淡路島は瀬戸内海東部にある島です。北端は明石海峡大橋で兵庫県明石市に、南西部は大鳴門橋で徳島県鳴門市とつながれています。
島内の行政区分は長らく1市10町が保たれていましたが、平成の大合併で最終的に(北から順に)淡路市・洲本市・南あわじ市の3市にまとめられました。
淡路島出身の有名人は作詞家の阿久悠さん(洲本市)、俳優の渡哲也さん(淡路市)、渡瀬恒彦さん(淡路市)。スポーツ選手ではプロサッカー選手の加地亮選手(ガンバ大阪・南あわじ市)なども出身。将棋界ではおなじみのカメラマン、炬口勝弘さんは洲本市(旧五色町)在住です。
対局が行われている「ホテルニューアワジ」は洲本市(旧洲本市域)にあり、大阪湾側に面しています。
淡路島は古事記・日本書紀の冒頭から登場する由緒ある島。古事記には大地が固まりきらない状態だった頃に、イザナキとイザナミの神が天界と下界をつなぐ天の浮橋に立ち、天の沼矛(玉で飾られた神聖な矛)をおろして「コロコロ」とかき混ぜ、揚げた矛の先から滴り落ちた海水が積もり積もって島になったと書かれています。これが「淤能碁呂嶋」で、現在も南あわじ市に「おのころ島神社」があります。
その後、2柱の神(柱は神を数える単位)から「大八嶋国」(おおやしまくに)が生み出されました。そのうち最初に生まれたのが「淡道之穂之狭別嶋」(あわじのほのさわけのしま)です。
「阿波路」が「淡路」に転じたという説もあり、都から阿波(徳島県)に行くルートとしても使われていました。大阪市内の「淡路」という地名は、太宰府に流される菅原道真が淀川の中州に降り立ったときに淡路島に着いたと勘違いした逸話から名づけられています。
淡路島は五畿七道の分類では紀伊(和歌山県)、四国とともに「南海道」に属していました。現在直接の航路はありませんが、和歌山市加太港と淡路島の由良港は直線距離が短く、往来に利用されていたようです。
(ホテルから見える瀬戸内海。晴れていれば向こう側に和歌山県が見える)
廃藩置県の際には初め徳島県、後に名東県(現在の淡路島と徳島県)に属した後、名東県のうちの淡路島部分が1871年(明治4年)に兵庫県に統合されました。
淡路島は平地が少なく丘陵が多い地形ですが、「淡道之穂之狭別嶋」に「穂」の字が入っているように稲作の盛んな地で、棚田が島内の象徴的な風景です。
ホテルニューアワジの大浴場はこれらにちなみ「くにうみの湯」「棚田の湯」と名付けられています。「棚田の湯」にはなんと、田んぼがあります。
島内の名産品は玉ねぎ、牛乳など。海を挟んだ明石市の「明石ダコ」が有名ですが、淡路島でももちろんタコは獲れます。また瓦作りや人形浄瑠璃も知られています。
棋聖戦の淡路島対局は1996年に初めて指されました(第67期第1局、羽生善治棋聖-三浦弘行五段)。前年1月に阪神淡路大震災が起こり、復興を目指した地元からの誘致がきっかけでした。島内の北淡町(現淡路市)には震災で野島断層が現れ、現在は「北淡震災記念公園」として断層がそのまま保存されています。
五番勝負は三浦五段が制し、羽生七冠王の一角を崩したことでも話題を呼びました。三浦棋聖は賞金の一部を実行委員会を通じて寄付し、地元ではその寄付金で将棋盤駒を購入し、小学校などに寄贈したということです。以来毎年棋聖戦が行われ、今年で15回目になります。
参考文献
古事記・日本書紀を知る事典 東京堂出版 武光誠著
面白いほどよくわかる古事記 日本文芸社 吉田敦彦監修 島崎晋著
淡路島物語 国書刊行会 角田直美著
徳島・淡路と鳴門海峡 吉川弘文館 石躍胤央編
兵庫県の歴史 山川出版社 今井修平・小林基伸・鈴木正幸・野田泰三・福島好和・三浦俊明・元木泰雄著
(翔)