カテゴリ「第32期竜王戦七番勝負第5局」の記事 Feed

2019年12月 6日 (金)

Photo_77 (18時、豊島名人は封じ手記入のため対局室を出ていた)

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Photo_79 (18時5分ごろ、豊島名人が対局室に戻ってきた)

Photo_80 (封じ手の入った封筒にサインをする広瀬竜王。このあと、豊島名人の左横に戻された)

Photo_81 (封じ手の入った封筒を小林健立会人に手渡す豊島名人)

Photo_82 (駒を片付ける広瀬竜王)

Photo_83 (一同が一礼し、1日目が終了した)

以上で1日目の掲載終了いたします。2日目は明日7日(土)の9時から指し継がれます。明日もどうぞお楽しみに。

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18時、豊島名人が封じ手の意思表示をしました。55手目に使った時間は45分。1日目の消費時間は、▲豊島3時間35分、△広瀬3時間28分。対局は明日の9時に再開されます。
封じ手予想は▲6五歩の一択で固まっています。
「すごい将棋ですね。最新の将棋で、私はまったく理解できないんですけど、対局者には共通認識になっているんでしょう。特に△2三金と▲4五銀のやり取りは深すぎて、糸谷さんに解説してもらっても分からないところがあります。お互いに駒得、手得よりも陣形のバランス重視ということなんでしょうけど、それが主流というのは驚きです」(鈴木九段)
「私にとって、興味がある将棋になりました。飛車先保留が生きるかどうか難しいとされているなかで、豊島名人がどう生かすかが注目されるテーマです。歩得と桂得の実利、どちらが生きるかがポイントでしょう」(糸谷八段)
「▲6五歩しかないでしょう。△8四飛のときにどうするか。広瀬竜王も十分に戦えるので、ねじり合いが続きそうです。1日目は意外な手が多く、豊島名人の銀の使い方が印象的でした。手損は関係ないんですねぇ」(藤原七段)
「▲6五歩△8四飛▲2五歩が普通なんですけど、そこで後手が何をやるかですね。△2三金はそういう感覚なのかとびっくりしました。戦い方が一手一手、難しい。現地で見ていると楽しいです」(里見香女流四冠)
「▲6五歩以降は△8四飛▲2五歩と予想しています」(宮嶋三段)

54 図は17時15分ごろの局面。ここで豊島名人が20分以上考えており、封じ手時刻まで25分となりました。控室では鈴木九段が▲6五歩△8四飛に▲5五角が感触のいい手と見ていますが、▲5五角の成否を考える意味でも現局面で封じ手にするのではないかと予想しています。

Photo_63 (津和野公民館。大盤解説会の行われている津和野町民体育館は、公民館のなかにある)

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Photo_65 (1日目現地大盤解説会は16時に開始。平日にもかかわらず50人以上のファンが来場していた)

Photo_66 (解説の藤原直哉七段)

Photo_67 (聞き手の里見香奈女流四冠)

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(津和野町観光協会によって、竜王戦関連の商品が販売されていた)

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52_2 図は15時35分ごろの局面。広瀬竜王が△6五歩と突いたところです。控室では鈴木九段が以下▲6九飛△2五歩▲6五歩△8四飛の進行を示し、「難しいですね。こんなに難しい将棋は見たことがない」と、感想を述べました。

Photo_61 (控室で感想を述べる鈴木九段)

15時になって両対局者に1日目午後のおやつが出されました。広瀬竜王は「まめ茶ペラとブレンドコーヒー」。豊島名人は「笑小巻(えみこまき)とグレープフルーツジュース」を注文しています。 

Photo_58 (広瀬竜王が注文した「まめ茶ペラ」)

Photo_59 (豊島名人が注文した「笑小巻」)

Photo_60 (「グレープフルーツジュース」)

本局の対局が行われているのは藩校 養老館の剣術教場ですが、その南側にある槍術教場を前日に見学しました。

Photo_8 (現地の職員から槍術教場についての説明を聞く関係者一同)

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Photo_13 (説明資料を読む豊島名人)

Photo_14 (広瀬竜王は教員の間についての説明資料を読んでいた)

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藩校養老館は津和野藩主亀井氏8代矩賢が、天明6年(1786年)、「下中島堀内」(現在の津和野小学校裏付近)に創設した津和野藩の藩校で、創設当初は儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などの学科が設けられていました。その後、11代茲監は嘉永2年(1849年)に新たに国学や蘭医学を設け、規模を拡大するともに人材育成に力を入れました。

創設時の建物は、嘉永6年(1853年)の大火で焼失してしまいましたが、安政2年(1855年)に現在地に移転して再建され、明治5年(1872年)に廃校となりました。

 ここは幾多俊才を輩出した藩校として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)、福羽美静(国学者・明治天皇待講)、山辺丈夫(日本紡績業の父)、小藤文次郎(日本地質学の父)、高岡直吉(初代札幌市長)、堀藤十郎(中国の銅山王)、福羽逸人(日本近代園芸の祖)、加部厳夫(国学者、「君が代」選定に携わる)など、後に全国に名を馳せた人物が学びました。

現在は、武術教場(槍術・剣術)と御書物蔵の建物を含む敷地が当時のまま残り、県史跡に指定されています。

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△2三金は2時間の大長考でした。現局面までの消費時間は▲豊島28分、△広瀬2時間39分。消費時間に2時間11分の差がついています。
△2三金は控室でほとんど検討されていませんでした。金上がりは△2五歩▲同歩△3三銀の受け、△3一飛の揺さぶりを見たものでしょうか。早指しだった豊島名人、△2三金に手を止めています。
Dsc_3953(広瀬竜王。大長考のすえに、控室であまり検討されていなかった手を指した)

Dsc_3946(広瀬竜王が対局室に戻ったのは、13時26分)

Dsc_3957(豊島名人は対局再開の直前に入室した)

Dsc_3962(対局が再開されても、広瀬竜王が指す気配はなかった)

Dsc_3969(豊島名人。ここまでの消費時間は28分と速い)