木村八段の勝負術
当初、昼休み後指された△6二飛を見て、真田七段は、「うーん、これはですね。」と切り出した。
「これは、木村八段が(局面が自分にとって)余り良くないと感じたのでしょうね。あくまでも僕個人の感想なので、終局後の感想戦で聞かないとわかりませんが・・・。」
以下かいつまんで説明をすると、こういうことだ。
稲葉四段がここまでの局面を研究しているだろうことは、木村八段も承知の上であろう。そして、相手は研究した結果、当然自分の方が有利と考えたから、実際にその手を指した。では、ここから先に待ち受ける、その確信となる根拠はどういった手順または局面なのか?そこが分かれば対処のしようはある。持ち時間を割いて考える、ということは、そういうことらしい。しかし、限られた時間の中、全てを読みきることは困難である。そこで、自分自身の中で形勢判断をし、決断をしてゆくことになる。その時の形勢判断が、どうも良くない、ということになれば、勝つために、相手に対してどのようにプレッシャーをかけてゆくか考えなければならない。即ち、研究上での確信に揺さぶりをかけ、言い方が悪いが、間違え易くする状況をつくってゆく。勝つということの大変さを身にしみて感じているプロ棋士ならではの術だろう。
この局面においても、一見すると△5二飛か△7二飛が自然だ。△6二飛は、玉の退路を塞ぎ、指しにくい手である。その手を敢えて指すということは、相手の読みを大きく外すことにある。稲葉四段にいろいろな選択肢を与え、範囲を広げることで、気を使わせると同時に時間も使わせようという、勝負術である、とのこと。例えば▲2四飛△2三歩▲3三歩成△同桂▲5四飛△同歩▲5三銀(参考図)などとした時、△5二飛としていれば、こういう手順は成立しないわけだ。稲葉四段は、こういった手順も選択肢の一つとして、考慮に入れるであろうから、読みの範囲を広げなければならないと同時に、指しにくい手を敢えて指した木村八段の根拠は何か?といったことも当然考えることになる。敢えて誤解を恐れず言えば、純粋に指し手としては最善手ではないかもしれないが、その時の状況などを踏まえた包括的な判断の結果、最善手が最善でないということだ。
しかし、実際はそうでなかった。43手目の稲葉四段の約1時間にも及ぶ長考中、△6二飛の手に対する評価は、徐々に変容してくる。もちろん、木村八段特有の勝負術であることは間違いがないのだが、「これは、なかなかの手。」「先手が攻めをつないでいくのが、大変。」、一同今度は先手側を持って、何かないか?と検討している。潮目が明らかに変わった。木村八段の指し回しに感嘆している。
真田七段は、「昼休明け、すぐに木村八段が△6二飛を指していることから、恐らく読んでいる時、或いは昼休み中か、この一連の指し手に自信を感じ取っていたと思います。一方の稲葉四段もこの△4四銀までは、研究対象外だったと思いますし、ここまでは、なかなか研究できなかったと思います。」
▲8三歩までの手順は、稲葉四段の研究による誘導だったとは言え、木村八段は、相手の懐に飛び込んでいった。しかし、その中で、相手の読みを覆す手を捻り出したことは、木村八段が貫禄を示した形と、今のところなっている。
午後3時頃、別の対局の合間に控え室にやってきた野月七段、長岡四段などやって来ては、「(先手)辛そうですね。」。
先ほど、対局室に入った勝又六段曰く、
「木村君、ぼやいているよ。」
「何て、ぼやいているんですか?」
「『そうか~、そうかぁ。』なんて、ぼやいていたよ。」
どうやら、木村八段がぼやいているときは、優勢を自負しているらしい。