2016年11月の記事

2016年11月 7日 (月)

対局室では、丸山九段の座る下座に向けて扇風機が置かれています。渡辺竜王は13時28分に対局室に戻りました。関係者に、窓を少し開けて網戸にしておくように頼んでいました。しばらくして記録係の岡部三段が「時間になりましたので、対局を再開してください」と告げます。直後に丸山九段が戻り、「時間になっております」と岡部三段。丸山九段が腰を下ろすのとほぼ同時に、渡辺竜王が盤上に手を伸ばしました。

Img_8052

Img_8055

Img_8060

Img_8062

Img_8067

Img_8068

Img_8070

Img_8072

天童市で将棋の番勝負が行われるのは今回で58回目。初めての天童対局は、1951年の第1回王将戦七番勝負第6局でした。王将戦がタイトル戦になる前のことです。

Tendo

※画像はクリックで拡大します。

20161107amaruyamawatanabe27駆け引きのすえ、戦型は相穴熊になりました。四間飛車穴熊が竜王戦七番勝負に登場するのは、本局が初めてです。

渡辺竜王が公式戦で四間飛車穴熊を指すのは2局目ですが、今年8月の東急将棋まつりの席上対局(非公式戦)・佐藤天彦名人戦で採用していました(結果は佐藤天名人の勝ち)。

10時30分、対局室におやつが運ばれました。渡辺竜王はホットコーヒーとフレッシュオレンジジュース、丸山九段は和菓子とアイスコーヒー。和菓子にはもみじを模したものと、地元天童で作られている揚げ饅頭がありました。

Img_7932

Img_7923

Img_7928

天童市は県の中央部東端に位置する市。市名は南北朝期、北畠天童丸の領地だったことに由来します。天童氏の城下町として発展しました。農業は最上川流域における稲作、扇状地を利用した畑作や果実栽培が行われています。生産されている果物はリンゴ、モモ、ブドウ、サクランボ、ラ・フランスなど。有名な将棋駒の製作は、江戸後期に貧窮していた天童藩下級武士のために、家老の吉田大八が米沢藩の家臣から天童藩士に学ばせて手内職として始まりました。いまでは全国生産の約95パーセントを占めています。

1956年4月に第1回が行われた「人間将棋」を例年開催し、1980年から全国中学校選抜将棋選手権大会を主催。こうしたさまざまな功績によって、第1回大山康晴賞を受賞しています。

【山形県天童市公式ホームページ】
http://www.city.tendo.yamagata.jp/

Img_7976

丸山九段が初手に▲2六歩、渡辺竜王が2手目に△3四歩としたところで丸山九段の手が止まりました。日本将棋連盟常務理事として訪れている中川八段は「早くも予想が外れました」と話しています。2手目△3四歩は角換わりを受けて立つのではなく、横歩取りや振り飛車に誘導したいという意図が透けて見えます。控室では佐藤康九段と広瀬八段が、大盤解説会の景品として色紙に揮毫していました。

Img_7910

Img_7912

渡辺竜王が駒箱を開けて、両対局者が駒を並べていきます。定刻の9時、立会人の佐藤康九段が対局開始を告げました。丸山九段は駒を置くように静かに着手し、渡辺竜王はピシリと駒音を立てて指しました。

Img_7870_2

Img_7875

Img_7882001

Img_7880001

Img_7892

Img_7898

Img_7903