図は10時頃の局面。戦型は相矢倉(あいやぐら)へ進んだ。羽生名人の囲いが「矢倉囲い」で、両者この囲いに入って戦うことから相矢倉と呼ばれる。相矢倉の定跡は、幾多の棋士による、数えきれないほどの実戦を経て洗練されてきた。相矢倉を目指す序盤24手は「矢倉24手組み」と呼ばれ、この戦型の基本図となっている。もちろんこの24手組みも、時代と共に徐々に変化してきた。
「現代矢倉の基本の24手になりました。ここから▲3七銀が最も採用率が多いです。現在はまた▲6八角の森下システムも増えています」(所司和晴七段)
ここが先手にとって第一の作戦の岐路。▲3七銀と上がれば、長い歴史を持つオーソドックスな形になる。いっぽう、3七に使う駒を銀か桂か決めずに保留し、▲6八角と上がって玉の入城(▲7九玉~▲8八玉)を急ぐ形は、「森下システム」と呼ばれる。森下システムは森下九段が実戦で連採し、好成績を挙げたことからこの名が付いている。
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