2010年12月の記事

2010年12月23日 (木)

大広間の中央にあたる棋峰(きほう)の間では、永瀬四段-甲斐女流二冠戦が行われている。両者は本局が初手合い。甲斐女流二冠の対男性棋士成績は1勝9敗(0.100)。今回一斉対局に参加している他の女流棋士と比べると低い数字だが、対局数が少ないので単純には比べられない。

020
【永瀬拓矢(ながせ・たくや)四段】
1992年9月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。安恵照剛八段門下。2009年10月に四段昇段。

019
【甲斐智美(かい・ともみ)女王・女流王位】
1983年5月30日生まれ、石川県七尾市出身。中原誠十六世名人門下。1997年、女流2級。2010年4月、女流三段。タイトル戦登場は3回、獲得は女王1期、女流王位1期。棋戦優勝は2回。

036

(文)

大広間の一角・高雄(たかお)の間では、吉田四段-里見女流三冠戦が行われている。両者は今年の1月に新人王戦で対局しており、そのときは里見女流三冠が勝利している。里見女流三冠の対男性棋士成績は3勝13敗(0.188)。

014
【吉田正和(よしだ・まさかず)四段】
1986年1月23日生まれの24歳。埼玉県ふじみ野市出身。神吉宏充七段門下。棋士番号は273。2005年初段で奨励会入会。2008年四段。

017
【里見香奈(さとみ・かな)女流名人・女流王将・倉敷藤花】
1992年3月2日生まれの18歳。島根県出雲市出身。森けいニ九段門下。女流棋士番号は57。2004年2級、2010年四段。タイトル戦登場は5回、獲得は女流名人1期、女流王将1期、倉敷藤花3期の計5期。2009年度最優秀女流棋士賞。2006年度・2008年度女流棋士賞。2007年島根県文化活動特別奨励賞。2010年島根県功労者表彰。

030

(文)

第23期竜王戦七番勝負は、渡辺明竜王が羽生善治名人の挑戦を退け7連覇を達成した。現在は第24期の予選が進行している。本日行われるのは、ランキング戦6組から男性棋士と女流棋士の対戦4局。対戦カードと棋譜・コメント入力の担当は次の通り。

・吉田正和四段-里見香奈女流三冠 (担当:八雲記者)
・永瀬拓矢四段-甲斐智美女王・女流王位 (担当:烏記者)
・伊藤真吾四段-清水市代女流六段 (担当:吟記者)
・大石直嗣四段-矢内理絵子女流四段 (担当:烏記者)

本ブログは文が担当する。最後までお楽しみいただければ幸いである。

008

007

(文)

2010年12月16日 (木)

Imgp2822

防衛を決めた翌朝、記念撮影に応じる渡辺竜王。

Imgp2830

「昨夜はなかなか寝付けませんでした」と語る。

Imgp2837

Imgp2856

渡辺竜王防衛の記事が掲載されている、16日付け
読売新聞朝刊に目を通す。

Imgp2859

記念撮影を終え、ファンのサインにも気さくに応じる。

(吟)

2010年12月15日 (水)

Imgp2818

Imgp2153

第23期竜王戦は渡辺竜王が4勝2敗で防衛、
7連覇を達成し幕を閉じた。

本局の池田将之さんによる観戦記は1月1日
から読売新聞に掲載されます。ぜひお楽しみ
にお待ち下さい。

本サイトを最後までご覧頂きありがとうござい
ました。

(吟)

Ryuou20101214_142_2 将棋会館の大盤解説会で調べられていた一変化を紹介します。
図は142手目△6七歩の局面。実戦は羽生名人が▲4四銀打としましたが、大盤解説会では▲4一馬△2四玉を利かしてから▲4四銀打の変化を調べていました。ところが、この手順は△4四同金と取られ、▲同銀△6八歩成▲同銀△同と▲同玉△5七銀(参考1図)
Ryuou20101214_sanko1 ▲同玉△4六角▲6七玉△5八銀▲5六玉△4七銀不成▲6五玉△7三桂(参考2図)
Ryuou20101214_sanko2 ▲7四玉△8四金▲同玉△8一香▲8三銀△同香▲同玉△9三金▲7四玉△8三銀▲7五玉△8四金(参考3図)
Ryuou20101214_sanko3 と進んで、先手玉が詰んでしまいます。実戦は羽生名人が単に▲4四銀打と迫りましたが、渡辺竜王は後手玉が詰めろではないことを見切り、△6六角と出て先手玉を受けなしにして勝ちを決めました。森内九段は「(110手目の)△2三玉が冷静でした」と述べていました。

(銀杏)

Ryuou2010121488_5 野月七段の総括

序盤は渡辺竜王が角換わり腰掛け銀の同型ではなく、従来は後手がやや苦しいという形で工夫を見せました。そこから互いに手待ちを重ねて、先手が仕掛けのタイミングに苦慮する展開となっていきました。中盤は先手が積極的に動いて、互いに角を手放した局面は互角だったと思います。83手目に▲1五歩と本格的な開戦となりましたが、88手目の△4六歩(図)が機敏で、後手が主導権を握ったと思います。先手は91手目▲8三銀と右辺Ryuou20101214104_7 から手を作り、局面を優位に導こうとしました。そこから後手は自陣の玉の周辺で、力強い応手を見せ、厚みを気づいたのですが、その辺りはやや後手が指せる局面だったと思います。終盤戦は104手目の△4七歩成(図)を境に、激戦が繰り広げられました。先手も5一に馬を作って激しく追い込みましたが、後手玉は空間が広く、つかみどころのない陣形で先手の攻めを凌ぎました。一方の先手陣は、玉の狭さが最後まで祟ってしまったように感じました。一手一手の意味が非常に難しく、熱のこもった将棋だったと思います。最後まで予断を許さない、緊張感のあふれる一局だったと思います。

(吟)