カテゴリ「第21期竜王戦七番勝負第1局」の記事 Feed

2008年10月18日 (土)

2dsc_0131  中村太地四段の振り駒で、歩が四枚。渡辺竜王の先手となった。

 開始から、約1分の沈黙。徐に、渡辺竜王の手が77にある歩に手をかけ、ひとつ前に駒を進める。初手は76歩だ。

 そして、それに呼応するように、後手・羽生名人は、34歩と角道を開ける。検討陣の予想した中の一つ、「一手損角換わり」となりそうだ。

 午前中でルーブルを見学、そして午後からはシテ島のノートルダム寺院を見学。建物の概観からして圧倒されるような気高さ、そして、中にはいると、祭壇そしてステンドグラスが荘厳な雰囲気を醸し出す。まずは、ノートルダム寺院をバックに、読売新聞の西條記者と握手しているところを一枚。11dsc_0022_313dsc_0022_2 


 竜王戦戦う渡辺竜王と羽生名人を取材しているテレビクルーがところどころで、取材とインタビューをとっている。12dsc_0022_2

8dsc_0022  絵画を真剣な眼差しで鑑賞する渡辺竜王、佐藤棋王、米長会長、中村(太)四段。尚、羽生名人は、この日、別行動。

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 さて、ルーブルと言えば、モナリザ。モナリザの前にはやはりというか、人がごった返していた。が、やはりこれは定番。外すことができないだろう。そして、これも有名な絵画、ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の前で一枚。勝利を暗示する絵画が多いので、ゲンを担ぐには丁度良い。

7dsc_0022 6dsc_0022_2  「ダ・ヴィンチ・コード」という書籍と映画が、ちょっと前に流行りに流行った。ご存知の方も多いと思うが、ルーブル美術館が舞台の一つとなる話だ。16日は、そのルーブル美術館を駆け足でめぐる。と言う訳で、渡辺竜王に、トム・ハンクスよろしく、ポーズをとってもらい撮影。

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 日本人は、忙しくしてる民族と言われているようだが、パリっ子達も実は意外とせわしない。例えば写真のように、朝の通勤ラッシュだったり、地下鉄に乗り込むにも、群集に揉まれなくてはならなかったりする。来てみて、驚いたが、そんな日常の風景は、案外東京と変わらなかったりする。

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道路も渋滞がかなり激しく、パリ市内をバスで抜けるのに、かなり時間もかかったりする。右写真は、朝、交通整理にたつ、警察官。

2008年10月17日 (金)

2dsc_0022  長い一日が明け、翌朝。昨晩は、渡辺竜王、羽生名人をはじめ、ホテルからほどなく歩いたところにあるレストランで皆で食事をとる。そのレストラン。(右写真)

1dsc_0022_2   明けて、翌朝。昨日撮った対局場となるホテルを違った角度から。(左写真)

4dsc_0022_3  チャールズ・リンドバーグが1927年にニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行を成し遂げた時、約33時間半の飛行時間だったという。それから比べれば、全くたいしたことではないが、やはり現地パリのドゴール空港が見えた時は、開放感と同時にある種の感動もおぼえる。

 いささか、古い映画だが、「翼よ!あれが巴里の灯だ」の中で、主人公のリンドバーグを演ずるジェームス・スチュワートがようやくパリの街の灯が見えた時、この映画の題名「翼よ!あれが巴里の灯だ」を叫んだワンシーンを思い出した。ただし、残念ながら、離着陸の際は、デジカメなどの電子機器類の使用は禁止となっているため、写真が撮れない。その代わりというわけではないが、空港からバスに乗って対局場となる「ル・メリディアン・エトワール」を撮った。

 フランスは、今月末まで夏時間。現地時間で19時頃の写真だが、まだ薄ぼんやりと明るい。

2_dsc_0009  日本時間・15日午前11時25分。我々を乗せた飛行機は成田空港を発った。

 飛行機は、いわゆる旧ソビエト連邦、北欧、東欧それぞれの上空を経て一途パリへ。ハバロフスクあたりを飛んでいるときに、窓から一枚。荒涼とした大地にところどころ雪が降り積もり、山並みとその合間を縫うようにして流れる河が実に壮観だ。