2010年10月26日 (火)

10時10分すぎ。空調を調整するため、読売新聞の西條記者が対局室へ向かう。両者とも一瞬は意識が盤から離れたのか、笑みがこぼれる。長い長い二日間の戦い、つかの間の休戦。

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(モニタによる対局室の様子)

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図は10時頃の局面。戦型は相矢倉(あいやぐら)へ進んだ。羽生名人の囲いが「矢倉囲い」で、両者この囲いに入って戦うことから相矢倉と呼ばれる。相矢倉の定跡は、幾多の棋士による、数えきれないほどの実戦を経て洗練されてきた。相矢倉を目指す序盤24手は「矢倉24手組み」と呼ばれ、この戦型の基本図となっている。もちろんこの24手組みも、時代と共に徐々に変化してきた。

「現代矢倉の基本の24手になりました。ここから▲3七銀が最も採用率が多いです。現在はまた▲6八角の森下システムも増えています」(所司和晴七段)

ここが先手にとって第一の作戦の岐路。▲3七銀と上がれば、長い歴史を持つオーソドックスな形になる。いっぽう、3七に使う駒を銀か桂か決めずに保留し、▲6八角と上がって玉の入城(▲7九玉~▲8八玉)を急ぐ形は、「森下システム」と呼ばれる。森下システムは森下九段が実戦で連採し、好成績を挙げたことからこの名が付いている。

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(青野九段が何やら将棋?の盤駒のようなものを取り出している)

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(森下九段。「大将棋、大大将棋、摩訶大大将棋……」と、将棋の種類を数え上げる)

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(禽(とり)将棋。「燕(つばめ)」は将棋でいう歩で、「二歩」までは許されている。「三歩」は禁じ手)

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