鶴林寺(2) (棋譜コメントより) 562年、大和(現在の奈良県)に仏教を広めに来た高麗の僧、恵便(えべん)は排仏派の物部氏らの迫害から播磨(現在の兵庫県、姫路・加古川周辺)に逃れた。恵便を慕う聖徳太子がこの地に来て教えを乞い、589年に刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが鶴林寺の始まりと言われている。鶴林寺は寺が興された経緯などから「播磨の法隆寺」とも言われている。 (国宝に指定されている鶴林寺の「本堂」) (聖徳太子をまつる「太子堂」。こちらも国宝に指定されている。) (若葉)