カテゴリ「第29期竜王戦七番勝負第5局」の記事 
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2日目 午後のおやつ
函館市出身の棋士 二上達也九段
二上達也九段は2001年に函館市栄誉賞を受賞しています。「北海の美剣士」「寄せの二上」と呼ばれ、スピーディーな指し回しが大きな持ち味でした。 竜王戦の前身である九段戦、十段戦で大山康晴十五世名人に何度も挑戦しましたが、いずれも厚い壁に阻まれています。
逝去したのは、先月の1日。今月19日にお別れの会が東京で開かれます。
【九段戦(全日本選手権戦)・十段戦】http://www.shogi.or.jp/match/finished/10_9.html
【訃報 二上達也九段】 http://www.shogi.or.jp/news/2016/11/post_1461.html
【「二上達也九段お別れの会」のお知らせ】http://www.shogi.or.jp/news/2016/11/post_1471.html
二上九段の竜王戦の勝局を紹介します。1989年の竜王戦1組出場者決定戦、相手は当時、若手の中村修七段(現九段)です。
二上九段は自著『棋士』(晶文社、2004年)で、自身の棋風を次のように述べています。「塚田さん」は、塚田正夫名誉十段のことです。
「短手数で終局することの多い私の棋風が、塚田さんと、塚田さんの師匠で函館出身の花田長太郎九段とを足して二で割ったようだと、ほかならぬ塚田さんから聞かされたこともあった。指し将棋の高段者でありながら、詰将棋作家という共通点のあることも親近感を増した」。
二上九段は終盤の切り合いを好みました。一手違いの勝負になりやすい、相掛かりの腰掛け銀は得意戦法だったのです。
戦いを起こしたのは中村修七段。しかし、二上九段は手に乗ってうまく反撃します。△6二金にどう指すか。
実戦は▲2四歩△同歩▲4五歩△5五銀▲2四飛と進みました。
▲2四飛に△2三歩は、▲3三歩成があります。以下△同金は▲5四飛△同歩に▲7五角の王手飛車、△同玉は▲5四飛△同歩に▲5一角の王手金取りです。
中村修七段は△7六馬と逃げましたが、▲6七銀△2三歩に▲7三歩成も強い踏み込みでした。
△7三同桂は▲3三歩成が王手飛車。実戦は△2四歩と飛車を取りましたが、▲6二とが詰めろです。以下△8五馬▲7四歩(詰めろ)△2三金に▲7七桂△7四馬▲同角から駒を補充し、勢いのある指し回しで勝利を収めています。
開始日時:1989/04/13 10:00:00
終了日時:1989/04/13 22:00:00
棋戦:竜王戦
持ち時間:各5時間
先手:二上達也九段
後手:中村修七段
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △6二銀
▲3八銀 △6四歩 ▲4六歩 △6三銀
▲4七銀 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲8七歩 △8四飛 ▲5六銀 △1四歩
▲1六歩 △5四銀 ▲7六歩 △3四歩
▲4八金 △4二玉 ▲3六歩 △5二金
▲3七桂 △9四歩 ▲9六歩 △7四歩
▲5八玉 △7五歩 ▲同 歩 △6五銀
▲同 銀 △同 歩 ▲2五飛 △3五歩
▲同 飛 △6六歩 ▲同 角 △同 角
▲同 歩 △4四銀 ▲2五飛 △3五歩
▲2六飛 △3六歩 ▲同 飛 △2七角
▲3四飛 △3三金 ▲3六角 △同角成
▲同 飛 △2七角 ▲4七角 △3五歩
▲2六飛 △5四角成 ▲3四歩 △3二金
▲7四歩 △6二金 ▲2四歩 △同 歩
▲4五歩 △5五銀 ▲2四飛 △7六馬
▲6七銀 △2三歩 ▲7三歩成 △2四歩
▲6二と △8五馬 ▲7四歩 △2三金
▲7七桂 △7四馬 ▲同 角 △同 飛
▲2二歩 △3六角 ▲4七金打 △同角成
▲同 金 △2八飛 ▲6九玉 △6六銀
▲2一歩成 △3四飛 ▲5一角 △3二玉
▲3一と △同 玉 ▲3三歩 △2二玉
▲3二銀 △3三金 ▲同角成 △同 飛
▲3四桂 △1二玉 ▲2二金
まで111手で先手の勝ち
函館市出身の棋士 花田長太郎九段
函館市出身の棋士は多く、花田長太郎九段、二上達也九段、佐藤大五郎九段、北村昌男九段らが挙げられます。
花田長太郎九段は大正時代から昭和時代にかけて活躍しました。「終盤の花田」と謳われ、序盤の金子、中盤の木村と並び称されています。塚田正夫名誉十段は、花田九段の弟子です。
残した名勝負のひとつが「天龍寺の決戦」。今期竜王戦第1局の舞台である天龍寺で、1937年に阪田三吉(後に贈名人・王将)と戦った勝負です。持ち時間は各30時間。時代背景は「天龍寺の決戦」とはをご覧ください。ここでは、棋譜をご紹介しましょう。
花田八段(以下の段位はすべて当時)の初手▲7六歩に、阪田氏は△1四歩。
直前に行われた「南禅寺の決戦」で、阪田氏は木村義雄八段(後の十四世名人)の初手▲7六歩に△9四歩と指していました。後手番で両方の端歩を突く手は当時の定跡にもなく、なぜ阪田氏がこの手を指したのか、はっきりとしたことはわかっていません。
花田八段は▲2六歩から飛車先を伸ばし、2筋を交換して玉を固めます。阪田氏は中飛車から独創的な陣形を築きました。先手のまとまった玉形に対し、後手は金銀が分裂しています。まさに「関西流」の力強い指し回しです。
リードを奪ったのは花田八段。積極的に駒をぶつけ、陣形差を生かしました。
百戦錬磨の阪田氏は△6三桂の勝負手、△4二歩の粘り(▲同竜は△4四飛のぶつけ)をひねり出します。
花田八段はいくつもの罠をかいくぐり、着実に阪田玉を追い詰めていきました。
▲8八玉を見て、阪田氏が投了を告げました。対局が終了したのは7日目の3月28日で、手数は169手。「寄せの花田」が苦しんだことからも、死闘だったことが伝わってきます。
開始日時:1937/03/22
終了日時:1937/03/28
持ち時間:各30時間
場所:京都府京都市「天龍寺」
先手:花田長太郎八段 後手:阪田三吉
▲7六歩 △1四歩 ▲2六歩 △5四歩
▲2五歩 △3二金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △5二飛 ▲2八飛 △2三歩
▲5六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩
▲5七銀 △4二銀 ▲6八銀上 △6二銀
▲7八金 △5三銀右 ▲6九玉 △7四歩
▲4六歩 △4三銀 ▲3六歩 △7二金
▲5八金 △6四歩 ▲9六歩 △4二飛
▲1六歩 △4一飛 ▲7九玉 △9四歩
▲3七桂 △6二玉 ▲2六飛 △3三角
▲4七金 △7一玉 ▲5五歩 △同 歩
▲同 角 △5一角 ▲5六金 △3三桂
▲3五歩 △5四歩 ▲6六角 △3五歩
▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △同 桂
▲同 金 △4四歩 ▲3五金 △3四歩
▲3六金 △6三桂 ▲3五歩 △6五歩
▲7七角 △8四歩 ▲3四歩 △同 銀
▲5五歩 △同 歩 ▲5四歩 △6四銀
▲2五金 △4五銀 ▲3五金 △5四銀
▲3四金 △5六歩 ▲同 銀 △5七歩
▲5九歩 △5八歩成 ▲同 歩 △5五歩
▲4七銀 △6六歩 ▲同 歩 △3一飛
▲3五歩 △6二角 ▲2三金 △4三金
▲2二金 △3五飛 ▲3六歩 △2五歩
▲2九飛 △3三飛 ▲1一金 △4五歩
▲2五飛 △4六歩 ▲2一飛成 △6一歩
▲8六角 △7五桂 ▲2五桂 △3四飛
▲3八銀 △8五歩 ▲7七角 △8七桂成
▲同 金 △3七歩 ▲4九銀 △4七歩成
▲8二歩 △同 玉 ▲6一龍 △7一金
▲5二龍 △5三金 ▲2二龍 △4二歩
▲8四歩 △4四飛 ▲3三龍 △7二玉
▲6五香 △4三飛 ▲同 龍 △同 歩
▲6四香 △同 金 ▲3二飛 △2九飛
▲8三桂 △4九飛成 ▲8八玉 △6一金
▲5二銀 △6三銀 ▲6一銀成 △同 玉
▲3三桂成 △5二銀打 ▲4二成桂 △8六香
▲同 角 △同 歩 ▲同 金 △4五角
▲3一飛成 △7二玉 ▲5九香 △5八と
▲7一桂成 △同 角 ▲8三歩成 △6二玉
▲5四歩 △4一桂 ▲5三金 △同 銀
▲4一龍 △7八角成 ▲同 玉 △6八と
▲8八玉 まで169手で先手の勝ち