2011年8月の記事

2011年8月16日 (火)

夜戦に入り、畠山七段が再び棋士室へ。
お菓子の差し入れを抱えての登場だった。


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(畠山七段。早速携帯で棋譜をチェック)


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(畠山七段の差し入れ「天使のふわふわほっぺ」。粉雪のような柔らかさで、口に入れるととろけるように消えてしまう)


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(検討陣も栄養補給。「指すほうの手を使って食べちゃダメだよ」と畠山七段)


(若葉)

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(夕食休憩時の対局室。西日が射し込んできている)


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(茜色に染まる5階の廊下)


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(午後は丸山九段の長考が目立った。対する久保二冠は小刻みに時間を使っていた)


(若葉)

夕食の注文は、丸山は天ざる・ニシンの煮付け・カロリーメイト(チョコ味)4本入り、水500mlを3本、ウーロン茶500mlを1本、パイナップルの詰め合わせ。久保は無しだった。
(棋譜コメントより)


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(丸山九段が注文したものと同じ天ざる。関西将棋会館向かいの「やまがそば」にて賞味できる)


(若葉)

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19時となり、対局が再開された。
すぐに指されたのは一度力を溜める▲5六銀だった。
棋士室では▲5六角や▲3六銀などが予想されていたが、本譜は挙げられていなかった。


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(関西将棋会館の3階から望む夕焼け)


(若葉)

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図の局面で久保が考慮中に夕食休憩となった。
ここまでの消費時間は久保3時間21分、丸山3時間35分。
対局は19時に再開される。


(若葉)

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図は17時30分頃の局面。
午後に入ってからは駒組みが続いていたが、本格的な戦いがいよいよ始まった。

先に仕掛けたのは久保。
丸山の38手目△7五銀をチャンスとみて、▲4四歩~▲2五歩と軽快に突き捨てていく。
▲4四歩に△同歩なら、▲2五歩△同歩▲2四歩△2二金▲6五角△7三飛▲5四角△4三銀▲7四歩(変化図)がある。


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(若葉)

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(さらに歩を進めると、橋が見えてくる)


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(堂島川に架かる「玉江橋」。大阪は「水の都」と呼ばれることもあるほど河川の多い町だ。堂島川に本格的な架橋が始まったのは元禄初期(1960年頃)と考えられている。この玉江橋もその頃から堀江橋の名前で架かっていたそうだ。その後、元禄11年(1698年)になって堀江川が開削され、そこに同名の橋が架けられたので、玉江橋と改名されたのだという)


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(堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲は「中之島」と呼ばれる地域で、古くから大阪の中心となってきた)


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(玉江橋から望む中之島)


(若葉)

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(JR福島駅からなにわ筋をさらに南下すると、曽根崎通にぶつかる)


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(梅田や北新地方面へとつながる大通り)


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(さらに歩いていくと、建物に挟まれるようにして鳥居が立っていた)


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(入ってみると、そこは福島天満宮だった。緑に囲まれた社に涼しい風が吹き込んでくる)


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(若葉)

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17時を迎えた。
図の局面で久保が考えている。
棋士室で予想されているのは(1)▲2五歩と攻める手と、(2)▲6七金右と守る手。
どちらも自然な一手だ。


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(若葉)


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局面が動き出した。
長考中に方針を決めたのだろう。理想形を求めてお互いに駒組みを進めていく。

久保の37手目▲6六歩が思い切った手。
▲6七金右~▲7七銀と組めれば安定するが、7筋は後手の攻め駒が迫っているところで、争点ができて後手に先攻の余地を与える。
▲6六歩を見て、はたして丸山はすぐに△7五銀(図)と攻勢をとった。


20__2棋士室の畠山鎮七段は、モニターをみて「▲2五歩が気になりますが、大丈夫ですか」。
▲2五歩△同歩▲2四歩(解説図)に(1)△同金は▲4六角が金香両取り。
(2)△2二金と引くことになるが、「後で2四歩を払えないと、後手は嫌かもしれないですね」(畠山七段)
(棋譜コメントより)


20__4(2)△2二金に▲4四歩が「丸山さんは最も警戒しないといけない筋ですね。△4四同歩には▲6五角(変化図)~▲5四角があります」(畠山七段)。
(棋譜コメントより)
変化中の▲5四角は王手で、受けると▲6三角成がある。


(若葉)