函館市出身の棋士は多く、花田長太郎九段、二上達也九段、佐藤大五郎九段、北村昌男九段らが挙げられます。
花田長太郎九段は大正時代から昭和時代にかけて活躍しました。「終盤の花田」と謳われ、序盤の金子、中盤の木村と並び称されています。塚田正夫名誉十段は、花田九段の弟子です。
残した名勝負のひとつが「天龍寺の決戦」。今期竜王戦第1局の舞台である天龍寺で、1937年に阪田三吉(後に贈名人・王将)と戦った勝負です。持ち時間は各30時間。時代背景は「天龍寺の決戦」とはをご覧ください。ここでは、棋譜をご紹介しましょう。
花田八段(以下の段位はすべて当時)の初手▲7六歩に、阪田氏は△1四歩。
直前に行われた「南禅寺の決戦」で、阪田氏は木村義雄八段(後の十四世名人)の初手▲7六歩に△9四歩と指していました。後手番で両方の端歩を突く手は当時の定跡にもなく、なぜ阪田氏がこの手を指したのか、はっきりとしたことはわかっていません。
花田八段は▲2六歩から飛車先を伸ばし、2筋を交換して玉を固めます。阪田氏は中飛車から独創的な陣形を築きました。先手のまとまった玉形に対し、後手は金銀が分裂しています。まさに「関西流」の力強い指し回しです。
リードを奪ったのは花田八段。積極的に駒をぶつけ、陣形差を生かしました。
百戦錬磨の阪田氏は△6三桂の勝負手、△4二歩の粘り(▲同竜は△4四飛のぶつけ)をひねり出します。
花田八段はいくつもの罠をかいくぐり、着実に阪田玉を追い詰めていきました。
▲8八玉を見て、阪田氏が投了を告げました。対局が終了したのは7日目の3月28日で、手数は169手。「寄せの花田」が苦しんだことからも、死闘だったことが伝わってきます。
開始日時:1937/03/22
終了日時:1937/03/28
持ち時間:各30時間
場所:京都府京都市「天龍寺」
先手:花田長太郎八段 後手:阪田三吉
▲7六歩 △1四歩 ▲2六歩 △5四歩
▲2五歩 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △5二飛 ▲2八飛 △2三歩
▲5六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩
▲5七銀 △4二銀 ▲6八銀上 △6二銀
▲7八金 △5三銀右 ▲6九玉 △7四歩
▲4六歩 △4三銀 ▲3六歩 △7二金
▲5八金 △6四歩 ▲9六歩 △4二飛
▲1六歩 △4一飛 ▲7九玉 △9四歩
▲3七桂 △6二玉 ▲2六飛 △3三角
▲4七金 △7一玉 ▲5五歩 △同 歩
▲同 角 △5一角 ▲5六金 △3三桂
▲3五歩 △5四歩 ▲6六角 △3五歩
▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △同 桂
▲同 金 △4四歩 ▲3五金 △3四歩
▲3六金 △6三桂 ▲3五歩 △6五歩
▲7七角 △8四歩 ▲3四歩 △同 銀
▲5五歩 △同 歩 ▲5四歩 △6四銀
▲2五金 △4五銀 ▲3五金 △5四銀
▲3四金 △5六歩 ▲同 銀 △5七歩
▲5九歩 △5八歩成 ▲同 歩 △5五歩
▲4七銀 △6六歩 ▲同 歩 △3一飛
▲3五歩 △6二角 ▲2三金 △4三金
▲2二金 △3五飛 ▲3六歩 △2五歩
▲2九飛 △3三飛 ▲1一金 △4五歩
▲2五飛 △4六歩 ▲2一飛成 △6一歩
▲8六角 △7五桂 ▲2五桂 △3四飛
▲3八銀 △8五歩 ▲7七角 △8七桂成
▲同 金 △3七歩 ▲4九銀 △4七歩成
▲8二歩 △同 玉 ▲6一龍 △7一金
▲5二龍 △5三金 ▲2二龍 △4二歩
▲8四歩 △4四飛 ▲3三龍 △7二玉
▲6五香 △4三飛 ▲同 龍 △同 歩
▲6四香 △同 金 ▲3二飛 △2九飛
▲8三桂 △4九飛成 ▲8八玉 △6一金
▲5二銀 △6三銀 ▲6一銀成 △同 玉
▲3三桂成 △5二銀打 ▲4二成桂 △8六香
▲同 角 △同 歩 ▲同 金 △4五角
▲3一飛成 △7二玉 ▲5九香 △5八と
▲7一桂成 △同 角 ▲8三歩成 △6二玉
▲5四歩 △4一桂 ▲5三金 △同 銀
▲4一龍 △7八角成 ▲同 玉 △6八と
▲8八玉 まで169手で先手の勝ち