ただいま午前3時45分。寝静まった新潟岩室温泉高島屋の控え室である。
昨日午後1時、上越新幹線ホーム集合で、対局者、観戦者とともに、棋聖戦第一局の開催地・新潟にやってきた。羽生善治棋聖対木村一基挑戦者という現代将棋最高カードの五番勝負が、まもなく幕をあける。
羽生さんはいま四冠(棋聖、名人、王座、王将)を保持している。2008年度はすべてのタイトル戦に出場したうえ、名人戦の激闘と並行しての棋聖戦開幕である。
羽生さんは今年度に入ってから、11戦4勝7敗(0.364)、名人戦も郷田挑戦者に2勝3敗とカド番に追い込まれ、珍しく羽生不調説がささやかれている。
私は、この観戦記を書くために、先週土曜日にシリコンバレーから日本にやってきた。「羽生さんは元気なんだろうか」、どんなに凄い人だって、ときには疲れだって出るわけだしと、じつはずっと心配していたのだ。
しかし昨日新幹線ホームに現れた羽生さんは、元気いっぱいでじつに快活であった。そして、約二時間の東京から燕三条までの新幹線のなかでは、隣に坐った副立会人の飯塚祐紀六段を相手に、ぶっ通しで四方山話にあれこれと花を咲かせ、心から楽しそうににこやかに笑い続けていた。過密スケジュールで疲労困憊のときは、移動のときくらいは休みたいので寡黙になるのが普通だ。マイクロバスで高島屋について、関係者が諸準備を進めるなか、スタッフの誰ともなく「羽生さん、電車のなかで、ずっとしゃべっていましたよね」と言った。みな口に出さなかったけれど、同じことを思って、ほっとしていたのだ。
しかしその矢先、傍らにいた挑戦者の木村さんがこう言った。
「羽生さんがしゃべりつづけているから、対抗して僕ももっと大きな声で話をしてやろうと思ったんだ。でも隣の藤井さん(立会人の藤井猛九段)が寝ていたから話せなくて(爆笑)」
ああ、やっぱり木村さんも気にしていたんだなあ。
そう思うと同時に、二人の勝負は新幹線の中からもう始まっていたのだと改めて思った。そうか、勝負がもう始まっているのなら、僕も観戦記を書き始めよう。そんなわけで、こんな朝早くから起きて、パソコンに向かっているのである。
『調子が悪いときは、手が浮かぶスピードもにぶいし、方向性もずれています。しかも、指してみないと分りませんから、対策の立てようがないんです。コンディションがいいかどうかはその日になってみれば分かりますけど、調子がいいかどうかは分かりません。天気と一緒です。雨が降っているからといって、雨を止めるわけにはいかないでしょう。「今日は雨だ」と思うしかありません。そんなものです。(将棋世界2008年9月号インタビュー)』
これは、羽生さんが「調子」をめぐって語っている数少ない言葉の一つだが、どうも羽生さんのコンディションはよさそうだ。彼の「今日の調子の天気」は果たして快晴だろうか、それとも雨だろうか。
今日は、そんなわけで、対局が始まる前に一本、原稿を書いてアップしようと思う。テーマは何にしようかと、昨夜前夜祭のときに考えていたのだが、僕が最近「将棋界はこれからの10年、抜群に面白い時代に入る」と確信するに至った四つの理由について書いてみようと思う。
第一の理由は、棋士同士の戦いが間違いなく「戦国時代」に入るということである。
「四つの世代」のせめぎ合いという視点でこれからの「戦国時代」をとらえると、将棋に詳しくない方にも、将棋界を俯瞰した視点が持てるのではないかと思う。
「四つの世代」とは、この十五年、将棋界を制覇してきた「羽生世代」(1969年から71年生まれ)。そしてその「ちょっと下の世代」(1972年から1975年生まれ)。さらに、二十代半ばの「渡辺竜王を中心とする世代」(1980年から1985年生まれ)。そしてそれよりも「もっと若い世代」。
この「四つの世代」が、これからの十年、激烈な争いを繰り広げることになるのだ。
なぜ「これからの十年」なのかと言えば、圧倒的に強かった羽生世代がこれから40代に差し掛かり、年齢とともに押し寄せてくる衰えの中で、誰にも大きなチャンスが訪れるからだ。
たとえば将棋世界最新号で中原十六世名人が
『私も大山先生もそうでしたが、40歳を超えると、外からは同じようにタイトルを防衛しているように見えても、実はふうふう苦労するようになります』
と語っていたが、尋常でない精進を続けながら切磋琢磨してきた羽生世代は、果たしてこの「40歳限界説」を覆し、これからの十年も棋界を制覇し続けられるだろうか。これが第一の大きな興味である。
昨日からこの棋聖戦第一局に、将棋連盟の渉外担当理事として同行している青野照市九段にこんな文章がある。2001年暮れに書かれたものだ。
『羽生世代の先頭集団は、羽生のほかは佐藤康光、森内、郷田真隆であった。この四人はちょっと別格と思っていたら、後からやってきた丸山、藤井も追いつき、そして追い越す勢いで昇ってきた。これもやはり、同世代のライバルたちが強すぎたお陰であろう。これに対し、次世代の若手はもう一つ、羽生世代に頭を押さえられている。次の世代にも深浦康市や久保利明、鈴木大介、木村一基、行方尚史といった勝率七割に近いような逸材が何人も控えているが、いまのところタイトル獲得まで手が届いたのは三浦弘行が羽生から棋聖を奪ったにすぎない。(平成13年12月)(「第一線棋士!」(青野照市著 清流出版) 所収)』
青野九段が7年半前にこう書き記した「頭を押さえられてい」た「次世代」の6人は、みなほどなくしてA級に上がった。中でも、深浦さんは35歳にして2007年に王位に、久保さんは33歳にして2009年に棋王に就いた。そしてこのたび棋聖位に挑戦する木村さんが35歳。棋聖戦期間中に36歳になる。
じつはここ2-3年、「頭を押さえられてい」た「次世代」の台頭が目覚ましいのである。とりあえず「ちょっと下の世代」とここでは呼びながら話を進めたい。
2007年度以降のタイトル戦は、この棋聖戦も含めて16ある。なんとこの16のタイトル戦のうち半分の8つまでが、「羽生世代」対「ちょっと下の世代」の対決になっていたことを、皆さんはご存じだろうか。
昨夜の前夜祭で隣に座った、まさに当事者である深浦康市王位にその話をしたら、「えっ、そうなんですか」と、全然そういう見方をしていなかった。
2007年度は、羽生久保戦(第57期王将戦)、羽生久保戦(第55期王座戦)、羽生深浦戦(第48期王位戦)の3つ、2008年度は、羽生深浦戦(第58期王将戦)、佐藤久保戦(第34期棋王戦)、羽生深浦戦(第49期王位戦)、羽生木村戦(第56期王座戦)の4つ、そして2009年度はこのたびの羽生木村戦(第80期棋聖戦)。
少し前までタイトル戦と言えば「羽生世代」同士の戦いと相場が決まっていたが、これだけ「羽生世代」対「ちょっと下の世代」の対決が続いているのである。
そしてこの夏の王位戦で、深浦王位への挑戦権を賭けた挑決に木村八段が名乗りを上げているから、もし王位戦が深浦木村戦となるならば、初めての「ちょっと下の世代」同士の対決がタイトル戦で行われるのだ。目立たない形でなのかもしれないが「ちょっと下の世代」の存在感が日に日に高まっているのである。
しかも米長会長は「40歳を過ぎても弱くならないのは深浦と木村でしょう」と予言していたことがある。「これからの十年」の特に最初の数年は、40代に差し掛かる「羽生世代」対「ちょっと下の世代」の対決が最高に面白くなる。今日の羽生木村戦は、そのことを象徴する戦いと言っていいのである。
そしてそれから「渡辺竜王を中心とする世代」と、棋聖戦挑決に進出した稲葉四段らを中心とする「もっと若い世代」がそれに続き、当然のことながら日に日に強くなってくる。
羽生さんは、新著「勝ち続ける力」(柳瀬尚紀との共著)の中で、渡辺さん以降の世代について、こんな面白いことを話している。
『渡辺さんの世代は、その(将棋の)体系化がかなり具体的に形になった時代に育ってきた第一世代です。ですから、将棋が学術的な形で学んでいける環境の中で、成果を吸収したり分析したりして強くなってきています。(中略) 渡辺さんの世代は、一つの形を見て、将来性があるかどうか、とても鋭い判断力を持っているんですよ。(中略) あの世代は、余計な情報、今の段階では使えないような知識はいっさい持ちません。どんな歴史があったとしても、ぱっと先入観なく、分け隔てなく切り捨てることができるんです。ですから、この形はすごく未来が描けそうだとか、この形にはほとんど将来性がない、という見極めはとてもシビアで、はっきり見えています。(p213-214)』
激しい時代の流れの中で、時代環境の異なった養分を吸いながら育ったそれぞれの世代が「戦国時代」にどんな戦いを見せるか、本当に興味が尽きない。
「これからの十年」が面白い第二の理由は、現代将棋の進化のスピードがますます上がり、将棋とは何ぞやということについての研究がものすごい勢いで加速していることだ。その過程で、昨年は後手勝率が五割を超えたりと(後手の1176勝1164敗、今期も5/24まで後手の123勝120敗)、これまでの「将棋は先手有利のゲームなのだろう」という常識を覆す事象が見られるようになった。
『あの……何と言えばいいのか、今の私たちがやっていることって、ある種、学術的な感じもするときがあるんです。棋士の人たち、ゲノムかなんかの解析をやってるんじゃないか、と思うときもあります。(中略) なんか、ある手について「よし、ここは解析終了した」とやっているような(笑)。(「シリコンバレーから将棋を観る」第七章)
とは羽生さんの言葉だが、本当にこの先、現代将棋にどんな進化が見えてくるのか。本当に面白い。
そして第三の理由は、コンピュータ将棋がとにかく強くなってきたことだ。ついに人間対コンピュータの最高峰の戦いが、いよいよ射程に入ってきたのである。そしてそれには2009年1月28日の事件が深く関係している。
事件とは、最強ソフトの一つ「ボナンザ」のソースコードが公開されたことである。ソースコードが公開されると、世界中の誰もが自由に「ボナンザ」の思考の中身を学び、そこに改良を加えてその成果を世に問うことができる。結果として、開発の切磋琢磨が激しくなって、進歩が加速されていくのだ。その証拠に、ソースコード公開からわずか三か月後に行われた第19回世界コンピュータ将棋選手権(5月)では、ボナンザに学んだボナンザ・チルドレン(コンピュータ将棋に詳しい勝又六段の言葉)が、上位を占めてしまった。そして今も、日進月歩のスピードで強くなっているのだという。
第二の理由で述べた棋士たちの現代将棋を究める営みの成果をも、着々とコンピュータも学んで日に日に強くなっている。もう間違いなく「これからの10年」のうちに、人間の最高峰対コンピュータの戦いがあるだろう。将棋ソフトの開発者の鼻息もかなり荒くなってきた。
第19回世界コンピュータ将棋選手権で準優勝した大槻将棋の大槻知史さんは、自戦記でこう書いている。
『あくまで直感に過ぎないが、来年の選手権では、とてつもないものを見られそうな気がする。おそらく棚瀬さん、鶴岡さん、山下さん達がとんでもないソフトを投入してきそうな予感がするのである。そして、おそらく優勝ソフトの実力は、遂に完全なるプロレベルに到達する、と予想しておく。X-dayは静かに、そして確実に近づいている。』
X-dayを迎えるとき、人間たる棋士たちの「四つの世代」のどの世代の誰が、最強コンピュータソフトを迎え撃つことになるのか。そしてその勝負のゆくえは? そして長い目で見た時に、トッププロ棋士とコンピュータはどういう関係を築いていけばいいのだろうか。知的興味は尽きない。
ところで私は、自分が書いた本のウェブ上での感想をすべて読んでいるのだが、「シリコンバレーから将棋を観る」への面白い感想のひとつに、「将来、将棋でもコンピュータが名人に勝つ日が来るだろう。そのときには、その棋譜を多少なりとも理解したい」と書き、だからこれから将棋の勉強を始めるのだ、と宣言していた方がいたが、世の中には本当に色々なきっかけで将棋への情熱に目覚める人がいるのだなあと思った。
そして第四の理由は、そういう諸々のプロセスが、ネットをフル活用して、将棋ファンの誰もが、観戦・観察・鑑賞できる時代になったということである。技術的にはもう何年も前からできるようにはなっていたが、将棋連盟、主催者の理解が進んだことが大きい。
ちなみに今日は、将棋連盟と産経新聞社がネット中継を共催することになった記念すべき第一局である。とても贅沢なことに、深浦王位がネット中継の解説だけのために将棋連盟からここ新潟に派遣されているのだ。
しかも、棋譜中継のコメント入力は「烏」こと後藤元気(ごとげん)さん。後藤さんは観戦記者でもあり、「高勝率者同士の対決」という羽生木村戦の観戦記も過去に書かれている。興味のある方はグーグル検索して読んでみるといいと思う。控え室には青野九段、藤井九段、飯塚六段、深浦王位が揃い、彼らの情勢判断や手の意味の解説や「次の一手」予想などは、後藤さんがリアルタイムで棋譜コメントとして入力していってくれる。
後藤さんとは、彼のブログのコメント欄で、以前こんなやり取りをしたが、
『6月9日新潟で (梅田望夫)2009-05-15 10:28:32
昨日、連盟に行きました。棋聖戦第一局新潟でご一緒できそうだと知りました。よろしくお願いします。お会いできるのが楽しみです。』
『Unknown (ごとげん)2009-05-15 12:23:14
梅田さん、見る側も伝える側も最高に楽しい一日にしたいですね。こちらこそよろしくお願いします。』
今日、僕がこれから書くウェブ観戦記は、棋譜中継の彼のコメント欄の充実と一緒になって一つの成果になる、そんな性質のものと思っていただきたい。
そんな中、特に今日の僕の仕事は、解説役の深浦さんの将棋知性を、広く一般にわかる形で何とかまとめていく努力をすることだろうと思う。「次の一手」を考える以外に、将棋をもう少し俯瞰して眺める楽しさについて、深浦さんと一緒に追い求めてみたい。
たとえば、木村挑戦者は、週刊将棋2009/6/10号で、
『私はねじり合いが好きなのですが、羽生名人はもっと好きみたいです。いつもそれで飲み込まれてしまっているのかもしれません。』
と語り、五番勝負の見どころはと問われて、
『やはりねじり合いでしょうか。一直線には終わらない迫力ある攻防をご覧いただきたい。』
と語っていた。羽生さんも昨日、高島屋に着いた直後のインタビューに答えて、
『面白い迫力のある将棋を指したい』
と語ったが、同じ意味のことのように思える。どうも「ねじり合い」ということが、この第80期棋聖戦の大きなテーマのようだ。でも、「ねじり合い」っていったい何なのか。ちゃんと「指さない将棋ファン」にもわかる言葉で、実際の将棋を見ながら、これがねじるということなんですよ・・・というような解説は、あまり聞いたことがない。「深浦さん、明日はそんなこともよろしくお願いしますね」と昨日頼んだら、前夜祭のスピーチで「これから、ねじり合いをどう説明するか、一晩、考えます」と、深浦さんは宣言してくれた。
将棋というのは、難解で奥が深い。だから面白い、というのは事実だ。でも、皆が力を合わせて、何とか一人でも多くの人にその本質をわかってもらおうと一生懸命努力すれば、もっともっと広く普及できるものだ。僕はそう心から信じているのだ。