カテゴリ「第30期竜王戦七番勝負第2局」の記事
奇跡の一本松(2)
奇跡の一本松(1)
太平洋につながる広田湾に面した高田松原は、かつて約2キロメートルに及ぶ砂浜と約7万本のクロマツの防潮林がありました。しかし、東日本大震災による津波で甚大な被害を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅しています。そのなかで残ったのが、「奇跡の一本松」です。
リアス式海岸は、入り組んだ地形の特徴で、天然の良港になり、複雑な岩礁が海洋資源をはぐくんでいます。しかし、津波の波高が大きく増幅されるため、明治三陸津波(1896年)チリ地震津波(1960年)など、これまでも繰り返し大きな被害に見舞われてきました。
(大船渡線BRT(バス高速輸送システム)の一本松駅)
(JR大船渡線の気仙沼~盛間は、東日本大震災の影響により不通になっていたが、2013年3月2日より、BRT(バス高速輸送システム)の運行が開始された。気仙沼線・大船渡線BRTは、2016年度グッドデザイン賞の「グッドデザイン金賞」を受賞している)
【JR東日本ホームページ:気仙沼線・大船渡線BRT】
http://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/index.html
(防波堤の近くに一本松が見えてきた)
陸前高田
碁石浜のあとに向かったのは、大船渡市に隣接する陸前高田市です。東日本大震災の被害は、大船渡市よりも陸前高田市のほうが大きかったといわれており、2014年の陸前高田市の報告書によれば、死者・行方不明者数は1,771 人まで膨れ上がりました。
海のそばを走ると、以前は住宅や店があった場所は更地になっていました。地元の方によれば、盛り土を作るために近くの山から巨大なベルトコンベアで土砂を運んでいたそうです。いまも大規模な工事は続いており、使える道路が頻繁に変わるため、「なかなか道を覚えられない」と話していました。
(津波の被害を受けた建物が、まだ残っていた)
(看板には「14.5メートル TSUNAMI 2011.03.11」と書いてある。建物内は、家具が散乱していた)
碁石浜
碁石浜は黒い玉砂利のある浜辺で、碁石海岸の名前の由来になりました。来年2月には、本局と同じ「大船渡市民文化会館」で、囲碁の第42期棋聖戦(主催:読売新聞社)七番勝負第4局が予定されています。
【YOMIURI ONLINE 囲碁・将棋:大船渡で将棋・囲碁の最高位戦W開催…復興PR】
(波が穏やかな浜辺。夏場には、子どもたちが遊んでいるそうだ)