2010年12月の記事

2010年12月23日 (木)

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(夕食休憩時の大広間。高雄には里見女流三冠の姿が見えた)

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(雲鶴の間。▲大石四段-△矢内女流四段戦が行われている)

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(▲大石四段-△矢内女流四段戦の夕食休憩時の局面)

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(大石四段の王将。「源兵衛清安(げんべえきよやす)」と駒の書体が刻まれている)

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(矢内女流四段の玉将。「玉龍(ぎょくりゅう)作」と駒師の名が刻まれている)

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18時頃、控室には阿部健治郎四段も訪れてにぎやかになっていく。藤井九段は、関係者の注文した出前(の写真)を見ると、おもむろに「飯か。18時か……よし、飯だ」と立ち上がり、数人の棋士を連れ去っていった。

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(西村一義九段門下の三人プラス一人。藤田女流初段(手前左=妹弟子)、藤井九段(手前右=兄弟子)、村山五段(奥側左)、阿部四段(奥側右=弟弟子))

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(関係者の注文した、みろく庵の「ぶり大根煮定食」)

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(関係者の注文した、みろく庵の「ミックス雑炊」)

(文)

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▲大石四段-△矢内女流四段戦は、矢内女流四段が2歩得の戦果をあげている。大石四段は長引いては不利と判断したか、▲2八角(図)と自陣角を放った。後手玉をラインに入れ、攻撃の軸にする。先手は7筋・6筋どちらにも歩が利くので、手段には事欠かない。後手はていねいに受けに回るのか、それとも2筋の飛角を攻めて脅威を取り除きにいくのか。矢内女流四段はどのような方針で指すのだろうか。

(文)