■明智光秀■
明智光秀は「本能寺の変」で主君の織田信長を討ち、謀反人のイメージで語られることも多いですが、連歌や茶道にも造詣が深く、かつての所領であった福知山では、城下町の建設にともなって治水対策に尽力し、税の免除や楽市楽座を設けるなど経済の発展に力を入れ、善政を行った君主として慕われています。
その政治的手腕は、最先端の教養と知識を備えた人物とされ、信長に仕える前の出自や経歴については不明な部分が多いものの、流浪の中で学問、鉄砲の技術、城攻めなどの戦略や知識を重ねていったと考えられています。
(福知山城内には明智光秀に関する多くの資料が展示されている)