カテゴリ「第35期竜王戦決勝トーナメント」の記事
右玉模様から積極的な桂跳ね
先手は銀冠、後手が右玉模様で一段飛車に組み直しました。△4五桂は15時ちょうどに指された手で、後手から打開を図っています。
先手は矢倉
先手は矢倉に構えました。上部に厚い形にしたのは、△6四銀から△7五歩の動きを警戒したからでしょうか。△6四銀以外だと△6四歩や△6二銀、△5二金からの囲い合いが浮かぶところです。
実戦は、47分考えたすえに△8四歩と突きました。後手は5三の銀の動きを保留して、先手の様子を見ています。
対局再開
昼食休憩時の特別対局室
昼食休憩
12時、図の局面で山崎八段が17分使って、昼食休憩に入りました。消費時間は▲永瀬43分、△山崎1時間4分。昼食注文は、永瀬王座が「肉豆腐(キムチ)弁当」(鳩やぐら)にチーズをトッピングしました。具材はキノコかコンニャクを選べ、永瀬王座はキノコにしています。山崎八段は「豚しゃぶ(梅しそ)弁当」(鳩やぐら)。対局は12時40分から再開されます。
江戸時代の向かい飛車
山崎八段は向かい飛車に構えました。
実は、銀2枚を並べる形は江戸時代にも指されています。当時の将棋指しで、のちに「幕末の棋聖」とうたわれた天野宗歩が「精選定跡」として発表したのが下図です。
端歩をのぞけば、後手の形はまったく同じですね。さて、なぜこの形が指されていたのでしょう。
江戸時代は「5五の位は天王山」といわれたように5筋の位を重んじたため、▲5六歩には△5四歩と突き返すのが主流の大局観でした。そのため、銀を5三に移動させて中央を厚く構えるのが当たり前の感覚だったのです。現代のように振り飛車+美濃囲いが当たり前になったのは、戦後に大山康晴十五世名人が活躍してからでした。
実戦に話を戻しましょう。△2二飛に永瀬王座は▲3七桂と応じています。
△4五歩に▲同桂を用意した手です。▲3七桂に代えて▲6八玉だと、△4五歩と角道を通されました。▲6六歩が間に合っていないのを見越したて手で、△4五歩に▲7七銀だと左美濃が崩れ、対振り飛車の好形が消えてしまいます。
▲3七桂に△4二角▲6六歩と進みました。お互いにじっくり陣形を整備する展開になりそうです。
やはり力戦形
永瀬王座の先手で、初手から▲2六歩△3四歩▲7六歩△4四歩と進みました。4手目△4四歩は居飛車と振り飛車を含みにする出だしで、山崎八段は7月に3局指して2勝1敗です。竜王戦の決勝トーナメントで、稲葉陽八段に勝った将棋も4手目△4四歩でした。
力戦を好む山崎八段は、△3二金を省略したまま駒組みを進めています。11時前、永瀬王座は▲7九角と引きました。自然なのは△3二金ですが、金上がりの省略を生かすなら△2二飛も考えられます。
次に▲6八玉と囲ってくれば、△2四歩▲同歩△同角といきたいところですが……。
以下▲7七玉だと△6八角成▲同角△2八飛成の素抜きや△7九角成▲2二飛成△8八角と一気に迫る手が気になりますが、▲2四同飛△同飛▲1五角△2五飛打▲7七玉△1五飛▲2四角とアクロバティックな切り返しが成立しそうです。なので、▲6八玉には△4五歩や△6二玉と進めることになるでしょうか。