2008年10月の記事

2008年10月19日 (日)

 米長邦雄会長と佐藤康光棋王が継ぎ盤で、検討をしている。実は、今回の竜王戦、渡辺、羽生の両対局は当然だが、佐藤棋王もパリに来ている為、将棋界七つのタイトルのうち、六つが日本を離れ、このパリにあることになる。24dsc_0131

23dsc_0131_2  パリ市内を歩くと、至るところにカフェがあり、それがパリ市民の日常の一部であり、気取らず、ごく普通に利用されている。それがまた、実に味わい深く、現地の人から見れば、当たり前の光景だろうが、私からすれば、パリのエスプリを一番感じる光景である。左写真は、ソルボンヌ教会とカフェの風景。

 さて、パリの中心部では、毎週水曜日に将棋の会が開かれている。パリに到着した15日の夜に佐藤棋王、早水女流二段らがフランス人の将棋ファンが集まるカフェを訪ね、指導対局を行った(右写真)。カフェでの将棋。ちょっと粋な光景。21dsc_0131_3

 午後4時過ぎ、△3三桂が指された。

 控え室の佐藤棋王と米長会長によれば「ここで▲9九玉とやります。もう一手▲6八金引と指されたら、後手からはもう手が出せません。△3三桂を指した以上、羽生さん、ここで仕掛けるかもしれませんね。」

 どうもここが今日の勝負どころのようだった。二人の検討の手順を記憶して、羽生さんが指すまで、横に居ようと思い、私は対局室に入った。ちょうど渡辺竜王が▲9九玉と指したところで、羽生さんがあぐら姿で盤面を凝視しながら考えているところだった。

 入室した瞬間、何かが違うと思った。

 何だろう、何だろう、と私は思いながら、二人をさらに見つめた。

 そしてわかった。

 渡辺さんから若い精気のようなものがあふれ出ているのである。

 そして羽生さんからは成熟が匂い立ってきているのだ。

 少年時代から故・大山名人似だとも称され、若いけれど老成した印象の渡辺さんからは、十代の修行僧のような雰囲気がみなぎっていたのに対して、昔から変わらぬ若々しい風貌の大スターたる羽生さんからは、大人の風格があらわれていたのだ。二人の14歳という年齢差が、はじめて腑に落ちた瞬間だった。

 やはりこれは世代間対決なのだ。

 羽生さんは険しい表情で、27分考え続け、4四の銀をつまみ、5三に引いた。

 「仕掛けてこい」という先手の誘いに乗らず、じっと銀を引き、若き渡辺に手を渡したのである。渡辺さんは△5三銀を見て、盤にかぶさるようになって、あぐらをかいた。羽生さんは扇子で激しく自らの顔をあおぎ、少し疲れたような表情を見せた。私は席を立った。

 控え室に戻って棋譜コメントを読んだら、米長さんのこんな言葉が書かれていた。

 『「大変失礼いたしました」と米長会長。「これは▲6八金と引かれておもしろくない、という大局観が良くなかったのでしょうかね。普通はここで動きたいと思うところを、じっと引いたのがすごいところですね」』

 渡辺さんは長考に入った。

 いま30分考えたところで、午後5時10分。封じ手まであと50分だが、このまま考え続けて封じるかもしれない。

 これは、正真正銘の青と壮の戦いなのだ。

 
2008年10月18日 (土)

22dsc_0131  日本棋院の小林千寿五段がいらっしゃって、米長会長と歓談。小林さんは、国際交流基金の棋士派遣プロジェクトでパリに滞在中。今回の予定は、7ヶ月。将棋では、本間博六段が同様にフランスとイギリスに派遣されていた。

 パリ日本文化会館で、囲碁教室があったので、米長会長が教室を勉強がてら中川館長と昼を食べ、これからの将棋普及をお願いにあがった。

 というわけで、これからフランスにおける将棋の普及と発展が見込まれるだろう。

 写真左から、中川夫人、米長会長、小林千寿五段、中川正輝館長、佐藤康光棋王。

 フランスでも、将棋に熱心なファンが多い。アマチュア大会を竜王戦第1局と併せて同ホテル内で開催している。

 佐藤紳哉六段がこの大会の審判長であり、明日の大盤解説の解説も担当している。佐藤紳哉六段は、先ほど、驚いた様子でフランス人の将棋に対する熱意を語っていた。黙々と、将棋を指すことにみに専心し、緊迫したムードが会場全体に漂っているようだ。19dsc_0131 20dsc_0131

 午後3時半時点、42手目△6二金で、盤面はやや膠着状態になっている。

 「手が狭い将棋になっていますね」「千日手にはしないでしょうけれど、それは私の思想ですから、わかりません」とは佐藤棋王の解説である。竜王戦規定では、二日目の午前中までに千日手になった場合は、少し休んで指し直しをするとのこと。ただし二日目午後に千日手となると、協議によって、その後どう進めるかを決定するようだ。

 「次の手とその次の手は、かなり難しいです。私には▲6八金引しか見えません」とは佐藤さんの予想だったが、先手の渡辺竜王は▲9八香。「おっ、本気出しましたね」と佐藤さん。渡辺竜王は、「自己評価は」と「週刊将棋」誌インタビューで問われて、

 『現代的といえば現代的でしょうね。戦い方の優先順位として玉の固さを重視するところですか。固めるのが好きなのでわかりやすいのでしょうね。手口がばれている(笑)』(10月15日号)

と語っているが、やはり玉を固めに行った。

 「穴熊どうやって組むんだろうな、バランスが悪いですからね。でも、羽生さんは、穴熊は阻止するでしょう」と佐藤さんがつぶやいた。羽生挑戦者はここでどう出るのだろうか。昼食外出から戻った米長会長が、この局面を凝視。「羽生は△5五銀と△6九角を考えていて、結局はやめるだろう」、と予想。

 羽生挑戦者、長考に入るかもしれない。

 

 ところで、羽生さんと渡辺さんは14歳違いである。

 そして竜王戦パリ対局が行われるのは、14年ぶり。(1994年、佐藤康光竜王対羽生善治挑戦者)

 つまり、羽生さんが今の渡辺さんとほぼ同い年の頃に、やはり竜王戦でパリに来ているということなのである。

 渡辺さんは今、ブログを書いていて有名だが、14年前といえばまだインターネットは萌芽期も萌芽期。一般に日本でインターネットが使われ始めるのは1995年のことで、ブログなどもちろん存在していない。

 しかし、羽生さんは当時、ブログを書いていたのだ。

 紙上ブログと言えばいいだろうか。

 「将棋マガジン」という月刊誌に、月に一回、日記連載をしていたのだ。

 そしてその連載が、ほぼ無修正で「好機の視点」(小学館文庫)という本に、2003年にまとめられた。これがなかなか面白く、この本を読み、渡辺さんのブログを読むと、二人の性格的な違いがよくわかることだろう。

 そしてその文章を、いま38歳の羽生さんは少し恥ずかしがっている。

 『この本は私が二十代前半の時に「将棋マガジン」という雑誌に連載していた物をまとめたものです。

 今、振り返ってみると恥ずかしい部分も多く、封印をしてしまいたい気持ちです。

 その理由はいくつか有るのですが、まず指している将棋が若いと言うか粗い印象があります。

 色々な作戦、戦法を試している意味もあったのですが、現在の目で見ていると無謀に近い棋譜も数多く見受けられます。

 それから対局に追われていたからでもあるのですが、あまり深く考えずに原稿を書いていて、一回の連載の量としては多くはないのですが、毎回、もがくような感じで書いていた事も思い出しました。

 しかし、棋譜も原稿も自分がその時に歩んできた足跡であり、今回、このように一冊の本として出版が出来る事を嬉しく思っています。』

 羽生ファンの方はぜひ書店で探されるといいのではないかと思う。

 ひょっとしてパリの感想、書いていないかなあ、と探してみた。あった、あった。筆写しておこう。

 『事前の情報ではパリはかなり寒いと聞いていたのでセーターやコートを持っていきましたが、到着の日には気温が二〇度もあって、まったく予想外でした。

 写真撮影なども兼ねて、凱旋門やルーブル美術館、モンマルトルの丘など、いわゆる観光の定番といわれている所に行ってきました。

 そこで特に感じたのは歴史の厚みの違いで圧倒されたことと、ヨーロッパのほうでは歴史的に価値のあるものは残していく心が、日本のそれよりも強くあることで、街並みや雰囲気は昔から変わらないのでしょう。

 それと比較すると日本は十年もすれば同じ場所かどうかわからなくなってしまうこともあるわけで、文化の違いなのでしょう。

 良き伝統を残してゆく精神と常に新しく、より良い物を作ろうという精神、チェスと将棋の生い立ちにもこれがかなりの影響を与えているのでしょう。(p160-161、1994年10月)』

 羽生さん、24歳のときのパリの感想である。

 

2  39手目に、渡辺竜王は37桂と跳ねる。この手は、検討陣の意表をつく一手。簡単に言ってしまえば、渡辺竜王は、ここで羽生名人の指し手が難しい為、様子を見ましょう、とのこと。単に▲88玉だと、△65桂といったような手が少し、気になる。

 一旦、▲37桂とし、そこで、羽生名人が△72玉ならば、△65桂のような仕掛けは、しにくくなる。そこで、▲88玉とする、といった意味がある。

 非常に細かい応酬であるが、こういった積み重ねによって、トップクラスの「将棋」は、成立しているのだ。

 解説役の佐藤康光棋王に、昼食休憩、28手目△4四銀の局面での「5級向け解説」と「初段向け解説」と「五段向け解説」をお願いした。以下、佐藤棋王の言葉です。

 

「5級向け解説」

 陣形をみてわかるとおり、先手渡辺竜王は玉を▲7七銀▲7八金▲5八金でしっかりと玉を守っています。「玉の守りは金銀3枚」というのは将棋の格言通りです。あと攻める駒が右辺ですね。守り駒が左辺、攻め駒が右辺。後手の羽生挑戦者のほうの陣形は、まだちょっと微妙なところなんですね。なんというか、基本的に、相手の攻めを見て反撃するので、はっきりした守り駒攻め駒という区別はついていないです。……これ、五級向けになっているかな?

 でまぁ、渡辺さんとしては攻め込みたいんですけれども、こういうときは▲1五歩、△同歩、▲同銀といきます。数の攻めですから、銀を前に進ませるには、▲3五歩は同歩とただで取られてしまって、それ以上は前に進めないですね。ですから▲1五歩から進めることになりますけれども、▲1五歩、△同歩、▲同香といくと、もし△同香と取ってくれれば▲同銀と前に進めますが、△同香と取らずに後手に△1三歩と受けられて、やはりそれ以上、銀が前に進めない。そこで、攻めるとしたら▲同銀と銀でいくのが、棒銀でよくある攻め方です。△同香なら▲同香といって、銀香交換で駒損なんですけれども、端を破れそうなので、そうやって攻めるのが棒銀戦法のひとつの狙いになります。

 ……というのが五級向け。実際は渡辺さんはそう攻めないと思いますが、初級者のアマチュアの方はそうやって攻めるのがわかりやすいのでおすすめです。

 

「初段向け解説」

 五級向けだと、先手渡辺竜王持ちですよね。あきらかに。五段だと、いい勝負。初段だと……先手持ちなのかな。初段向け解説、難しいですね。

 あっ、初段向けの解説、ひとつ思いつきました!

 ここで先手が▲8八玉と入るとどうなるでしょうか。▲8八玉とあがると、後手にうまい手があります。△8五桂と跳ねる手があるんです。いやー、これいい解説だね、自分で言っていても!(笑) 羽生さんが飛車を引いたばかりだからいいんですよ。

 先手は玉を囲いたいんですよ。玉はしっかり入城しないといけないので、▲8八玉と矢倉囲いにしたいのですが、この局面でそうすると、それは後手の狙いにはまって、△8五桂。以下▲8六銀と逃げると、△5五角と王手飛車が来るわけです。角打ちですね。王手飛車がかかると、これはダメですね。△8五桂に対して▲6八銀と引いても、△5五角で王手飛車です。△8五桂には▲6六銀と上がるしかないのですが、そこで△6五歩が、続く好手です。以下、▲同銀ととれば、△5五角と打たれて王手飛車となります。

 あらかじめ後手の羽生さんが△8一飛車と引いているんですけど、この手が生きてくるんですね。飛車を引かずにこの局面になっていると、先手が▲8八玉とあがって△8五桂と跳ねたときに、先手の▲7三角が王手飛車。逆に、後手が王手飛車をかけられてしまいますね。△8一飛車にはそういう深謀遠慮の意味があります。

 先手がこの局面で▲8八玉と上がる場合は、まず角の利きを遮断して、つまり、いったん▲6六歩と突いてから▲8八玉と上がるのが手順です。▲7七銀という一枚だけでナナメを遮断しているが不安があるので、▲6六歩と突いて二重に遮断してから▲88玉と上がるのが、手堅い手順なんですね。

 おお、初段向けのいい解説が、できたできた!(笑)

 

「五段向け解説」

 前例のあまりない局面ですね。類似形はあるんですけれど。一手損角換わりでは少ないです。

 羽生さんは右玉ということになりそうですが、渡辺さんの棒銀は、一気に攻めつぶそうというのではなく、羽生さんの右玉を誘ったことに満足し、銀を3七に引いて使って、これから駒組み勝ちを狙う、ということだと思います。玉の固さで勝つ展開を狙っている。穴熊もあり得ます。

 午後は一手一手が微妙なので、あまり手が進まないかもしれません。

 渡辺さんは▲3七銀と引いて、次に飛車先を交換しようとするでしょうが、羽生さんはそれを許さないでしょう。

 普通の角換わりでこういう将棋はよくあったんですが、後手の飛車先の歩が違うんですね。後手が右玉にしたときの飛車先の歩が、8三がいいか8四がいいか8五がいいか。それぞれいろいろあるのですが、8三だと反撃力がなくて先手が安心なので、いずれ8四歩を突くと思います。

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写真は16日午後ノートルダム大聖堂をバックに撮影。