。後手番の勝率が昨年度、先手番の勝率を上回ったことも、これらに少なからず起因すると考えれる。もちろん、プロの場合、高度な勝負の駆け引きが、そこに介在する。しかし、一昔前のように、戦法も典型的に、「これは、○○戦法。」と区分けすることすら困難になっている。そして、呼応するかのごとく、純粋な居飛車党、振り飛車党が少なくなって、その両方を使い分けてゆくという時代になっている。

 しかし、その対極とも言えるのが、本局なのかもしれない。研究した将棋の中で、戦いを挑み、それに受けてたつ。これも、また将棋を観ることの醍醐味の一つであることに相違ないだろう。いわゆる隠された表層に出てこない部分での葛藤やらが沢山あり、それらが螺旋状にからまって、勝負がある。木村八段の△6二飛から△4四銀、それに対する稲葉四段の長考がそれを物語っている。実際の勝負とは、実に深い。

師弟

Dsc_0036  5月7日、8日と名人戦第3局が広島県福山市で行われているが、その副立会として井上慶太八段が赴いている。相前後する形となり、恐縮であるが、現地から、井上八段昼休局面でのコメントが入った。言わずもがな、稲葉四段の師匠である。
「稲葉くんの研究範囲の将棋になっていると思います。相手が受け師なので攻めが通じるかどうか・・・。次の一手は△5二飛だと思います。」

木村一基八段の非凡な一手

Dsc_0041  前掲図の39手で昼休となったが、控え室では、稲葉四段の研究に対してばかりが話題となっていたが、一方の木村八段もここで非凡な一手を昼休み明けに繰り出すこととなった。△6二飛!(図)この一手を見た、真田七段は、「ひゃー。」と声を上げた。なぜなら、6筋飛車がいわゆる「壁」となって、玉の退路を塞いでいるからである。

5 「どうなんだろう?」一同が首を傾げていたのだ、そう言っていた矢先、▲2四飛△4四銀!と進行した。
 この木村八段の4四銀によって、今までの稲葉四段の土俵で戦っていたと思われてた空気が、微妙に変化する。いわゆる「空気が変わった。」ようだ。この△4四銀に対して「雰囲気が出ています。」と真田七段。受け師としての面目躍如といったところだろうか。勝又六段は、「いよいよ木村ワールドだぁ~。」

 どうにもこの一手は、稲葉四段も想定外であっただろうとのこと。流石の稲葉四段もこの一手は研究外であっただろう。感想戦で、そのあたりは明らかになるだろうが、只管考え込むこと30分を超えた。控え室も、逆に先手はこの後どうするのか?ということを考えている。

驚愕した理由

2  控え室には、朝から真田圭一七段と勝又清和六段が継ぎ盤でこの将棋を研究している。39手目の▲8三歩は、なんとノータイムで稲葉四段が指した。これを見た真田七段「これは研究以外の何ものでもない!」。また勝又六段は「これは250%研究手順でしょう。」

 控え室では、△8三歩のところ、△同飛▲2三歩△2八飛▲4四銀(参考図1)を並べていた。一同、稲葉四段の8三歩に驚愕したが、何に驚愕をしたかというとこういうことだ。3

 ここの局面に至るまで、さまざまな葉脈のごとく変化があり、その一つ一つをとっても深い下調べが必要になる。棋譜には現れてこない指し手によって本手順が成り立っているとも言えよう。例えばであるが、戻って37手目の▲2四銀のところで、△2七歩▲同飛△4五角▲2六飛△2五歩で、プロ的には反撃の手筋がすぐに思い浮かび、そこから先、研究範囲として切り捨ててしまうのだそうだ。何が凄いかというと、そこから更に踏み込んで調べ、読みを入れているということなのだ。つまり、そこで、▲8三歩!(参考図4)という手を用意しているということ。この手は、31手目に▲7七角と打ったときからの稲葉四段の構想だったのかもしれない。控え室の真田七段、勝又六段ともに、稲葉四段が用意した指し手以上に、その点に対して驚きを隠さないわけである。4_2 Dsc_0037

前例

1  持ち時間が4時間のため、比較的指し手の進行が早い。すでに、開始から1時間しかたっていないが、既に駒がぶつかり合う局面となっている。戦型は、角換わりへと導かれた。しかも、この将棋は、前例が多く、25手目まで、今年に入ってからも、既に2局の同一型(王座戦:深浦康市王位対及川拓馬四段戦、棋聖戦:深浦康市王位対木村一基戦)が検索された。
 当然のことながら、両対局者は、お互いの研究範囲とばかりに指し進めている。それだけに、どこでどういった手を繰り出すか、即ちどこで前例から外れるかが、一つの見所となるだろう。

 図は、25手目であるが、ここでの大本命が△8六歩。昨年9月の王座戦(対小林裕士六段)で、稲葉四段が先手を持って指しているが、この将棋では、後手の小林裕士六段が△9四歩と指している。そして、先に記した今年の1月13日の棋聖戦(深浦王位対木村八段)では、後手の木村八段は、△1四歩と指している。果たして木村八段の次の一手やいかに?そして、対する稲葉四段の指し手は何か?

 先にも書いたとおり、この局面を研究しているであろうことは、共に薄々は感じているだろう。ただ、どこまで手を掘り下げて研究しているか?そこに敢えて飛込んでゆくことが得か損か?特別対局室の静寂の中、将棋盤を挟み対峙している二人の対局者の間で、表には表れないが、激しい勝負の駆け引きと心理戦が繰り広げられているのだろう。まずは、ここが一つの岐路と言えそうだ。

と金三枚で、先手は稲葉四段

Dsc_0012_2  本日の記録を担当するのが、望月陵二段。石田和雄九段門下で、今回産経新聞の観戦記を担当するのが勝又清和六段ということで、たまたま同門揃いとなった。その望月二段が木村八段側から歩を五枚とって振り駒を行った。結果は、と金三枚が出て、稲葉四段の先手が決まった。

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