2018年12月の記事

2018年12月20日 (木)

Dsc_7002(2人が続いてやってきたのは……)

Dsc_7009(武蔵・小次郎像。右の像が宮本武蔵、左が佐々木小次郎)

Dsc_7015(明日からの健闘を誓って、握手)

Dsc_7030(ゆるキャラとも記念撮影)

15時、午後のおやつが出されました。羽生竜王は芋羊羹、抹茶。広瀬八段はフランボワーズのムース、紅茶。芋羊羹には味のアクセントとして、ドライフルーツとクリームチーズを和えたものが添えられています。

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昨日、対局者と関係者は巌流島に訪れました。巌流島は、慶長17(1612)年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島で知られています。実は、巌流島の正式名称は「船島」。敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって、巌流島と呼ばれるようになったそうです。
島の周囲は約1.6km、面積は約10.3万㎡。現在は無人島で、唐戸桟橋から船に乗り、10分ほど着きます。

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Dsc_6981(マスコミに囲まれながら、ガイドの話に耳を傾ける)

Dsc_6996(対局者が動けば、報道陣も大移動)

39昼食休憩から再開後の一手は、▲4五桂。広瀬八段が仕掛けて、戦いが始まりました。▲4五桂以下△4二銀▲6六角△4四角▲3五歩と進んでいます。

43先手は跳ねだした桂と2筋歩交換で手を作ろうとしています。▲3五歩は3筋を突き捨てて、攻め筋を広げる手筋です。

Dsc_7466(13時30分、羽生竜王が姿を見せた)

Dsc_7473(ゆったりと、広瀬八段の指し手を待つ)

Dsc_7494(広瀬八段は13時36分に戻った)Dsc_7496

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(午後の戦い。まもなく関係者が消えて、対局室は羽生竜王、広瀬八段、記録係の3人になった)

1日目の昼食注文は、羽生竜王が鯛茶漬けとふく唐揚げ、広瀬八段がとらふくのたたき丼御膳です。

Dsc_7441(鯛茶漬けとふく唐揚げ)

Dsc_7443(とらふくのたたき丼御膳)

Dsc_7464(岡野直嗣料理長が自ら解説した)

Dsc_7462「料理は8種類あり、今回のためにすべて準備しました。ぜひ、ふくを食べていただきたいと思いましたが、飽きないように、そして勝負の最中でも手軽に食べられるように工夫しています。鯛茶漬けは温かい料理をと思い、メニューに加えました。ふくのたたき御膳は表面を炙って、ポン酢ベースのたれでいただきます」

対局室は「帝の間」。昭和33年と38年に昭和天皇皇后両陛下がお泊りになった、御座所をそのまま保存して使っています。

Dsc_7444_2(室内は35畳と広い)

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Dsc_7447(李鴻章の書)

Dsc_7448(現局面)

Dsc_7451(羽生竜王の王将)Dsc_7453_2(広瀬八段の玉将)

Dsc_7456(明治の「R-1」は2本、お盆に準備されている)