カテゴリ「第32期竜王戦七番勝負第5局」の記事
豊島名人が封じる
18時、豊島名人が封じ手の意思表示をしました。55手目に使った時間は45分。1日目の消費時間は、▲豊島3時間35分、△広瀬3時間28分。対局は明日の9時に再開されます。
封じ手予想は▲6五歩の一択で固まっています。
「すごい将棋ですね。最新の将棋で、私はまったく理解できないんですけど、対局者には共通認識になっているんでしょう。特に△2三金と▲4五銀のやり取りは深すぎて、糸谷さんに解説してもらっても分からないところがあります。お互いに駒得、手得よりも陣形のバランス重視ということなんでしょうけど、それが主流というのは驚きです」(鈴木九段)
「私にとって、興味がある将棋になりました。飛車先保留が生きるかどうか難しいとされているなかで、豊島名人がどう生かすかが注目されるテーマです。歩得と桂得の実利、どちらが生きるかがポイントでしょう」(糸谷八段)
「▲6五歩しかないでしょう。△8四飛のときにどうするか。広瀬竜王も十分に戦えるので、ねじり合いが続きそうです。1日目は意外な手が多く、豊島名人の銀の使い方が印象的でした。手損は関係ないんですねぇ」(藤原七段)
「▲6五歩△8四飛▲2五歩が普通なんですけど、そこで後手が何をやるかですね。△2三金はそういう感覚なのかとびっくりしました。戦い方が一手一手、難しい。現地で見ていると楽しいです」(里見香女流四冠)
「▲6五歩以降は△8四飛▲2五歩と予想しています」(宮嶋三段)
このまま封じ手か
1日目現地大盤解説会
難しい将棋
1日目午後のおやつ
指導対局
槍術教場
本局の対局が行われているのは藩校 養老館の剣術教場ですが、その南側にある槍術教場を前日に見学しました。
藩校養老館は津和野藩主亀井氏8代矩賢が、天明6年(1786年)、「下中島堀内」(現在の津和野小学校裏付近)に創設した津和野藩の藩校で、創設当初は儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などの学科が設けられていました。その後、11代茲監は嘉永2年(1849年)に新たに国学や蘭医学を設け、規模を拡大するともに人材育成に力を入れました。
創設時の建物は、嘉永6年(1853年)の大火で焼失してしまいましたが、安政2年(1855年)に現在地に移転して再建され、明治5年(1872年)に廃校となりました。
ここは幾多俊才を輩出した藩校として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)、福羽美静(国学者・明治天皇待講)、山辺丈夫(日本紡績業の父)、小藤文次郎(日本地質学の父)、高岡直吉(初代札幌市長)、堀藤十郎(中国の銅山王)、福羽逸人(日本近代園芸の祖)、加部厳夫(国学者、「君が代」選定に携わる)など、後に全国に名を馳せた人物が学びました。
現在は、武術教場(槍術・剣術)と御書物蔵の建物を含む敷地が当時のまま残り、県史跡に指定されています。