2012年7月11日 (水)

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(鳩森神社の富士塚)

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(入口の横には、解説のボードもある)

将棋会館の近くにある鳩森神社には、古くからこの地にあり、東京都の指定有形民俗文化財に認定されている富士塚がある。
富士塚とは、富士山を模して造られた人口の山や塚のことで、富士信仰が盛んになった江戸時代には多く造られた遺講だ。

様々な形式なものがあるが、鳩森神社の富士塚は円墳形に土を盛り上げて作られており、富士山の溶岩が頂上近くに配置されている。

寛政元年(1789年)の築造と言われ、東京都内に現存する富士塚では最も古いという。江戸中期以降、広く庶民の間で信仰されていたという富士信仰のあり方を理解する上で貴重な遺講だろう。

長い歴史を持つ将棋を守るかのように、今も残る鳩森神社の歴史ある富士塚。
将棋会館を訪れた際には、鳩森神社の富士塚を訪れてみるのもよいかもしれない。
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(富士塚の入口)

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(富士塚の山頂、作られた洞窟の中には身祿象が安置されている)

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▲中村(真)女流二段-△石橋女流四段戦は、早くも終盤戦に入りました。

図の局面は52手目△7七歩成まで。
2004年1月に行われた新人王戦▲横山泰明四段-△石橋幸緒女流三段戦(ともに段位は同時)と同一局面になっています。
この対局は、石橋女流四段が男性棋士を相手に公式戦初勝利を収めた対局でもあり、石橋女流四段はもちろん把握していることでしょう。

本譜は、▲横山-△石橋戦では▲5六銀と逃げたところを、中村(真)女流二段が▲7七同桂と変化。
完全に前例のない局面に突入しました。

13時になり、対局が再開されました。

▲中村(真)女流二段-△石橋女流四段戦、対局再開時の光景。
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(鋭い視線で盤をとらえる石橋女流四段)

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(中村真女流二段も、盤に集中していた)

▲貞升女流1級-△中井女流六段戦、対局開始時の光景。

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(中井広恵女流六段)

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(貞升南女流1級)

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12時10分、2局とも昼食休憩に入りました。対局は13時に再開します。
▲貞升-△中井戦の消費時間は▲貞升1時間0分、△中井55分。
▲中村真-△石橋戦は▲中村真50分、△石橋56分。
持ち時間は各3時間です。

▲貞升南女流1級戦-△中井広恵女流六段戦は、矢倉戦に進みました。
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【局面図】は、23手目▲3六歩までの局面。
後手の中井女流六段が△8四歩と飛車先を突かずに進めているのが工夫で、プロの公式戦における前例も12局と少ない。

しかし、12局の前例では後手が11勝1敗と大きく勝ち越しており、中井女流六段自身も後手番を持って3戦全勝という結果を残しています。

中井女流六段が得意にしている形に対し、貞升女流1級はどのように対抗するのでしょうか。

▲中村真梨花女流二段-△石橋幸緒女流四段戦は、午前中から早くも激しい戦いが始まっています。

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【居面図】は、32手目△5五歩までの局面。
両者は昨年9月に行われた女流王将戦挑戦者決定戦でも同じ局面を経験しており、その時は中村女流二段が▲5七金と受けていましたが(結果は石橋女流四段の勝ち)、本譜は▲7五歩と変化しました。

これを受けて、それまでは時間を使わずに進めていた石橋女流四段も19分の考慮。
△5六歩と攻め合いを目指し、両者一歩も引かぬ激しい攻め合いになっています。

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本日、東京・将棋会館の対局立会人を務めるのは田辺一郎(たなべ・いちろう)七段。
朝は、記録係が準備を始める前から対局室を確認して回っていた。

【田辺一郎七段のプロフィール】
東京都江東区出身、1938年8月1日生まれ(73歳)。(故)松下力九段門下で、棋士番号は91。
1999年に引退し、通算成績は296勝516敗。
1990年には現役勤続25年の表彰を受けている。

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(各対局部屋を回る田辺七段)

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おはようございます。
第2期リコー杯女流王座戦は、本戦トーナメントが始まりました。
7月11日(水)は1回戦から、石橋幸緒女流四段(LPSA所属)-中村真梨花女流二段戦と、中井広恵女流六段(LPSA所属)-貞升南女流1級戦の対局をお送りします。

対局室は東京・将棋会館の「飛燕」と「銀沙」。持ち時間は各3時間。先後は振り駒で決定します。

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本日の中継、棋譜コメントは石橋女流四段-中村女流二段戦を紋蛇記者、中井女流六段-貞升女流1級戦を牛蒡記者。ブログを梅が担当します。
1日、どうぞよろしくお願い致します。