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~奥出雲より~ 梅田望夫氏、第81期棋聖戦第1局リアルタイム観戦記

2010年6月 8日 (火)

【梅田望夫観戦記】(7)未来の将棋観戦の方向性を探る実験

 今日の将棋はここまでお伝えしてきたように、午後の早い時間から「計算の世界」に突入。

 ある手を考え、詰みまで深く読んではその手を捨てたり残したり、また別の手を読み……、ということを延々と繰り返しながら、指し手を決めていく将棋になった。こういう将棋は、大盤解説をリアルタイムで鑑賞しながら観るのに、特に向いていると思う。

 幸いなことに、今日はこれからネット上で「ライブストリーミング大盤解説会」という、新しい試みがある。動画共有サービス「Ustream」上の このページ にアクセスすることで、家に居ながらにしてプロ棋士による大盤解説を楽しむことができるのだ。

 米長会長のサイトでも、「近頃は西尾明君が何やら新しいものを持ち込んできました。棋聖戦第一局を本人が独自の中継をするんだとか。若い人達が大勢で電子メディア部を盛り立ててくれています。感謝。電子メディアこそ、私の若い人への最大の置き土産です」と紹介されているが、これは西尾五段が構想した、今日初めての試み。野月七段、飯島六段、佐藤(和)五段のほか、チャット解説の飯塚七段も参加する予定とのこと。

 Ustreamを使えば、誰もが自由に動画を配信する「放送局」になれる。また、Ustream上のライブ中継には、Twitterなどのサービスとの連携によって、チャットのような感覚で、視聴者もインタラクティブに参加することもできる。そんな新しい技術を、将棋観戦にも応用していこうという動きだ。

 視聴者は「ライブストリーミング大盤解説会」を観ながら即座にコメントし、中継する側も、その瞬間ごとの視聴者のリアクションを観ながら、内容に反映していったりする。プロ棋士の解説を聴くだけでなく、質問を投げかけたり、一緒に視聴している見知らぬ誰かと感想を述べ合ったり……。かつて、テレビやラジオの番組にハガキやFAXで感想を投稿したようなやりとりを、世界中のどこからでも「生」の状態で楽しめる。ただ一方的に解説映像を観るという以上の楽しみがあるはず。

 そういう未来の将棋観戦の方向性を探る実験が、これから行われる(※15時から、途中休憩あり)。どうぞお楽しみに。

【梅田望夫観戦記】 (6) 昼食休憩時: 井上慶太の局面の考え方

梅田: 今の局面(▲2二歩の局面)の考え方を、できるだけ初心者にもわかるように教えてください。

井上: まあ、角換わり先後同型の戦型から、先手が攻めて後手が受けるという流れだったんですけど、▲2二歩の局面では、後手の考え方として、もう受けきって勝つというよりかは、攻め合いで勝つという流れです。後手としては玉を飛車の方向(7筋8筋)へ逃げてくると、6三金とかの現在離れている金や銀が応援に働いて、厚みのある、手厚いところに逃げ込めるので、△同金ととって、▲3三銀と使わせて、△4一玉と早逃げするのか(中田新手)、それともいきなりすぐに△4二玉と逃げるのか。その選択ですね。

梅田: 「受けきって勝つより攻めあいで勝つ流れ」とおっしゃった意味は、7筋8筋に逃げていくのは攻め合いのスピードを遅くさせるという意味であって、それで受けきれるわけではない、逃げてもいずれつかまる、でもそのスピードを遅らせて、その間に攻めなきゃいけない、という意味ですか。

井上: そうですね。ただ、後手の攻め方というのもですね、△4九馬から△5八馬というのが一般の、普通の……馬を活用しながら先手陣の守り駒を攻めるんですけどね。その手順の中で△7六歩、▲同銀、△7七歩とか、先手陣を歩の突き捨てなどの手筋で乱すのが、どれだけ効果的か。先手が歩切れなので、羽生さん(先手)にあんまり歩を渡したくないところもありますし。歩によっての先手陣のかく乱などの組み合わせが、難しいと思いますね。歩を渡すと、先手からの新しい攻め筋もできてしまう。たとえば▲7四歩とかが、この局面でしたら先手から攻め筋があります。歩を渡すとね、そのへんが非常に難しいと思いますね。

梅田: このあたりでの一手の選択というのは、もう、詰みまで読まなければならないということですか。

井上: 矢倉とかでしたらね、ちょっと一手甘い手があっても、なんとなく先は長いんですよね。ある種の大局観で指せるというか。でもこの将棋の場合は、大局観というより、読みですね。計算の世界です。必死かけて、詰むか詰まへんかという局面になりやすいですよね。

梅田: 角換わりの将棋はそういう性格ということですか。

井上: この同型は、特にそうなりやすいですね。

梅田: 終盤の計算に自信のある人がこの戦型を選ぶんですね。

井上: 谷川さんなんかその代表じゃないですかね。谷川先生だったらどうですかねえ。まあ先手のほうが好きそうですけどね。

梅田: ここ数ヶ月、角換わり同型の後手が苦しいんじゃないかというコンセンサスがあったようですね。

井上: そうですね、2月の渡辺佐藤戦ですかね、それまではずっと同型の将棋を指されてましたけど、それ以来、渡辺さんもやめてますよね。そういう話もあったので、先手がこの局面は指せるのかな、というふうに皆、感じていたのではないでしょうか。

【梅田望夫観戦記】 (5) 昼食休憩時: 米長の目

 ただいま昼食休憩の局面。▲2二歩で後手深浦長考のまま昼食休憩に入ったところ。

 米長会長とランチを食べながら、いまの局面について話を聞いた。

 「深浦王位がこの局面に誘導したのに、ここで長考に入っている理由がよくわからない。ここは△同金と取る一手だろうと思うから、それを指して、羽生が▲3三銀か▲4五桂のどちらを指すかを見てから長考すべきではないか。羽生は素人っぽい手を指すから▲3三銀かもしれないが、私なら▲4五桂と指したいところだ。」

【梅田望夫観戦記】 (4) どちらがどこで研究手を放つのか。

 副立会の井上慶太八段が大盤解説場から戻った合間にお話を聞いた。

 6月1日、つまり一週間前に指された飯塚中田戦の66手目の△4一玉が、いま角換わり同型でいちばんホットな富岡流と呼ばれる戦法における新手で、そのあとの展開をみるに△4一玉で後手が指せるみたいな気がする、とのこと。

 午前10時48分現在、59手目▲1一角まで超スピードで進んでいるが、おそらくこの将棋がベースになっているのは間違いないのではないかというのが控え室の見解。

 飯塚中田戦では、ここから△2八馬▲4四角成△3九馬▲2二歩△同金▲3三銀△4一玉(中田新手)と進んでいく。

 果たしてこの将棋では、どちらがどこで研究手を出すのだろうか。

 チャット解説の飯塚七段によると、

 「そういえば、その対局の感想戦を対局終了後(王位戦対戸辺六段戦)の羽生さんが見ていらしたことを思い出しました」

 とのこと。

 控室の菅井四段によると、関西の若手研究会では△4一玉はすでに研究されているようだ。「4一玉でよくなるのであれば、同型問題に新しい地平が広がる」とのこと。

【梅田望夫観戦記】 (3) 後手深浦の二手目は△8四歩だった! 角換わり同型へ。

 本日は米長会長の発案で、記録係ではなく産経新聞社住田社長による振り駒が行われた。

 五枚の歩が宙を舞い、白い絹布の上に歩が4枚、と金が1枚が出た。羽生先手が決定。固唾を飲んで最初の数手を待ったが、まず先手羽生棋聖は順当な▲7六歩。私は深浦挑戦者の手が飛車先にのびたとき、私は心の中で「あっ」と叫んだ。先ほどアップしたばかりの「二手目△8四歩問題」そのものの局面があらわれたからだ。

 そして羽生は当然という顔で「あなたの角換わり同型の研究を受けてたちますよ」とばかりに▲2六歩。もう深浦は時間をあまり使わず、すらすらと角換わり同型の定跡手順へと向かい、羽生もそれについていく。

 午前9時23分時点ですでに19手が進んでいる。

 深浦は棋聖戦挑戦者になった直後のインタビューで、

 「羽生さんは一日制の強さが際立っています。私は一日制のタイトル戦は初めてなので、思い切ってやってみたいです」
と答え、挑戦者に決まった直後に届いた私宛のメールでも

 「羽生さんの1日制の強さをゆっくり考えてみます。」

 とあった。深浦の今日のテーマは、羽生が圧倒的に強い一日制将棋に対する作戦として、「腰掛け銀同型での新発見、あるいは同型以外での角換わり対策」を引っ提げ、かなり長手数にわたる定跡手順をあまり考えずに指して時間をセーブすることで、一気に二日制将棋の二日目のような状況に持っていこうとしているのではないか。

 「変わりゆく現代将棋」に収録された羽生との対談は、昨年の11月、竜王戦第三局、角換わり同型で一日目で終盤近いところまで進んだ将棋の二日目の夕方に行われた。

 羽生はその将棋を見ながら、

 「そうですねえ。最近はタイトル戦でも終盤の70手目、80手目まで前例のある将棋とかがありますよね。もし、ああいった将棋が増えてくるならば、それは2日制というルールとマッチしているのかな、と思うことはあります。逆に持ち時間を短くして7番勝負じゃなくて、15番勝負くらいでやるのも、面白いんじゃないか、ということをちょっと思ったりなんかはします。」

 と語った。ここはゲラ校正段階で一般化のために少し手が入ったところで、当日の羽生は、竜王戦第三局・角換わり同型の将棋(今日のこの将棋)の話をしていたのである。

 羽生としては、深浦の注文通りに、定跡手順を素早く指して、角換わり同型の最新研究の戦いに持ち時間の大半を投入するつもりであろう。

 午前9時41分段階で34手目まで定跡手順で進んでいる。

 この将棋、じつは今日のチャット解説の飯塚七段が、6月1日に対中田宏樹八段戦(棋王戦)で、飯塚先手でこの将棋を指している。今日のチャット解説に大いに期待したいと思う。

【梅田望夫観戦記】 (2) 二手目△8四歩問題と将棋の進化の物語

 まもなく始まる棋聖戦第一局のオープニング直後を楽しむための補助線を一つ用意したいと思う。

 あるインタビューで「将棋を観る楽しみ」とは何かと問われて、私はこう答えた。

 『「指す面白さ」とは、将棋というゲームそのものの魅力。「観る面白さ」は、もう少し別の要素が加わります。棋士の魅力、複雑で難解なものが明快に説明されて理解できる瞬間の快感、一局の将棋の無限の広がりを感じる興奮、一局の将棋に流れる物語や将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ、将棋界の伝統や文化に日本の素晴らしさを思うこと……』

 この中では少しわかりにくい「将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ」という観点から、棋聖戦のオープニングの見どころをご紹介してみたい。

 「現代将棋とは」と尋ねられて、羽生はこう答えていたことがある。

 「現代将棋では、初手から、一手一手の意味付け、手順、組み合わせ、そういった対策をきちんと考えていかなければならない」「戦型と戦型がリンクし、地下鉄の相互乗り入れのようなさまざまな形を関連付けて考えるのが現代将棋」「昔の将棋では、組み上がるまでは取りあえずお茶でも飲んでゆっくりしようかという雰囲気があったが、もう今はない」

 ただなかなか、初手からの一手一手の緊張が続く現代将棋の意味を、私たちが理解して楽しむのは難しい。

 そこで、序盤も序盤、後手の初手である二手目に注目し、後手番を持った羽生または深浦が「▲7六歩に対する二手目に△8四歩と指すか」ということを、最初の見どころとしてみたい。

 先手が角道をあける(▲7六歩)、それに対して後手が飛車先を突く(△8四歩)。ここから矢倉になったり角換わりになったり、様々な形へと将棋は変化していくもの。「▲7六歩△8四歩」は、将棋におけるオープニングの王道である。

 しかしこのオープニングの王道がじつは今トッププロ間で減っており、たとえば羽生は今年の一月を最後に一度も「△8四歩」を指しておらず、「▲7六歩に対して△3四歩」というオープニングをずっと選択しているのである。これが「現代将棋の進化の物語」の一例である。

 この二手目8四歩問題に、私が注目するようになったきっかけは、去年の11月にさかのぼる。

 去年11月の竜王戦第三局で、渡辺明竜王が角換わり同型の後手を持って森内俊之九段に快勝した翌日、日頃から仲良くしている片上大輔六段が、私に興味深い話をしてくれたときだった。

 「渡辺竜王は、角換わりの将棋は後手しか持たないのです。「角換わり同型でもし仮に先手必勝という結論になると、矢倉も指されなくなって、たいへんなことになってしまう。だから角換わり同型の後手を持って勝つことにこそ意味があるんだ」という問題意識を渡辺さんは持っていて、その思想に基づいて快勝したからこそ意味が大きい将棋だったんですよ」
えっ、矢倉が指されなくなってしまう?

 「戦型と戦型がリンク」するのが現代将棋なら、確かに一つの戦型の結論が他の戦型の出現に影響を及ぼすことも少しは想像はできる。しかし、角換わり将棋に結論が出ると、「将棋の純文学」とも称された矢倉戦法が指されなくなる(絶滅する)などというリンクの仕方があるわけか。私は「それは面白い!」と、片上に強く反応した。すると明晰な片上は、より詳しくわかりやすくこう解説してくれた。

 「二手目8四歩問題は、振飛車党や、居飛車党でも二手目に△3四歩と突く横歩取り・一手損中心の人には、それほど関係がありません。2手目が△8四歩のとき、先手には▲2六歩からの角換わりと▲6八銀からの矢倉という選択肢があるわけですが(相がかりもありますが、話を簡単にするために省略します)、そのうち角換わりは、
・戦いが始まるときの形が最も定型化されているうえに(同型以外の形は少数派)
・そのあとの戦いもかなり突きつめて研究することが可能である
という大きな特徴を持っています。だから、先手の有力な選択肢の一つである角換わりに、明快に先手必勝との結論が出てしまうと、お互いの棋士が合理的な選択をする限り、後手は2手目に△8四歩と突けないし、もし突いたとしても、先手は矢倉は目指さなくなってしまうのです。その結果を「定跡の進歩」と見ることも一面では可能ですが、そのぶん将棋の可能性が狭まってしまうことは否定できません。昔の棋士は、そういう意味では必ずしも合理的な選択をするとは限らなかったのですね。いまは「得意戦法」というフィールドを持つ棋士が少なくなりました。長年矢倉を指し続けてきた棋士であっても、かなりの人が角換わりに宗旨換えすることでしょう。2手目△8四歩党にとって、角換わり同型はずっと以前から悩みのタネでしたが、その傾向は年々強まっています。だからこそ、竜王戦という大きな舞台で、後手勝ちの結果が出たことが大きいのです。」

 と。片上がこんな話をしてくれたのが、去年の11月のことだった。

 しかしその後、渡辺は1月の羽生戦(朝日杯)と2月の佐藤康光戦(王位リーグ)で、角換わり同型の後手を持って敗れた。そしてそれ以後、「二手目△8四歩」をほぼ封印してしまったのだ(指したのは早指し戦のみ)。先ほど話題に出た、深浦相手に戦う棋聖戦挑戦者決定戦で後手番を引いた渡辺は、「二手目△8四歩」ではなく「二手目△3四歩」と指したのだった。

 去年11月からの約半年のこんな変化を踏まえて、最近、改めて片上に話を聞いた。

 「「2手目△8四歩」そのものが消えてしまうことは、到底自分には考えられませんし、半年や1年のスパンの傾向でそう断じることは全く不可能です。でも、後手番で角換わり同型は今は指せない、という感じは確かにあって、でも、それがいつまで続くか、現時点ではあまりにも不透明なのです。数年のスパンで、それが続くようなことがあれば、影響はかなりあると思います。▲7六歩に△8四歩と突いたときに▲2六歩と突く棋士はいまのところ多数派ではないですが、たとえば、これが全体の3割、4割という数字になってきて、しかも勝率が7割、8割ということになれば、△8四歩が絶滅に向かう可能性はあるでしょう。考えにくい未来ですが、羽生さんや渡辺さんは、そういうこともうっすらと想像しながら指している、とも思います。実際には人間のレベルではそこまで到達しないと考えることと、それを想像することは、矛盾しないと僕は思います。棋聖戦第一局または第二局で深浦さんが後手番になったとき、二手目△8四歩が出るのではないかと予想しています。」

 なるほど、現代将棋の水面下では、こんなことが起きているのである。

 私は、この二手目8四歩問題について最新事情について、先週、渡辺竜王とメールのやり取りをした。渡辺はこう断言した。
「角換わり同型の後手は今は苦しいんでしょう。今年度に入ってから角換わり同型は1局もありませんから。誰も後手を持ちたがらないという状況です。腰掛け銀同型での新発見、あるいは同型以外での角換わり対策がないかぎり△8四歩は突けません。先手番を持った羽生さんも深浦さんも、△8四歩に対しては角換わりと矢倉が半々、最近では角換わりに偏っていますから、今回の棋聖戦でもし▲7六歩△8四歩のオープニングならば、後手棋士に角換わり対策があるに違いありません。」
そして渡辺は「△8四歩の未来」についてこう付け加えた。

 「△8四歩の未来は角換わり次第なので、何とも言えません。角換わりの動向次第ですぐに復活することもあるでしょう。「▲7六歩△8四歩▲矢倉・角換わり」の出だしに比べて「▲7六歩△3四歩▲2六歩△変化球」のほうが、未開拓の分野が多いので、定跡形が息詰まると、どうしてもこちらに流れます。プロ将棋の歴史で見ても2手目△3四歩からの変化球がメジャーになったのは藤井システム、△8五飛が大流行した10年くらい前からです。まだ10年しか経っていないので、きちんとした定跡が出来ていない将棋が色々とあるわけです。」

 ちなみに、昨年の棋聖戦第一局(先手木村八段、後手羽生棋聖)では、▲7六歩△8四歩のオープニングからすらすらと矢倉の戦いとなった。それから一年の間に、現代将棋の最先端はこんなふうに進化している。そして、こういった諸々を含めて将棋を鑑賞するのが「現代将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ」である。

 今日まもなく始まる棋聖戦第一局は、振り駒で先手後手が決まる。

 どちらが先手になっても初手は▲7六歩の可能性が高い。果たしてそのとき、後手は△8四歩と指すだろうか。渡辺が断言するように、この二人の戦いにおける二手目△8四歩の意味は、「私は角換わり対策を用意してきましたので、それで勝負しませんか」という意思表示なのである。そしてそれに対して先手の三手目が▲2六歩なら、それは「それは望むところ、今日は角換わりで勝負しましょう」という意味だし、▲6八銀なら「いやいや、今日は矢倉を指しましょう」という意味になる。

 果たして二人の対局者は、「腰掛け銀同型での新発見、あるいは同型以外での角換わり対策」を用意して、この五番勝負にのぞんでいるのだろうか。それが、後手の初手(二手目)で明らかになる。

 

【梅田望夫観戦記】 (1) 相思相愛の羽生と深浦

 私は、昨年、一昨年と棋聖戦第一局の観戦記を書いた。しかし今年がこの二年と大きく違うのは、羽生善治棋聖の名人戦七番勝負がすでに終っており、羽生の過密スケジュールを縫うようにしての棋聖戦開幕ではないことだ。一昨年は、永世名人がかかった名人戦の終盤と棋聖戦の開幕が重なり、周囲も大いに気を遣っていた。昨年は、観戦記冒頭で「名人戦の激闘と並行しての棋聖戦開幕である。羽生さんは今年度に入ってから、11戦4勝7敗(0.364)、名人戦も郷田挑戦者に2勝3敗とカド番に追い込まれ、珍しく羽生不調説がささやかれている」と書いたように、名人戦第五局と第六局の間に棋聖戦第一局が組まれていた。しかし今年の名人戦では、羽生は四連勝で挑戦者・三浦弘行八段を退け、5月18日に名人戦を早々に終えた。棋聖戦挑戦者の深浦康市王位は、名人戦第四局が行われた福岡での前夜祭で、「ここで三浦さんに頑張ってもらわないと、羽生さんが余力を持って棋聖戦を迎えるので……」と話して会場を沸かせたが、これは深浦の本音でもあったろう。昨年同時期とうってかわって、羽生の今期の成績は10勝1敗、勝率.909と絶好調、休養十分で最高のコンディションの中、第81期棋聖戦五番勝負が開幕する。

 将棋の世界で「81」は節目の数字である。「81」は盤の升目(9×9)の数。将棋界で初めて、棋聖戦が「盤寿(数え年の81歳)」を迎えた。棋聖戦は一年に二度タイトル戦があった時期が長かったため、他棋戦よりも早く盤寿を迎えることになったのだ。盤寿を祝して昨日は、産経新聞社・住田良能社長がここ奥出雲町に駆け付けた。そして、日本将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖自らが、今日の開幕局の正立会人を務める。

 そして昨夜の前夜祭は、地元出雲のスター・里見香奈女流名人も参加して盛大にとり行われた(中継ブログ参照)。しかし、この奥出雲町の町をあげての歓待ぶりは、本当に素晴らしかった。産経新聞社勅使川原文化部長が「本日は大変あたたかい、いやヤケドしそうなくらいの歓迎をいただいて感激しております」と声をつまらせながら挨拶したほどで、隣の席の羽生棋聖も「これほど素晴らしい歓待はなかなかありません」と感激していた。また「聞きしにまさる」とはこのことか、と思ったのは里見さん人気のすさまじさだった。そして、前夜祭に列席した溝口善兵衛島根県知事以下、行政の津々浦々まで「県の宝」「市の宝」「町の宝」として里見さんをを大切にしていることが、あたたかく伝わってきた。

 前夜祭のあとも、米長会長、産経新聞社住田社長らと、伝統文化と最高頭脳の戦いという全く異質な要素が融合した「将棋という日本文化の素晴らしさ」について話がはずみ、その興奮冷めやらぬまま眠ったことに時差も加わり、数時間眠ったところで不覚にも覚醒してしまった。そして「さあ今日は何を書こうか」と考え始めたら、頭が冴えてもう眠れず、仕方なく午前3時半にひとり無人の控え室にやってきて、今日の原稿を書き始めている。

 さて、夏の将棋といえば、初夏からのこの棋聖戦五番勝負、盛夏の王位戦七番勝負、そして晩夏から初秋にかけての王座戦五番勝負と続く。今年はひょっとすると、五年前の羽生佐藤康光17番勝負(棋聖戦、王位戦、王座戦3タイトル戦連続同カード)以来となる、羽生深浦17番勝負が見られるかもしれない。

 6月11日(金)に行われる王位戦挑戦者決定戦で羽生が新鋭広瀬章人五段を下せば、王位戦は深浦羽生戦となり、二人の12番勝負が確定する。さらに深浦は王座戦挑決トーナメントでベスト8に残っているので、あと3連勝すれば王座戦も羽生深浦戦になって17番勝負となる。羽生とタイトル戦の番勝負を戦うことに無上の喜びを感じる深浦にとって、そうなれば間違いなく「至福の夏」となる。深浦は、それを強く意識している。その証拠に私は、昨日、出雲空港から奥出雲町に向かう車中で、深浦にドキリとすることを言われた。

 「梅田さんの予想を覆さなければなりませんからね」

 一緒にいた人にはきっと何の話かわからなかったと思うが、私には心当たりがあって、深浦の言葉を聞いてすぐに胸が痛くなった。深浦が言っているのは、私が昨年の10月に書いたブログ のことなのだ。

 私は渡辺明竜王のそろそろの大ブレークを予想し、「竜王戦防衛。A級に昇級。王将戦、棋聖戦、王座戦のうち少なくとも二つの挑戦者となり羽生に挑戦する。棋王戦、王位戦のうち少なくとも一つは挑戦者になる。」と予想した。確かに渡辺がこれだけ勝つと予想することは、他の棋士たちがことごとく渡辺に負けることを意味する。深浦は心中で私のブログを読んで憤ったのであろう。

 じじつ、深浦は大事なところで渡辺に負け(2月)、順位戦でのA級復帰を逃した(渡辺がA級に昇級)。しかし深浦はその後、この棋聖戦の挑戦者決定戦で渡辺を倒し、渡辺の棋聖戦挑戦を水際で阻止して、今日ここ奥出雲にやって来ている。さらに近々行われる王座戦の準々決勝がまた深浦渡辺戦なのである。深浦は再び渡辺との戦いに勝ち、渡辺の王座戦挑戦を阻止し、自らが挑戦者になると決意しているのだ。

 そういう結果を出して、あなたの予想を覆さなければならないと、にこやかに笑いながらも怖いことを言う。深浦とはそんな人なのだ。自分の周囲で起こるありとあらゆる事象を、闘争心に火をつける材料にして、自らを駆り立てていく。

 昨日の深浦とのやり取りで私は、アメリカにわたってまもなく仕えた、抜群に仕事のできるスウェーデン人の上司を思いだした。同僚たちはその上司のことを「シリアス」という一言で評していたが、そうか深浦も「シリアス」な男なのだなあ、と深浦をより深く理解できた気がした。「シリアス」とはなかなか日本語にしにくいのだが、真剣で一生懸命ということだけでなく、必要以上に深刻という感じが含まれ、甘えや妥協がいっさいなく、きわめて目的志向で、目的を達成するためにはときに手段を選ばないこともある、という感じが合わさっている。そしてこの「シリアス」さは基本的に仕事上に限られ、その上司もそうだったし深浦もそうだが、プライベートのときはまったく違う顔を見せるのだ。

 ところで深浦は羽生に強い。羽生の圧倒的な戦績についてはここで繰り返すまでもないが、羽生の対戦棋士別データベース を眺めれば一目瞭然で、羽生が30局以上戦っている10人のトッププロ棋士の中で、深浦だけが対羽生戦で抜きん出た好成績を残している。羽生深浦は55戦して羽生28勝27敗とほとんど互角なのである。そんな深浦を評して羽生はこう語る。

 『単純に地力があるということだと思います。ここ5年、ほとんど活躍している人たちが変わらない中で、深浦さんだけがひとり急激に活躍するようになりましたよね。もともと非常に玄人受けする評価の高い人ですから、それがやっと実を結ぶようになったのだと思います。(中略)非常によく考えて実に綿密に作戦を組み立ててくるなぁという印象はあります。』(別冊宝島「羽生善治 考える力」(2009年12月刊))

 『(私たち二人の)対戦成績はほぼ互角ですが、それは基本的に深浦さんが強いからだと思います。』(産経新聞6月1日)
羽生は深浦について「単純に地力がある」「基本的に深浦さんが強いから」とシンプルに語っている。名人戦を終えたあと十分に「余力」のあった羽生は、王位戦での深浦への挑戦も視野に入れ、作戦家で強敵の深浦に対しての相当に入念な対策を用意し、今日の対局にのぞんでいるに違いない。

 観戦記者で今日のネット中継を担当する後藤元気(中継記者名:烏)は、深浦についてこんな名文を書き、昨年度の将棋ペンクラブ大賞を受賞した。

 『何人かの棋士に、なぜ深浦は羽生に勝てるのかと聞いた。答えは皆同じだった。「深浦さんは鈍いから、羽生さんの強さがわからないんだ」。棋士を志した頃は誰しも、自分が絶対無二のヒーローになると信じている。しかし奨励会の荒波に揉まれ、プロになり、大人になる頃にはすでに疲弊している人も少なくない。絶対無二のはずが、せめてタイトルを一つくらい、せめてA級に、せめて…いつしか、あれほど鮮明に描けたはずのヒーローはどこにもいなくなっている。深浦の強さは、自分はまだヒーローになる過程だと信じられる点にあるのかもしれない。危うい変化に堂々と踏み込める自信、自身の読みをとことん信じられる心の強さは、そこから来ているのではないだろうか。』(第34期棋王戦本戦▲深浦康市王位-△行方尚史八段観戦記)

 この文章から、仲間の棋士たちが深浦に向けるまなざしの屈折がよく見えてくる。私も深夜の酒場で、「深浦さん、王位ひとつならいいけど、タイトル二つ以上は嫌だなあ」と、ある棋士がつぶやくのを聞いたことがある。また別の棋士の、「深浦さんは羽生信者ですよ。でも、そういうふうを見せながら、その羽生に勝った俺は偉いんだ、と自己主張している」という、どきりとするような言葉も聞いた。プライドの高い棋士たちは、谷川浩司、羽生善治、佐藤康光、森内俊之といった、少年時代から別格の「選ばれた人たちの中でも特に選ばれた人たち」ならその圧倒的活躍も仕方ないと納得できても、最近「ひとり急激に活躍するようにな」った深浦に対しては「自分と同格であったはずの深浦だけがなぜ?」という思いが今も消せない。それが「深浦さんは鈍い」といった言葉につながるのであろう。

 しかし、深浦の兄弟子の森下卓九段は深浦をこう評する。

 『深浦王位は根性の男である。深浦王位ほどの根性が自分にあったならと、どれほど思ったかもしれない。(中略)奨励会時代、あるいは若手のときに深浦君ぐらい努力した棋士は多いかも知れない。しかし、三十半ばを過ぎても深浦君ほど努力している棋士は数人だろう。王位戦七番勝負で、2年続けて羽生さんを破ったのは、まさに深浦君の努力が実ったと言えるだろう。羽生さんを前にして少しも臆さないのは、努力で羽生さんに負けていないのだ、という自信が彼を支えているからだと思う。』(「将棋世界」2009年2月号)

 そう、深浦は「努力の人」「根性の男」なのである。

 拙著「シリコンバレーから将棋を観る」では、羽生善治、佐藤康光、深浦康市、渡辺明、2008年度の七冠を分けあった四人のトッププロの姿を描いた。読者の感想を聞いたり読んだりするに、四人のうち誰に自分は感情移入するか、誰がいちばん好きか、という観点で読んでくださった方が多かった。なるほど、それが自分を知るうえでの鏡の役割を果たすからだな、と著者としてたいへん興味深かった。

 私が主宰している小さな私塾がある。そこの私の一番弟子は今、ロンドンの大学に留学している22歳の若者なのだが、彼はこの本を読み、とりわけ深浦の生き方に共感したと私に言ってきた。そこで私は、彼を深浦に紹介した。その後、ときどき彼は深浦とメールのやり取りをしているらしいのだが、深浦が彼に贈ってくれた言葉は、

 『努力を続けていれば越えられない壁は無いと思ってます』

 だったと言う。「深浦さんから頂いたこの言葉を糧に、頑張っていきたい」と、嬉しそうなメールがロンドンから届いて以来、そろそろ半年が経つ。深浦を応援する者には、努力に努力を重ねて羽生に勝つ、そんな深浦の人生の営みに魅了され、自らの姿を投影しつつ深浦の達成に勇気づけられる、そういう気持ちが隠されているのかもしれない。

 仲間の棋士たちが深浦に複雑な思いを抱く中、羽生は、深浦の将棋を高く評価し、人間的にも深浦に好意を持ち、難解な現代将棋を究める同士と位置付けているふうである。羽生とこれまで幾度も対話を重ねる中で、私はそう感じることが多かった。

 深浦は10年前に、

 『羽生さんと指すのは一番楽しいです。子供の頃のような気持ちになります。』(将棋世界2000年9月号)

 と嬉しそうに語ったが、彼の気持ちは今もまったく変わっていない。

 しかしそれでいて深浦は、羽生のことを「本当に怖い人だ」「あんなに嫌らしい人はいない」とつぶやくことがある。羽生もまた、深浦に輪をかけて「シリアス」な人に違いないのだ。

 そんなこんなもすべてひっくるめて相思相愛の羽生と深浦が、今日これから、ここ奥出雲の地で相まみえるのである。

 

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