(青野照市九段が控室を訪れた)
(高野六段と4手目角交換について語り合っている)
青野九段 「4手目角交換は難しい。先手が▲2五歩を突く前に交換するメリットが分からない」
高野六段 「△3二金を保留している意味はありますが」
青野九段 「それはあるけど、私が指した頃とはもう思想が違いますね」
一手損角換わりは青野九段がA級順位戦で採用したことが流行のきっかけになった。
その後、多くの棋士が指して定跡を作りあげてきた。山崎七段と丸山九段も定跡の発展に貢献している。
(しばらくして継ぎ盤が作られた)