カテゴリー「梅田望夫氏、竜王戦第1局を語る」の記事

2008年10月20日 (月)

【梅田望夫観戦記】 (13) 羽生名人、大局観の勝利

 午後4時45分、終局間近との情報で、私は対局室に入った。そして午後6時15分の終局まで、あまりの緊迫感に嘔吐を催したために10分だけ控え室に戻ったが、それ以外はずっと両対局者を見つめていた。

 「負けました」

 渡辺竜王が投了する前の数手、「△6七銀で勝利を確信した」と対局後に語った羽生名人のそれから三手の指し手は、最後までふるえることはなかった。

 ずっとリアルタイムでお伝えしてきたように、控え室では「かなりの名局だ」と感動が渦巻いていた。にもかかわらず、感想戦での渡辺竜王は、「ぜんぜんダメな将棋だった」と反省ばかりを繰り返したのだ。

 それに私は驚愕した。羽生名人は、渡辺をいたわるような雰囲気を醸し出し「そんなことはないでしょ、こうやったらどうだった?」といった発言を、感想戦が終わるまで繰り返した。

 厳しい勝負を終えたわずか数分後に、羽生は「やさしい先輩」という雰囲気になった。

 

 一言で言えば、渡辺竜王は、

 「(12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る」の中で、佐藤棋王が言っていた感想

 『「いや、△6四角そのものよりも、△6六歩と取り込んで、△6七歩成って、それで△6九角のところ、ですかね。それが間に合うって感覚はちょっとないですね。それが感心するところです。(中略) でも、『(6七歩を)成って角(6九角)で大変』という感覚は、ちょっと持ち合わせてる人は少ないような気がします。」』

 と、ほぼ同じ主旨の感想を述べた。勢いよく▲2三角と打った渡辺の攻めに対する羽生の構想が、渡辺にはまったく思いもよらないものだったらしいのだ。

 『本譜の展開は意外でした。予想外で困りました。△6四角を打たれて、あまりにも手がないので唖然としました。なんかあると思ったんですけど、ここで手がない。弱りましたね。大局観が悪かったです。金打って(▲4三金)、角打たれて(△6四角)、何かあるだろうと思ったのに……。打たれてみて読んでみて、何もないんじゃひどいですね。打たれて困っているようじゃダメですね。ちゃんと読んでから指さなくちゃね。△6七歩成のときにもう悪いっていうのは、そのとき気づいていないんですよ。そこで気づいているくらいなら▲2三角なんて打たなかったわけだけど。▲2三角からの攻めに対してどういう攻め合いになるんだろうな、と思っていたんですよ。でも、6七歩を成って角(6九角)から徹底的に受けにまわられて全然ダメだなんて、考えもしなかったんですよ。』

 渡辺の切れ切れの発言をまとめるとこうなる。そして、感想戦の最後にさらにもう一度、渡辺は

 『でも何回指しても、角打っちゃう(▲2三角)なあ。』

 とつぶやいた。

 立会人の米長会長は「二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいのにねえ」と羽生に問うたが、羽生は「ふつうはそうですけどね……」と答えた。

 

 総括すれば、この将棋は、渡辺竜王が「二枚がえに成功してさらに飛車を成り込む」という望外の展開になったはずだったのに、「その展開で、必ずしも先手有利とは言えない」という大局観を持っていたのが、羽生名人ただ一人だった、ということなのだ。

 羽生は本局にのぞんで「パリらしく芸術ともいえる将棋を指したい」と抱負を述べたが、本局は、まさに羽生一人が作り上げた芸術だったと言えるのかもしれない。

 

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2008年10月19日 (日)

【梅田望夫観戦記】 (12) 佐藤康光棋王、現代将棋を語る

 午前中、渡辺竜王がこんこんと88分考えて65手目に▲7五歩と突いたわけだが、今度は羽生挑戦者が長考する番となった。70手目の△6六歩に84分考えた。いまは午後4時10分。終局は午後7時以降になるのではないかと予想されている。あと3時間以上、息詰まる勝負の時間が続いていくのだ。

 控え室では佐藤康光棋王と米長邦雄会長の局面検討が続いている。その会話のなかで「現代将棋の悪いところが(渡辺さんの側に)出ているのかもしれない」という声が聞こえてきたので、そんなことも含めて、佐藤棋王にインタビューを試みた。

梅田「現代将棋の悪さが出たかもしれない、とおっしゃっていましたね。」

佐藤「悪さというか、弊害が。穴熊にすると手数計算がしやすいですから、過信しちゃうところがあるんですよね。玉の堅さに、というか、まぁ、遠さですかね。(9九玉と8八玉で)一手違うんですよね。そういう将棋も結構多いんですよ。顕著な例では王位戦第五局とかね。これ(玉の堅さ、遠さ)で簡単に勝ちと即断することはありますね。現代棋士なら。」

梅田「現代棋士というのは?」

佐藤「渡辺さんは、まぁそうです。羽生さんは、どうなんでしょうね。でも、渡辺さんが後手をもって、今日の羽生さんのような戦い方はしないですから。まぁ、若手ならしないでしょう。渡辺さんは▲2三角と攻めていったわけですが、僕もこれが最善だと思いましたけどね。▲3五歩じゃなくて。私が先手でも、そう指しているような気がします。」

梅田「△6四角がいい手だという声が出ていましたが」

佐藤「いや、△6四角そのものよりも、△6六歩と取り込んで、△6七歩成って、それで△6九角のところ、ですかね。それが間に合うって感覚はちょっとないですね。それが感心するところです。まぁ、△6四角はしょうがないというか、もうこれは、考えたら捻り出すしかないんで。でも、『(6七歩を)成って角(6九角)で大変』という感覚は、ちょっと持ち合わせてる人は少ないような気がします。」

梅田「それは、羽生さんの感覚?」

佐藤「いや、どうなんでしょうね。おそらく羽生さんは、ちょっと序盤で失敗したような感じも抱いているかもしれない。これで負けたらしょうがないという感じでやってるのかもしれませんけど、他の棋士だったら自滅しちゃっていたかもしれない。▲2三角を打たれたときに、もうダメだと思うかもしれない。もっと自滅する指し方をしてしまうかもしれない。」

梅田「▲2三角以降、羽生さんは△6四角まで、ほとんど時間を使っていません」

佐藤「もともとなんていうか、そんなに間口が広い感じの展開の将棋ではないですから。あっちもこっちも、って感じではないので、ある程度、考えやすいかもしれませんね、中盤の局面は。細かい味付けをするのが難しい将棋なんです。渡辺さんは穴熊ですから、大味の展開を狙いたいんですよ。大味になればなるほど読みやすいし、いきやすいんですよね。だから羽生さんとしては、中盤でちょっと複雑な味付けなどしたい将棋なんですけど、あんまりそうなりそうな感じがなかった。細かいやり取りをする将棋に持ち込みたかったんですよね、羽生さんは。でも今(70手目)は、先手玉の周辺に微妙なアヤがありますから、そういう(細かな)展開になりつつある感じはあるかもしれない。」

佐藤「ただ、▲2三角で単純にわかりやすく勝てそうというのが現代感覚なんですね。ちょっと形勢判断を誤ってしまう可能性がある。今日の渡辺さんは……どうなんですかね? ちょっとウッカリがあって動揺した可能性はあるけど、ここから正しく指せば勝つとは思ってるかもしれないですし、わかんないです、そこは。でも、△8六歩、思ったより長考しなかったからですねー、羽生さん。ここは、けっこう長考するとこなんですけどね、本当は(苦笑)。考えなかったということは、やっぱり突き捨てられないと局面が単純化して負ける、と踏んだんでしょうかね。わかりやすく大味な展開になりやすいと。突き捨てたら、もう、しばらく受けに専念して勝つという展開にはなりません。どう味付けして複雑化させるか、というとこじゃないですかね。羽生さんは、あんまりいいと思ってる感じもしないです。」

梅田「両方とも難しい状態にあると?」

佐藤「渡辺さんは、まだいいと思ってるような感じもするんですけどね。ちょっと、わかりませんね。いや、やっぱり私は、後手持って自信ないですよ? そのうえ時間が残っていなければ、きついでしょうね。でも、羽生さんは時間が残っていますからね。現代将棋だと、玉が薄くて時間がなくて負ける、というパターンが多いです。今日は、薄いけど時間はありますから。そのぶんの良さは、羽生さんにありますよね。時間がなくて負けるという感じには、ならない気がしますね。中盤で時間を使わなかったのは、終盤に考える時間を残しておこう、一本道のところは考えたくなかった、そういうことなんでしょうね。」

 

以上のインタビュー原稿を文章にまとめるのに30分ほどかかったが、その間、一人で検討を続けていた佐藤さんは、「ちょっと羽生さんがいいかもしれない、という気がしてきました。わかりませんけれどね。」と言った。

 

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【梅田望夫観戦記】 (11) 昼食休憩、米長邦雄会長の局面解説

 昨日、佐藤康光棋王にお願いした、昼食休憩時点での「5級向け解説」と「初段向け解説」と「五段向け解説」が好評だったので、指導対局に出かけている佐藤棋王に代わって、今日は米長邦雄会長に、二日目昼食時点での「5級向け解説」と「初段向け解説」と「五段向け解説」をお願いすることにした。

 

「5級向け」

 現在の形勢は、渡辺竜王のほうが玉が堅くて、羽生名人のほうの玉がやや危ない状態。そこで△6四角と打って徹底的に守ろうとしたのが、羽生名人の強いところです。
 これによって5三の地点が堅くなったので、渡辺竜王は▲7五歩から攻めの方向を変えました。
 難しい形勢です。 

 

「初段向け」

 渡辺竜王が攻めて、羽生名人が受けている局面です。4枚の攻めなら指しきらない。3枚の攻めだと攻め切れません。龍と金の2枚で攻めている。持ち駒には桂馬がある。もう一枚、駒がほしい。

 そのためにですね、▲7五歩と突く手では、▲4五銀△同歩▲同桂、と桂馬を参加させる手も考えられた。

 また、単に▲4五桂と跳ねて、△同歩と取らせて▲4四歩とたらして、「と金製造株式会社」社長として、4枚の攻めを完成させることもできた。

 ▲4五桂打△同歩▲同桂として、やはり銀を取って4枚の攻めにしようということも考えられた。

 しかしいずれもうまくいきそうにないので、▲7五歩は、将来、7四歩という拠点を作ることによって、4枚の攻めを実現させるという手です。

 もうひとつ、先手は▲4六銀と▲3七桂の2枚を「自分で動かす」ことによって活用するか、それとも▲7五歩と突いて、手を渡して、銀と桂を「取らせる」ことによって活用するか。

 この局面はですね、羽生名人は、放置しておいてもたいしたことはない。ないんですが、次に▲7四歩と取り込まれ、△同馬ということになると、4六銀と3七桂を取ることができないという仕組みになっているわけです。

 

「五段向け」

 この将棋は戦いの焦点が5三の地点をめぐる攻防だったが、この局面から、今度は一転して7筋の勢力争いになってきた。7筋を制するものがこの将棋を制する。7筋をどちらが制するか。これによって優劣が定まるであろう。

 次の展開の一例をあげると、△4六馬が自然な手で、その後、お互いに7五の地点あたりをめぐっての勢力争いとなろう。そのあとは、▲7四歩△同銀▲6六桂がある。そこで、△4六馬ではなく、一発△6七歩とたたく手がある。▲同金直には、再度△6六歩と打つ。相手の▲6六桂の狙いを消すとともに、攻め合いで勝とうともしている。たとえば、これを▲6六同銀なら、△8六歩▲同歩△6九馬▲6八金引△同馬▲同金△8七歩でたちまちのうちに、後手勝勢となる。

 現時点は羽生持ちという気がします。


 

【梅田望夫観戦記】 (10) 記録係・中村太地四段の目

 ▲7五歩の局面で昼食休憩に入った。

 記録係の中村太地四段が、控え室に戻ってきた。

 彼は、控え室の検討情報からは遮断された対局室で、ひとり対局者とともに読み続けていた。

 そこで控え室に戻ってきた瞬間に、彼に話してもらうことにした。

 黒子役の記録係に、対局途中の感想を尋ねるのは無理筋なのだが、中村四段は米長会長のお弟子さんであり、ブログ公開を前提に、以下のようなやり取りの中で、中村四段は現在の形勢判断についてこう語った。

 米長「記録係の中村太地は、ここまで先輩たちの指し手に対し沈黙を貫いていたが、師匠の米長邦雄会長がどうしても喋れと言うので、師匠の命を受けて従わざるをえなかった。というわけで、形勢と、自分ならどっちを持ちたいかを喋りなさい」

 中村「僕、今、羽生先生のほうを持ちたいですけどね。理由ですか? うーん……。△6四角がいい手だと思ったので。(予想していたかという問いに) 候補手の一つとしては予想していたのですが、△6四銀とあがるほうが一般的かと思っていたもので。でも、その後、竜王は88分くらい考えていましたからね。竜王は△6四角を軽視していたのではないかと思います。」

 米長「では次は、ここからの、中村太地の次の一手を!」

 中村「自然なのは△4六馬ですけど。それか△6七歩を打つのか、△8六歩とつきすてるのか、その3つですかね、おそらく。」

 中村「あと、竜王の▲2三角が意外でした。▲3五歩とつくのかなと思っていました。」

 米長「いいじゃないですか!『中村太地は近い将来、必ずタイトル戦に出るであろう。師匠の米長は確信した』と書いておいてください。麗しい師弟愛だね~」

 

 

 追記。午後再開後の一手は、△6七歩でした。▲同金直に△8六歩という、中村四段の指摘通りに推移しました。

 

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対局前日の駒選び、対局場検分の日に。

【梅田望夫観戦記】 (9) 自信に満ちた手つきの真意は?

 一日目はゆったりと流れていた局面が、渡辺竜王長考の末の53手目▲2三角から、激しい急流へと転調した。これは「先手が決めに行った手」(米長)で、まさに激しい戦いが始まったわけであるが、ここからの羽生の指し手がなぜかすごく早いのだ。

 △2三同金が3分、△6六歩はノータイム、△6七歩成は1分、△6九角は1分、△4七角成が3分、△6四角が4分。中盤の難所のわりに、あたかも「すべて読み切っているよ」と言わんばかりである。

 特に、64手目の△6四角は自信に満ちたゆったりとした手つきで指された。「渡辺竜王は意表を突かれましたね。ここは30分以上考えるでしょう。」とは米長さんの言葉だが、果たして、ここで渡辺竜王の手が止まった。

 

 このたび羽生竜王戦挑戦までの道のりで、トーナメント準々決勝の深浦戦と準決勝の丸山戦は、信じられないほどの大逆転勝利だった。

 片上大輔五段は、この丸山戦について「衝撃」というタイトルのブログでこう書いた。

 『この驚きをどう表現して良いものか・・中継を見ていてあんなにびっくりしたのは初めてです。(中略) 延々と分からない局面が続き、ようやくはっきりしたかなと思ったその矢先。突然丸山投了と出て、本当に画面の前で絶叫してしまいました。(中略) 昨日は本当に本当にびっくりしました。神懸かっているとしか思えません。』

 そしてそのひとつ前の深浦戦も大逆転(週刊将棋8月20日号の見出しは「羽生逆転勝ち、深浦勝勢が1手で瓦解」)だったのだが、私は棋譜コメントと感想戦コメントを読み比べて、羽生の勝負術に感嘆したのだった。

 90手目、後手羽生の△2六角成に対する先手深浦の▲2八玉が逆転の悪手で、▲4九銀ならおそらく深浦勝ちで、羽生挑戦はなかった。

 そのときのリアルタイム中継棋譜コメントは『力を込めた手つきで△2六角成。』であった。

 しかし感想戦コメントは『ここで△3七歩は「▲2七金と上がられて、打った歩が角の利きを邪魔していては攻めが続かないので△2六角成はしょうがないですね(羽生)」』だったのである。

 羽生は「しょうがない」と思いながら「力を込めた手つきで」△2六角成を指し、そこで深浦が間違えたのである。

 渡辺は△6四角を見て、相変わらず考え続けている。長考は一時間を超えている。

 羽生の「自信に満ちたゆったりとした手つき」の裏にある真意はどんなものなのだろう。


 

【梅田望夫観戦記】 (8) 繰り返す「青と壮」の戦い

 羽生挑戦者の封じ手は△2四同歩であった。これで二日目の勝負が始まった。

 すぐに渡辺竜王が▲同飛。ここまでは当然の推移である。

 ▲同飛の局面での次の一手としては「△4五歩か△6五歩」という難しい選択肢があったので、△2四同歩の局面で封じた羽生挑戦者は、当然指される▲同飛の局面で何を指すかを一晩考えることができたわけである。そして△6五歩がほどなく指された。

 渡辺竜王がこういう状況を避けるためには、▲2四歩の前の局面(選択肢がある局面)で封じなければならなかったわけだが、そうするためには二日目の残り持ち時間に一時間半近くの差がついてしまう。渡辺竜王は、その残り時間の差のほうを重視し、昨日午後5時台に、▲2四歩を指して、封じ手の権利を羽生挑戦者に渡したのだった。

 これが封じ手と持ち時間をめぐる昨日の二人の駆け引きであった。

 

 ところで、昨日の勝負どころの対局室の中で、私は「渡辺の青」「羽生の壮」を痛感したわけだが、羽生の若き日の勝負のなかで、渡辺にとってのこのたびの竜王戦にあたる「青と壮」の戦いはいったい何だっただろう。

 それは間違いなく、本局の立会人・米長邦雄将棋連盟会長(当時名人)に挑戦した、1994年の名人戦である。

 当時23歳だった羽生は、初の名人戦挑戦を前に「普通の定跡形は指さない」と宣言し、第一局に先手番を握ると、いきなり5筋の位を取って中飛車を指した。名人戦という大舞台で、大先輩である米長を相手に「先手なのに飛車を振る」「矢倉を指さない」というのは、もうそれだけで無礼なことだと憤慨する古参棋士も多かったという。わずか十数年前まで、こんな非合理的な発想が将棋界にははびこっていたのであるが、羽生は「盤上の自由」を名人戦の棋譜で主張したのだった。

 ちなみに、現代将棋の解説・啓蒙にかけての第一人者・勝又清和六段は、その著書「最新戦法の話」第5講「ゴキゲン中飛車」の冒頭で、94年の名人戦第一局について言及し、

 『中央に位を取り、すべての金銀が連絡した美しい陣形ですね。羽生は5筋位取り中飛車の「戦法としての優秀性」を再認識させたのです。(中略)「得意戦法は持たないほうがよい」「よい戦法ならば棋風にこだわらず使うべきだ」という「羽生哲学」は徐々に浸透し、トップ棋士の戦法に対する考え方が変わっていきます。』

 と述べ、名人戦初戦に羽生が米長にぶつけた5筋位取り中飛車という構想が、90年代後半から大流行するゴキゲン中飛車の発想につながっていったと分析している。羽生は、ちょうど渡辺と同い年の頃、米長との名人戦での「青と壮」の戦いを制することで、現代将棋の扉を開いたのである。

 羽生自身、ベストセラー自著「決断力」(角川書店)の「はじめに」で、94年の米長との名人戦のことばかり書いている。私も本を書くのでよくわかるが、著書の「はじめに」で何を題材にとるかは練りに練って選ぶものだ。「決断力」の出版は2005年7月。つまり名人戦の話はその10年以上前の話で、その間には七冠制覇の一局もあったから、別にこの名人戦を書くのが当然という感じではない。にもかかわらず米長との名人戦に「決断力」の「はじめに」で言及したことは、羽生にとってこの勝負が、人生においていかに重いものだったかをよくあらわしている。羽生は当時を振り返って、こう書いているのだ。

 『巷には、「米長、頑張れ」の声が満ちている。それは当然、私の耳にももちろん届いてくる。

 対局前から"様々な反響"が起こった経験をしたのはこの時が初めてだった。何の苦労もなくのし上がってきた二十三歳の若い棋士と、当時、五十歳、幾多の挑戦と挫折をくり返して、ついに栄光を掴んだ「中高年の棋士」米長先生との対決――こういう構図を描かれてしまえば、それは米長先生を応援したくなるのが人情というものであろう。加えて、私は名人戦を前に物議をかもしていた。(中略) 周囲には、

 「羽生、討つべし」

 との非難の声が広がっていたのである。(中略)

 ……こうした雰囲気のなかで第六局は始まろうとしていた。

 その前の三日間、私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。』

 

 このたびの渡辺・羽生戦は、いまのところ、まだ第一局ということもあり、ここまでの緊張からは遠いようにも思える。しかし今年の春頃から始まった「羽生、七冠再び」という世論の盛り上がりを見た渡辺は、当時の羽生のような気持ちを感じ続けていたかもれない。

 この夏の王位戦で、深浦(羽生の一歳年下)が羽生を下して王位を防衛していなかったら、いま羽生は五冠で「七冠への足がかり」となる六冠目を渡辺から奪うべく、このパリに来ていたはずだ。そういう状態で今日の日を迎えていたら、さらに今頃の世の中の雰囲気は、渡辺にとってアゲンストになっていただろう。

 

 昨夜の夕食を終えて部屋に戻ったら、七冠ストッパーの深浦王位(渡辺防衛を予想していることは三回目のエントリー「(3) F1と装甲車」で触れた)から、こんなメールが届いていた。

 『封じ手を見て、直感は渡辺勝ちです。ただ何か気になるんですね。羽生さんの動向が(パリでの単独行動など)。初戦の結果はかなり大きいのですが、シリーズとしてはどちらが勝つかわからなくなって来たというのが率直な感想です。「堅さと攻め」に対する羽生さんの作戦が「こう来るのか」と意表を突かれましたし、どんな作戦でも指しこなせる、という自信も感じさせる序盤戦と感じました。2日目は渡辺竜王の攻めを羽生さんがどういなして行くか、という展開でしょうね。今家族の寝息を聞きながらメールしてます(午前6時頃)もう1冠はここに居ます(笑)今日はディズニーシーで遊びますが、竜王戦中継は手離せないでしょうね。プライベートは思い切り遊びたい自分としては珍しい事です。』

 そう、将棋界七冠のうち、六冠(羽生善治、渡辺明、佐藤康光)はここパリにいて、「もう1冠はここに居ます」の深浦康市だけが、日本の「ディズニーシー」の携帯画面から、この対局を凝視している。そう、七冠のうち「羽生世代」以外が持つタイトルは、渡辺の竜王位たった一つなのだ。

 深浦さんの封じ手時点でのこの感想を読んだ米長会長は、

 『君も将棋がわかるようになったね。』

 という一行のメールを深浦さんに出していた。

 

【梅田望夫観戦記】 (7) 羽生世代の信頼関係

 昨日は午後6時定刻に、羽生名人が次の一手を封じた。その1時間半後の午後7時半に対局者・関係者一同が再集合し、ホテル内のレストランで夕食をとることとなった。

 二日制タイトル戦の一日目の夕食は、両対局者を交え、関係者一同でとる。

 むろん皆で和気あいあいと食事をするわけだが、やはり戦っているさなかの二人が言葉をいっさい交わさないですむように、グループを大きく二つに分ける。昨夜は、中央に立会人、副立会人の、米長さんと佐藤さんが並んですわり、その両脇、米長さんの横に渡辺さんが、佐藤さんの横に羽生さんがそれぞれすわり、その周囲に適宜、関係者が席をとって歓談した。つまり渡辺グループと羽生グループに分かれ、二つの座が開かれるわけだ。

 私が加わったのは、羽生さん、佐藤さんを中心とした集まりであった。

 私はこれまでに二度、佐藤・羽生戦を観戦している(2005年と2008年の棋聖戦)。そのときは、今日の渡辺・羽生の両対局者が別グループに分けられているのと同様、佐藤さんと羽生さんは、それぞれ別々の座を開いていた。

 だからそのときは感じることができなかったわけだが、羽生さんと佐藤さんは、心から羨ましくなるほど、仲が良かった。余人にはうかがい知れないほど深い深い信頼関係が、二人の間にはある。そのことが言葉の外側から強く伝わってきた。

 「羽生世代」という言葉がある。現在の将棋界をほぼ制覇している羽生さん、佐藤さん、森内さんたちはほとんど同い年で、子供の頃から競争し、切磋琢磨し、自分を磨き続けてきた。羽生さんがいちばん目立っているけれど、皆で天下を取ったのだと言っていい。だから「羽生世代」については、すでに多くの人がたくさんのことを書いている。

 しかし、私がこれまで読んだ羽生世代についての文章でいちばん感動したのは、羽生世代より三、四歳若い行方尚史八段が、13年前に、19歳の時に書いた文章だ(ちなみに私は、将棋の本や雑誌を読んで感動した部分があると必ず筆写して、ネットの「あちら側」に置いてある。だから必要なときにすぐ引用ができる。たとえそれがパリからであっても)。

 『羽生名人、佐藤康竜王ら「57年組」の存在は、僕に重たくのしかかってくる。ただ、漠然と奨励会生活を過ごした僕と比べて、奨励会入会時あるいはそれより前からのライバル関係を、十年以上続けている彼らは、考えられる上で最良の環境に、あらかじめ祝福されていた。

 一種の桃源郷に自意識が芽生える前から身をおいた彼らは、夢想におぼれることもなくリアルな少年時代を過ごすことに成功するのだ。ほしいものは、すでに分かっている。その道のりを歩むことによって、大抵の大人よりも面白い人生を生きることになるだろう。うぬぼれがちな少年ならば、ここで鼻にかかって達観してしまうのだが、彼らはさきに自らを律することによってそれを防いだ。うぬぼれると、すぐに置いてけぼりにあったから。将棋に乗っとられ、なんだか体が重たくなっていき、街の空気が肌に合わなくなったが、奨励会で競い合うことが楽しかったから、日常なんてどうでも良かった。普通であることに、軽蔑にも似たあこがれも持ったが、「ジャンプ」を買って読むなんてことは想像もつかないことだった。

 こうして彼らは棋士になり、次第に勢力を拡げ、ブランド名までつけられた。』(将棋世界95年1月号)

 
「「ジャンプ」を買って読むなんてことは想像もつかない」少年時代を共にした羽生と佐藤の二人だけに通ずる何かを、パリのレストランで垣間見ることができたことは、僥倖であった。百聞は一見にしかず。こればかりは、どれだけの言葉を尽くしても伝えることはできまい。

 

 ところで、二日間の対局中ずっと正座を崩さぬ決意で本局の記録係をつとめる中村太地四段(20歳)は、渡辺明竜王よりも四年若い。中村は、渡辺竜王に深い敬意を抱いているに違いないが、行方が19歳のときに「羽生世代の分厚さ」に抱いていた複雑な気持ちを、渡辺をはじめとする先輩たちに対しては持っていないのではないか。渡辺世代と言うべき分厚さは存在せず、渡辺が孤独だからだ。

 四日前、ノートルダム大聖堂前の広場を歩きながら、私は中村四段に「あなたもいつかタイトル戦に出てね」と言った。

 「はい、できるだけ早く出たいです」

 中村に屈託はなかった。羽生世代の次は渡辺、と決まったものでもないのだ。

 そういう「下の世代との見えない戦い」も含め、このたびの竜王戦という勝負は、渡辺にとって「永世竜王」という称号以上に、とてつもなく大きなものなのである。

 

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写真は一日目、羽生挑戦者の封じ手を待っているところ。

【梅田望夫観戦記】 (6) みなぎる精気、匂い立つ成熟

 午後4時過ぎ、△3三桂が指された。

 控え室の佐藤棋王と米長会長によれば「ここで▲9九玉とやります。もう一手▲6八金引と指されたら、後手からはもう手が出せません。△3三桂を指した以上、羽生さん、ここで仕掛けるかもしれませんね。」

 どうもここが今日の勝負どころのようだった。二人の検討の手順を記憶して、羽生さんが指すまで、横に居ようと思い、私は対局室に入った。ちょうど渡辺竜王が▲9九玉と指したところで、羽生さんがあぐら姿で盤面を凝視しながら考えているところだった。

 入室した瞬間、何かが違うと思った。

 何だろう、何だろう、と私は思いながら、二人をさらに見つめた。

 そしてわかった。

 渡辺さんから若い精気のようなものがあふれ出ているのである。

 そして羽生さんからは成熟が匂い立ってきているのだ。

 少年時代から故・大山名人似だとも称され、若いけれど老成した印象の渡辺さんからは、十代の修行僧のような雰囲気がみなぎっていたのに対して、昔から変わらぬ若々しい風貌の大スターたる羽生さんからは、大人の風格があらわれていたのだ。二人の14歳という年齢差が、はじめて腑に落ちた瞬間だった。

 やはりこれは世代間対決なのだ。

 羽生さんは険しい表情で、27分考え続け、4四の銀をつまみ、5三に引いた。

 「仕掛けてこい」という先手の誘いに乗らず、じっと銀を引き、若き渡辺に手を渡したのである。渡辺さんは△5三銀を見て、盤にかぶさるようになって、あぐらをかいた。羽生さんは扇子で激しく自らの顔をあおぎ、少し疲れたような表情を見せた。私は席を立った。

 控え室に戻って棋譜コメントを読んだら、米長さんのこんな言葉が書かれていた。

 『「大変失礼いたしました」と米長会長。「これは▲6八金と引かれておもしろくない、という大局観が良くなかったのでしょうかね。普通はここで動きたいと思うところを、じっと引いたのがすごいところですね」』

 渡辺さんは長考に入った。

 いま30分考えたところで、午後5時10分。封じ手まであと50分だが、このまま考え続けて封じるかもしれない。

 これは、正真正銘の青と壮の戦いなのだ。

 

2008年10月18日 (土)

【梅田望夫観戦記】 (5) 渡辺と羽生、24歳のパリ

 午後3時半時点、42手目△6二金で、盤面はやや膠着状態になっている。

 「手が狭い将棋になっていますね」「千日手にはしないでしょうけれど、それは私の思想ですから、わかりません」とは佐藤棋王の解説である。竜王戦規定では、二日目の午前中までに千日手になった場合は、少し休んで指し直しをするとのこと。ただし二日目午後に千日手となると、協議によって、その後どう進めるかを決定するようだ。

 「次の手とその次の手は、かなり難しいです。私には▲6八金引しか見えません」とは佐藤さんの予想だったが、先手の渡辺竜王は▲9八香。「おっ、本気出しましたね」と佐藤さん。渡辺竜王は、「自己評価は」と「週刊将棋」誌インタビューで問われて、

 『現代的といえば現代的でしょうね。戦い方の優先順位として玉の固さを重視するところですか。固めるのが好きなのでわかりやすいのでしょうね。手口がばれている(笑)』(10月15日号)

と語っているが、やはり玉を固めに行った。

 「穴熊どうやって組むんだろうな、バランスが悪いですからね。でも、羽生さんは、穴熊は阻止するでしょう」と佐藤さんがつぶやいた。羽生挑戦者はここでどう出るのだろうか。昼食外出から戻った米長会長が、この局面を凝視。「羽生は△5五銀と△6九角を考えていて、結局はやめるだろう」、と予想。

 羽生挑戦者、長考に入るかもしれない。

 

 ところで、羽生さんと渡辺さんは14歳違いである。

 そして竜王戦パリ対局が行われるのは、14年ぶり。(1994年、佐藤康光竜王対羽生善治挑戦者)

 つまり、羽生さんが今の渡辺さんとほぼ同い年の頃に、やはり竜王戦でパリに来ているということなのである。

 渡辺さんは今、ブログを書いていて有名だが、14年前といえばまだインターネットは萌芽期も萌芽期。一般に日本でインターネットが使われ始めるのは1995年のことで、ブログなどもちろん存在していない。

 しかし、羽生さんは当時、ブログを書いていたのだ。

 紙上ブログと言えばいいだろうか。

 「将棋マガジン」という月刊誌に、月に一回、日記連載をしていたのだ。

 そしてその連載が、ほぼ無修正で「好機の視点」(小学館文庫)という本に、2003年にまとめられた。これがなかなか面白く、この本を読み、渡辺さんのブログを読むと、二人の性格的な違いがよくわかることだろう。

 そしてその文章を、いま38歳の羽生さんは少し恥ずかしがっている。

 『この本は私が二十代前半の時に「将棋マガジン」という雑誌に連載していた物をまとめたものです。

 今、振り返ってみると恥ずかしい部分も多く、封印をしてしまいたい気持ちです。

 その理由はいくつか有るのですが、まず指している将棋が若いと言うか粗い印象があります。

 色々な作戦、戦法を試している意味もあったのですが、現在の目で見ていると無謀に近い棋譜も数多く見受けられます。

 それから対局に追われていたからでもあるのですが、あまり深く考えずに原稿を書いていて、一回の連載の量としては多くはないのですが、毎回、もがくような感じで書いていた事も思い出しました。

 しかし、棋譜も原稿も自分がその時に歩んできた足跡であり、今回、このように一冊の本として出版が出来る事を嬉しく思っています。』

 羽生ファンの方はぜひ書店で探されるといいのではないかと思う。

 ひょっとしてパリの感想、書いていないかなあ、と探してみた。あった、あった。筆写しておこう。

 『事前の情報ではパリはかなり寒いと聞いていたのでセーターやコートを持っていきましたが、到着の日には気温が二〇度もあって、まったく予想外でした。

 写真撮影なども兼ねて、凱旋門やルーブル美術館、モンマルトルの丘など、いわゆる観光の定番といわれている所に行ってきました。

 そこで特に感じたのは歴史の厚みの違いで圧倒されたことと、ヨーロッパのほうでは歴史的に価値のあるものは残していく心が、日本のそれよりも強くあることで、街並みや雰囲気は昔から変わらないのでしょう。

 それと比較すると日本は十年もすれば同じ場所かどうかわからなくなってしまうこともあるわけで、文化の違いなのでしょう。

 良き伝統を残してゆく精神と常に新しく、より良い物を作ろうという精神、チェスと将棋の生い立ちにもこれがかなりの影響を与えているのでしょう。(p160-161、1994年10月)』

 羽生さん、24歳のときのパリの感想である。

 

【梅田望夫観戦記】 (4) 昼食休憩、佐藤康光棋王の局面解説

 解説役の佐藤康光棋王に、昼食休憩、28手目△4四銀の局面での「5級向け解説」と「初段向け解説」と「五段向け解説」をお願いした。以下、佐藤棋王の言葉です。

 

「5級向け解説」

 陣形をみてわかるとおり、先手渡辺竜王は玉を▲7七銀▲7八金▲5八金でしっかりと玉を守っています。「玉の守りは金銀3枚」というのは将棋の格言通りです。あと攻める駒が右辺ですね。守り駒が左辺、攻め駒が右辺。後手の羽生挑戦者のほうの陣形は、まだちょっと微妙なところなんですね。なんというか、基本的に、相手の攻めを見て反撃するので、はっきりした守り駒攻め駒という区別はついていないです。……これ、五級向けになっているかな?

 でまぁ、渡辺さんとしては攻め込みたいんですけれども、こういうときは▲1五歩、△同歩、▲同銀といきます。数の攻めですから、銀を前に進ませるには、▲3五歩は同歩とただで取られてしまって、それ以上は前に進めないですね。ですから▲1五歩から進めることになりますけれども、▲1五歩、△同歩、▲同香といくと、もし△同香と取ってくれれば▲同銀と前に進めますが、△同香と取らずに後手に△1三歩と受けられて、やはりそれ以上、銀が前に進めない。そこで、攻めるとしたら▲同銀と銀でいくのが、棒銀でよくある攻め方です。△同香なら▲同香といって、銀香交換で駒損なんですけれども、端を破れそうなので、そうやって攻めるのが棒銀戦法のひとつの狙いになります。

 ……というのが五級向け。実際は渡辺さんはそう攻めないと思いますが、初級者のアマチュアの方はそうやって攻めるのがわかりやすいのでおすすめです。

 

「初段向け解説」

 五級向けだと、先手渡辺竜王持ちですよね。あきらかに。五段だと、いい勝負。初段だと……先手持ちなのかな。初段向け解説、難しいですね。

 あっ、初段向けの解説、ひとつ思いつきました!

 ここで先手が▲8八玉と入るとどうなるでしょうか。▲8八玉とあがると、後手にうまい手があります。△8五桂と跳ねる手があるんです。いやー、これいい解説だね、自分で言っていても!(笑) 羽生さんが飛車を引いたばかりだからいいんですよ。

 先手は玉を囲いたいんですよ。玉はしっかり入城しないといけないので、▲8八玉と矢倉囲いにしたいのですが、この局面でそうすると、それは後手の狙いにはまって、△8五桂。以下▲8六銀と逃げると、△5五角と王手飛車が来るわけです。角打ちですね。王手飛車がかかると、これはダメですね。△8五桂に対して▲6八銀と引いても、△5五角で王手飛車です。△8五桂には▲6六銀と上がるしかないのですが、そこで△6五歩が、続く好手です。以下、▲同銀ととれば、△5五角と打たれて王手飛車となります。

 あらかじめ後手の羽生さんが△8一飛車と引いているんですけど、この手が生きてくるんですね。飛車を引かずにこの局面になっていると、先手が▲8八玉とあがって△8五桂と跳ねたときに、先手の▲7三角が王手飛車。逆に、後手が王手飛車をかけられてしまいますね。△8一飛車にはそういう深謀遠慮の意味があります。

 先手がこの局面で▲8八玉と上がる場合は、まず角の利きを遮断して、つまり、いったん▲6六歩と突いてから▲8八玉と上がるのが手順です。▲7七銀という一枚だけでナナメを遮断しているが不安があるので、▲6六歩と突いて二重に遮断してから▲88玉と上がるのが、手堅い手順なんですね。

 おお、初段向けのいい解説が、できたできた!(笑)

 

「五段向け解説」

 前例のあまりない局面ですね。類似形はあるんですけれど。一手損角換わりでは少ないです。

 羽生さんは右玉ということになりそうですが、渡辺さんの棒銀は、一気に攻めつぶそうというのではなく、羽生さんの右玉を誘ったことに満足し、銀を3七に引いて使って、これから駒組み勝ちを狙う、ということだと思います。玉の固さで勝つ展開を狙っている。穴熊もあり得ます。

 午後は一手一手が微妙なので、あまり手が進まないかもしれません。

 渡辺さんは▲3七銀と引いて、次に飛車先を交換しようとするでしょうが、羽生さんはそれを許さないでしょう。

 普通の角換わりでこういう将棋はよくあったんですが、後手の飛車先の歩が違うんですね。後手が右玉にしたときの飛車先の歩が、8三がいいか8四がいいか8五がいいか。それぞれいろいろあるのですが、8三だと反撃力がなくて先手が安心なので、いずれ8四歩を突くと思います。

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写真は16日午後ノートルダム大聖堂をバックに撮影。

【梅田望夫観戦記】 (3) F1と装甲車

 羽生挑戦者が△7四歩と指したところで、私は対局室に入ったが、渡辺竜王はこんこんと考え続け、なかなか次の一手を指さない。十分、二十分、三十分と、時間だけが過ぎていき、二人の姿に大きな変化はない。

 ときおり深いため息をつき、二人は視線を盤面から虚空に転換する。

 静寂な対局室の中に入って、長考する棋士たちの周囲を流れる時間の中に身をおくという経験は、現代社会のどこを流れる時間とも異なる。

 渡辺竜王は41分考えて▲2五歩(21手目)。羽生挑戦者は△3三銀(22手目)。そして竜王は棒銀の方針を示す▲2七銀(23手目)。そして羽生挑戦者は△7三桂(24手目)。

 すでに対局開始から三時間が経過しようとしている。濃密な時間の流れの中で、二人は、それぞれ12回ずつしか手を指していない。

 

 将棋というゲームは一手の価値がおそろしく重い。

 そんなことを改めて考えたのは、深浦王位と次のようなやり取りをしたこともあった。

 羽生七冠ロードをストップして王位を防衛した深浦王位は、このひと夏をかけて羽生四冠と死闘を演じた。読売新聞紙上座談会で「竜王戦は4勝2敗で渡辺竜王の防衛」を予想した深浦さんに、このたびの竜王戦の見どころについて、また対局者二人の違いについて、質問メールを送ってみたのだ。

 深浦王位からの返答メールは、こんなものだった。

 『羽生さんと言えども、振り回されるかも知れません。なので作戦に注目してます。渡辺さんの「堅さと攻め」にどう対抗するのか。ただ渡辺さんの方が、序中盤で離されないように、という対策の方が深刻でしょうね。可能なら昨年の渡辺佐藤戦の4局目を見て戴きたいのですが、佐藤さんの角交換向かい飛車に渡辺さんが淡々と穴熊に囲った将棋です。一手でも得して、中終盤へのスピード感に繋げたい、と考える羽生世代に対して、渡辺さんは序盤に65角と打たずに自分の将棋(穴熊)を貫きました。序盤ですと、この1局面に象徴されてますね。局面によってはF1と装甲車ぐらいに違うと感じる事もあります。正直、始まってみないと判りませんが、久々に自分以外でワクワクする将棋ですね。 深浦康市』

 羽生さんがF1で、渡辺さんが装甲車かあ。

 深浦さんが語る「昨年の渡辺佐藤戦」について調べてみたら、深浦さんと渡辺さんが将棋世界08年6月号で対話している記録があった。

 『深浦 … 後手から角交換して向かい飛車。▲6五角を打つなら打ってみろという作戦ですが、それに対して渡辺さんが我関せずという態度で淡々と穴熊に組んだのが印象的だった。後手としてはめいっぱい頑張った作戦だけど、頑張ってこの程度の分かれになるんじゃつらい。手損振り飛車が成立するかどうか、昨年のテーマの1つだったけど、この将棋以来、後手からの角交換振り飛車は減ることになったと思う。
 渡辺 これねえ、1手で△2二飛と回られるのはしゃくなんだけど、怒って▲6五角打つほどじゃないと思ったんだ。後手としては▲6五角打たれるリスクもあるし、この将棋のようにじっくり穴熊に組まれるリスクもある。それだけリスクを負うなら別の将棋にしたほうがいいというのが、最近の後手の傾向ですね。』

 盤面の詳細はともかく、わずか一手の指し方の違いという盤上でのやり取りから、二人の将棋を「F1と装甲車ぐらいに違う」と感ずるという深浦さんの感性から、たとえば野球のようなスポーツにおける一つ一つの動き(投球やバットスイングなど)に比べて、将棋の一手には破格の重みがあるものなんだなと思ったのだ。

 

 ところで「野球術」という本がある。熱狂的野球ファンで政治評論家のジョージ・ウィルが、四人の野球知性に密着取材して現代野球の神髄を解き明かした不朽の名著である。その中にこんな言葉がある。

 『ほんとうの野球ファン、すなわち深い知識と豊かな想像力と鋭い観察力にめぐまれた野球ファンになるのは、そう容易なことではない。ぼんやりと野球見物するファンがナイフで木を削っている人々だとしたら、ほんとうの野球ファンとは、石を彫り刻んでいる存在に近い。石を彫り刻むという行為は、彫る人の心に、たえずなにかを問いかける。そもそも、ゲームを見にいく際に、「テイク・イン」という言葉の使われるスポーツが野球以外にあるだろうか? 野球の場合、われわれは「明日の晩の試合、テイク・インしようぜ」などという。ほかの競技だと、こんな言い方はしない。これは野球特有の言いまわしだ。野球というスポーツには摂取するべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある(といっても、ありあまっているわけではない)。だからこそ、こういう言い方が生まれたのかもしれない。』

 長考する棋士を眺めながら、序中盤の難所の局面での次の一手の意味を考えることは面白い。ただそれは、将棋の強い人たちに許された特権的な楽しみである。

 しかし将棋を観る楽しみはそこにだけあるのではない。必ずしも将棋が強くなくても、「深い知識と豊かな想像力と鋭い観察力にめぐまれた将棋ファン」になることができるのではないだろうか。

 無限に広がっていく将棋のさまを眺めながら、将棋についてかつて語られた豊穣な言葉を思い起して考えたり、別の芸術の世界を連想してその共通するところを抽出したり、そこから得られたエッセンスを現代を生きる糧にしようとしたり、私たちが一局の将棋から吸収(テイク・イン)できることはたくさんある。

 ジョージ・ウィルにおける野球という言葉を将棋に置き換えたら、こうなる。

 『ほんとうの将棋ファンとは、石を彫り刻んでいる存在に近い。石を彫り刻むという行為は、彫る人の心に、たえずなにかを問いかける。芸術かつ頭脳スポーツである将棋には摂取するべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある(といっても、ありあまっているわけではない)。』

 なにしろ野球と違って、二日間にわたって、一局の将棋が指されるのだ。「テイク・イン」という言葉は、野球以上に将棋にフィットするのである。

 

 ちなみに、今日明日の対局にのぞむ羽生さんの抱負は「パリらしく芸術ともいえる将棋を指したい」である。


 

【梅田望夫観戦記】 (2) 人間が人間と戦う将棋の面白さ

 盤面は、一手損角換わりの最新形で進んでいる。

 二日制、持ち時間八時間の将棋は、一日制、持ち時間四時間のタイトル戦に比べて、時間がゆったりと流れている。

 後手・羽生挑戦者が選んだ一手損角換わりの将棋を、控え室の米長さんは「一手損角換わりはみんなで研究した結果、先手有利という結論になるだろう。しかし、それは私が生きている間に解明されるかはわからない」と予言する。果たして現代将棋には、米長の予言を超える革命的な変化が訪れようとしているのだろうか。それはまだ誰にもわかっていない。両対局者をはじめとした現代トッププロたちが、日夜、その解明にいそしんでいるのである。そのうちの一人である佐藤康光さんは「僕が生きている間にも解明されないと思いますよ。僕は後手番持つのも大好きなんですよね(笑)。」と言う。

 『羽生名人は常に安定した力を出してくると思う。自分がだらしないとシリーズが盛り上がりません。自分の出来次第だが、力を十分に発揮したい』

 「週刊将棋」10月15日号で決意をこう語る渡辺明竜王について、将棋にあまり詳しくない方にも興味を持っていただけるよう、ここで少し詳しくご紹介してみたい。

 

 羽生挑戦者を迎え撃つ渡辺明竜王は、羽生との世代対決を戦うべく宿命づけられた天才である。

 私も含め将棋ファンが初めて渡辺明という存在を知ったのは、1995年春、彼がまだわずか10歳のときのことである。それは河口俊彦七段が「将棋世界」誌人気連載「新対局日誌」(1995年4月18日の項)で、こう書いたからだ。

 『将棋界は十年に一度の割り合いで天才が現れる。みなさんご存知だろうか。名を挙げれば、加藤一二三、米長邦雄と中原誠、谷川浩司、羽生善治である。その流れからすると、羽生が四段でデビューしてから約九年。そろそろ大天才が現れる頃だと思っていた。

 歴史は誤らない。ちゃんと天才が現れたのである。

 渡邊明君といい、昨年奨励会に6級で入った。そして半年あまりたった今は、すでに2級である。年は小学校五年で十歳。(中略)

 用事にかこつけ、銀座に出て、「萬久満」に寄ると、中原、佐藤(義)、小倉の面々がいた。

 結局話し込んで、帰りは午前様になってしまったが、そこで例の渡邊少年の話をすると、中原さんは「ほう」と眼を輝かせ「その子に羽生君はやられるんだ」すかさず言った。こういう一言は書き留めておく値打ちがある。』

 これは一部では有名なエピソードだが、有名なだけに正確を期したいと思い、出発前に将棋世界のバックナンバーを探して当該個所を筆写してきた。彼はその頃まだ「渡邊」という姓を使っていたようである。

 渡辺は2000年、中学校卒業前に四段となった。過去に中学校卒業前に四段となった棋士は、加藤(一)、谷川、羽生の三人しかおらず、渡辺が四人目になった。河口がこの文章を書いた5年後のことだ。

 渡辺が「その子に羽生君はやられるんだ」という中原の予言を意識せずに成長したとは考えにくい。世代対決の申し子を自覚しながら四段になった15歳の渡辺は、当然のことながら自信満々だった。

 『放っておいても、自然にやっていれば、25歳くらいでトッププロになると思っていたんです、15歳のときは。』(将棋世界06年11月号)

 と渡辺は述懐するが、プロになって3年目に佐藤康光王将(当時)とぶつかり、羽生世代の強さを体で知り、強い危機感を抱くことになる。

 『3年目に佐藤さんと指して、「放っておいたらまずい」と思った。ちょっと模様がいい将棋だったんですが、勝ちきれなかった。あとから見るときわどい将棋であるんですけど、完全に読み負けている。

 終盤はほとんど読みにない手ばかり指されましたから。たしかに自分も多少は強くなるでしょうが、上も強くなりますから、25歳になっても、この関係はあまり変わっていないだろうと思った。佐藤さんと指して危機感を持ったのは大きかったと思います。』(同)

 と語っている。このインタビューの中では特定していないが、おそらく2002年5月29日の王座戦本戦で佐藤に敗れた将棋のことを言っているのだろう。危機感を持って精進した渡辺は、まもなく期待通りに頭角を現す。その翌年の王座戦本戦トーナメントで優勝し、羽生王座に挑戦することになった。このタイトル初挑戦が19歳のとき、2003年夏のことである。タイトルは獲得できなかったけれど、羽生をギリギリまで追いつめた五年前の王座戦は記憶に新しい。その最終局の観戦記を担当した青野照市九段は、

 『それにしても、終盤での羽生の指の震え方は異様だった。指が震えて駒が持てず、何回も手を引っ込める場面がモニターに映ったのである。初めて見る光景に、あの羽生にして今回の防衛戦が、いかに緊張していたかがうかがわれた。』(将棋世界03年12月号)

 と書いたが、羽生が大勝負で勝ちを確信したときに指が震えるようになったのは、渡辺とのこの王座戦最終局が初めてだった。

 そして20歳のとき(2004年12月)渡辺は、森内俊之竜王を下して初タイトルを獲得。竜王位に就いた。以来、三年連続で防衛し「五連覇で永世竜王」に王手をかけた。そして、竜王挑戦を決め「通算七期で永世竜王」に王手をかけた羽生挑戦者を、このたび迎え撃つことになったわけである。

 

 私が渡辺さんと個人的に親しくなったのは、彼が一般読者向けに初めて書いた著書「頭脳勝負」(ちくま新書)を出したときに、本の帯に推薦の言葉を書いたことがきっかけだった。

 2007年11月、ちょうど同じ月のちくま新書の新刊の二冊として、私の「ウェブ時代をゆく」と渡辺さんの「頭脳勝負」が一緒に店頭並ぶこともあって依頼があり、喜んで引き受けたのだった。

 そして彼の著書「頭脳勝負」をゲラ段階で読んで、私は彼の使命感と危機感に打たれた。そして羽生さんとの14歳の年齢差は、こういうところに現れるのかと目を瞠った。

 一言でいえば、渡辺さんは、「将棋が強ければ飯が食える」という棋士という職業の前提が、自分の時代には「放っておいたら」崩れるかもしれないという危機感を抱き、その厳しい現実に真剣に立ち向かう使命感と責任感を持った若きリーダーなのである。

 たとえば、一早くブログを書きはじめ、ファンに向けて棋士の日常を公開し、勝った将棋も負けた将棋も、翌日にはファンに向けて自ら本音を語って解説をするという画期的なことを、彼は始めた。将棋の世界を、より広いファン層に対して、身近に感じてほしいという彼の意志のあらわれである。
「頭脳勝負」の「はじめに」で彼はこう書いている。

 『棋士は将棋を指すことによってお金をもらっていますが、これはプロが指す将棋の価値を認めてくれるファンの方がいるからです。スポーツ等と同じで、見てくれる人がいなければ成り立ちません。

 ただ、将棋の場合「難しいんでしょ」「専門的な知識がないと見てもわからないんでしょ」とスポーツに比べて、敷居が高いと感じている方が多いように思います。確かに、将棋は難しいゲームです。しかし、それを楽しむのはちっとも難しくないのです。「なんとなく難しそう」というイメージで我々のプレーがあまり見られていないとしたら、残念なこと。というわけで、将棋の魅力を多くの人に伝えたい、と思って本書を書くことにしました。』

 誤解を恐れずにいえば、これまでの将棋界は、「将棋が好きなら、将棋を指してください。そして強くなってください。将棋の強さで、将棋への愛をはかりますよ」というところが強かったと思う。

 トーナメント・プロの世界はもちろんそれでいい。しかしメディアやアマチュアやファンも含めた、将棋に関わるすべての人たちの間に「将棋の強さという尺度だけで成立したピラミッド構造」がなんとなく存在し、それが渡辺さんの言う「敷居が高いと感じている方が多い」という状況を作り出してきた要因の一つなのではないかと思う。

 将棋の未来を切り開いていくためには、「指さない将棋ファン」「将棋は弱くても、観て楽しめる将棋ファン」を増やさなくてはいけない。渡辺さんはそう考えて「頭脳勝負」という本を書いた。さらにこの「頭脳勝負」という本は、対局者の心理戦の面白さを描き、「人間が人間と戦う将棋の面白さ」とは何かを突き詰めたもので、人間と人間が戦う最高峰の将棋の魅力は将棋のことをあまりわからない人でも十分に楽しめるものなのだという渡辺さんの願いがあらわれていた。こういう本を23歳という若さで書かなければならなかった渡辺さんに、私は、羽生世代のトッププロとは一味違った孤独を垣間見た。彼が「人間が人間と戦う将棋の面白さ」をあえて突き詰め、それを語る理由は、コンピュータ将棋が日に日に強くなっているという厳しい現実があるからだ。

 2007年3月、コンピュータ将棋「ボナンザ」との真剣勝負も、彼は受けて立った。「勝って当たり前、負けたらトッププロの面目を失う」という、失うものばかりの大きい割の合わない勝負を、彼は受けた。

 『 現在の将棋界を考えて、年齢的に見てぼくが一番適任かなと。三十代、四十代の方だと過去の実績が邪魔して引き受けにくいと思います。自分もこれからどのぐらい実績を積めるかどうかわからないけれど、やるなら今だと思って決めました。(中略)

 コンピュータ対人間の対局は、これからの将棋界の重要なコンテンツになっていくと思う。こういうちゃんとした舞台でやるのは初めてなので、その第一歩として、とにかくなんでもいいから勝ちたい(笑)。あんまり簡単に超えられてしまうとコンテンツとして成り立たなくなる。超えるか超えないかという状況が少しでも長く続いた方がやる方もファンも面白いと思います。』(将棋世界07年4月号)

 ボナンザ戦を前にこう語った渡辺さんを、私は立派だなと思った。果たして彼はボナンザに勝った。そしてボナンザ開発者との共著の中でこんなふうに語った。

 『人間代表が敗れる日が来るかもしれない。たとえそうだとしてもその日を1日でも先延ばしできるよう、自分自身の技術を磨いておかなければならないと私は思っている。

 ボナンザの実力は一発勝負ならプロに勝つ可能性が十分にあるレベルには達している。もし仮に竜王戦のランキング戦の一番下位である6組に参加する機会を得ることができたらどうなるか。毎年戦っていれば何局かに1回くらいはプロに勝ててもおかしくない。同じように他の公式戦もすべて参加することが許されて、年間30局くらい戦えば何人かはたぶん負かされるだろう。

 ただし、それでそのまま人間を超えたということにならない。コンピュータに厳しい表現をすれば、竜王戦6組で優勝争いにからむ戦績を残せるようになって、はじめてプロレベルに並んだといえる。6組の参加者が勝ち抜いて私の持つ竜王位に挑戦するには十数連勝はしなければならないのだ。

 コンピュータは確かに強くなった。でもトッププロに迫るにはまだかなりの時間がかかると私は予想している。』(「ボナンザVS勝負脳」保木邦仁、渡辺明共著 角川書店)

 人間の最高峰がコンピュータに敗れる日が来るとき、果たして、棋士という職業はどう変わるのか。

 それは、ベテラン棋士たちよりもうんと長期的な視点で人生を考えていかなければならない若手棋士にとっては死活問題である。そしてだからこそ自分たちの世代は、コンピュータとの戦いから絶対に逃げてはいけないのだと、渡辺さんは腹をくくっている。またコンピュータ・ソフト開発者に対し、トッププロという相手の手の内を研究し(むろんトッププロも真剣にソフトの手の内を研究する)、ソフトを改良して頂点を目指す真剣勝負を、自分たちと本気でやり続ける気概はあるのか、あるのなら俺は受けて立つぞ、と宣言しているのだとも読める。一回勝負で勝つとか負けるの話ではなく、実力紙一重の将棋の天才たち(これまでは人間だけ)がその頂点を決めるシステムの中にコンピュータ・ソフトも入って、本当に最後まで戦い続ける気があるのかと、渡辺さんは問うているのだ。そう問い、そう問うたことの責任を全うすることが、これからの棋界を背負う第一人者の仕事だと認識しているのである。

 本当に素晴らしい人が、羽生さんの次の世代に現れてくれた。

 私は渡辺さんについて、心からそう思うのだ。

 

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【梅田望夫観戦記】 (1) 正しいことが正しく行われている街で

 9月15日にリーマン・ブラザーズの破綻が発表されて以来、サブプライムローンに端を発した金融界の膿が一気に噴き出し、世界金融危機に陥り、世界中がその対応に追われている。これからしばらくは、実体経済の面でもとても厳しい時代が、世界全体で続いていくのであろう。

 

 思えば、14年前にアメリカ(シリコンバレー)に移住してから、その半分にあたる「後半の7年間」は、2001年9月11日の同時多発テロを皮切りに、アフガニスタン、イラクで始まった戦争、そしてこのたびの世界金融危機と、ビジネスの最前線でその大波をかぶりながら生きざるを得ない毎日だった。14年前にシリコンバレーに渡ったときに思い描いていた明るい未来のイメージとはまったく違う思いがけないことが、とにかく次から次へと起こる中、何とか知恵を絞ってサバイバルしようと必死にやってきた。

 そんな中で学んだ大切なことがある。

 そういう、個人の手に負えないほど大きなことが周囲で起きたときに、私たち一人ひとりにできることはそれほど多くないということである。もちろんサバイバルのためにベストを尽くすのは大切だ。でも、そんなことばかりを365日24時間考え続けながら生きることは、私たちには到底できないのである。

 テロが起きても、戦争が始まっても、世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、毎日の生活の潤いや楽しみを求めて、音楽を聴いたり、小説を読んだり、野球を観たりしながら、精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ。文化は、その時代が厳しくなればなるほど、人々の日常に潤いをもたらす貴重な役割を果たすものなのである。

 将棋は、日本が世界に誇るべき素晴らしい文化である。そして棋士はその素晴らしい文化を体現した、日本が世界に誇るべき人々である。将棋を指したり、将棋を観たり、将棋や棋士について語ったりすることは、日本人に与えられた素晴らしい贈り物である。そしてその贈り物を、世界中の人たちと共有することが、将棋のグローバル化ということである。

 グローバル経済が、そして地球全体がたくさんの難題を抱えて混迷する今、第21期竜王戦第一局が、しかも将棋ファン待望の渡辺竜王と羽生名人との「永世竜王を賭けての対決」がパリで開催されることは、現代に重要な「何か」を象徴しているように、私には思えた。渡辺羽生の戦いの傍らに身を置いて、その「何か」を見届けてみたかった。そんなわけで、仕事を束の間休み、私はシリコンバレーからパリにやってきた。そして今、対局者の二人、若き竜王・渡辺明と挑戦者・羽生善治四冠、そして立会人兼解説者として米長邦雄将棋連盟会長と佐藤康光棋王。稀代の名棋士たちが、ここパリに集結した。思えば、先週末のパリでは、ユーロ圏(15ヵ国)の緊急首脳会議がエリゼ宮で開かれ、銀行間取引の政府保証や金融機関への資本注入など金融危機対策のための行動計画が発表され、先週の最悪の市場状況にいったんは歯止めをかけることになった。

 この世界金融危機のさなかに、将棋を観るために、パリに向かう。

 そんな不思議な旅の出発が近づくにつれて先週から、私の心の中では、なぜか日に日に緊張感が高まっていった。

 ふと思い出すのは、7年前の同時多発テロ直後のこと。まだ多くの日本企業が海外出張禁止令を出していた頃、アメリカでは「予定通りの日常を何の変わりもなく生きることこそが、個人のレベルにできるテロとの戦いなのだ」という気分が横溢していた。私もそれに共感し、予定していた日本出張をキャンセルしなかった。しかしさすがにその日ばかりは、飛行機がサンフランシスコ空港からふっと浮揚した瞬間、ああこれが最期かもしれないんだな、という思いが頭をよぎった。

 今回のパリへの旅には、むろんそういう物理的恐怖はなかった。でも「予定通りの日常を何の変わりもなく生きる」ことで、このたぴの経済危機と個人のレベルで折り合いをつけていこうという気持ちは、あのときと共通している。どうもそこからくる緊張感のようだった。

 

 羽生さんと初めて会ったのは、2001年7月5日のことだった。翌6日に箱根で行われる第72期棋聖戦第三局(羽生棋聖対郷田挑戦者)を、私が観戦することになったからだ。

 その二ヶ月前、私はパリで、「欧州の真の力強さとは何か」(中央公論01年7月号)というテーマの対談を、今北純一さんとした。その冒頭で、私はこんなことを話した。

 『特にここ数年、ドッグイヤー(七倍速)的な時間が流れるシリコンバレーで、かなり激しく仕事をしてきたせいかもしれないのですが、昨年11月、パリ左岸のビュシー通りからジャコブ通りへと歩いていたとき、突然強い衝撃を受けたのです。あとから言葉で無理に表現すれば「この街では正しいことが正しく行なわれている」という感覚でした。それで半年も置かずに、無理に休暇を取って、またパリにやってきました。 』

 今北さんと私は、アメリカの冒険主義的競争社会の面白さ、激しさ、厳しさと対比する形で、成熟したヨーロッパに秘められた力強さ、とりわけ世の中でどんなことが起ころうとも確固として変わらぬパリの街並みや人々の魅力について語り合った。

 今北さんは、羽生さんとの共著「定跡からビジョンへ」(文藝春秋)も著しているパリ在住のビジネス・コンサルタントで、羽生さんとは旧知の間柄の人である(羽生今北の初対面は、14年前の、やはりパリでの竜王戦だったそうだ)。

 というわけで、新幹線のホームでの羽生さんとの初対面では「はじめまして、梅田です。いちばん新しい「中央公論」誌上で今北純一さんと対談していた相手なのですが・・・」と挨拶した。むろん羽生さんが対談を読んでいることなどは全く期待していなかったが、今北さんという共通の友人の存在が何か話のきっかけになればと思ったのだ。

 案に相違して、羽生さんの第一声は、

 「ああ、ああ、はい、はい、読みました。どうも、はじめまして」

 だった。激しい戦いの合間に、そんなものにまで目を通しているのかと、とても驚いたのをよく覚えている。

 以来、羽生さんとの付き合いは7年以上になるのだが、出会いのときからして「正しいことが正しく行なわれている」パリという街の話題だったこともあり、ときおり「次にパリでタイトル戦があったら必ず観にいきますね」みたいな約束を、羽生さんが対局者であることを暗黙の前提に、確認するようになっていた。

 そして今年の6月12日、棋聖戦第一局の観戦記を書いた翌朝、燕三条から東京に帰る新幹線の中で、羽生さんが突然、私にこう言ったのだ。

 「今年の竜王戦は、パリでやるんですよ。」

 羽生さんが名人位を奪取して永世名人の資格を獲得する5日前のことである。

 私はふと答に窮し「ああ、そうなんですか」と、少し気の抜けた返事をしてしまった。なぜなら、渡辺明竜王への挑戦者はぜんぜん決まっていない段階だったし、羽生さんの1組5位ギリギリでの挑戦者決定トーナメント進出がやっと決まったのもその3日前(6月9日)のことで、「渡辺羽生戦が確実」などというような状況ではまったくなかったからだった。

 しかしその後も、羽生さんは新幹線の車内でしきりにパリの話をしていた。そして東京駅で別れたあとすぐに、パリ対局の日程についてのメールまで届いたのだった。

 「ああ、羽生さんは今年、名人と竜王の両方を取って永世七冠になるぞと、固い決意をしているんだなあ」

 と私は思った。

 そして私は、その決意に気圧されるように、シリコンバレーに帰ってすぐ、教えてもらった竜王戦パリ対局の日程に合わせてサンフランシスコ・パリを往復できるよう、飛行機のチケットを予約した。

 果たして、7月から9月にかけて羽生さんは、糸谷五段、深浦王位、丸山九段に連勝して挑戦者決定戦に進み(深浦戦、丸山戦は大逆転の末の勝利だった)、9月12日、木村八段との挑決三番勝負に勝って渡辺竜王への挑戦を決めた。そして「渡辺羽生の勝ったほうが永世竜王」というとてつもなく大きな舞台を創出することになったのだ。

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 たった今、2008年10月18日午後9時、パリ市内「ル・メリディアン・エトワール」9階スイートルームに特別設営された対局場で、渡辺竜王に羽生名人が挑戦する第21期竜王戦七番勝負が火ぶたを切った。

 立会人は米長邦雄将棋連盟会長、副立会人・解説は佐藤康光棋王、記録係は米長門下のプロ棋士・中村太地四段(二十歳)。国内ではタイトル戦の記録係は奨励会員が普通だが、海外対局では若手プロ棋士が記録係をつとめることが多い。朝七時半から和装で準備していた中村(太)四段は、これから二日間いっさい正座を崩さず、この大勝負の記録にのぞむ決意とのこと。振り駒で「歩」が四枚出て、先手は渡辺竜王に決まった。ヨーロッパ、日本からの40名以上の将棋ファンを対局室に迎え、渡辺竜王の初手▲7六歩、羽生挑戦者の二手目△3四歩が指された。これで戦型は矢倉にはならない。羽生挑戦者、六手目に角交換で、注目の第一局は一手損角換わりの将棋になった。

【梅田望夫観戦記】 (0) 明日日本時間午後4時半頃から更新開始です。

明日から二日間、竜王戦第一局のリアルタイム・ネット観戦記を担当します。
将棋が強くない方、将棋に詳しくない方でも読める観戦記を目指します。

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