午後3時半時点、42手目△6二金で、盤面はやや膠着状態になっている。
「手が狭い将棋になっていますね」「千日手にはしないでしょうけれど、それは私の思想ですから、わかりません」とは佐藤棋王の解説である。竜王戦規定では、二日目の午前中までに千日手になった場合は、少し休んで指し直しをするとのこと。ただし二日目午後に千日手となると、協議によって、その後どう進めるかを決定するようだ。
「次の手とその次の手は、かなり難しいです。私には▲6八金引しか見えません」とは佐藤さんの予想だったが、先手の渡辺竜王は▲9八香。「おっ、本気出しましたね」と佐藤さん。渡辺竜王は、「自己評価は」と「週刊将棋」誌インタビューで問われて、
『現代的といえば現代的でしょうね。戦い方の優先順位として玉の固さを重視するところですか。固めるのが好きなのでわかりやすいのでしょうね。手口がばれている(笑)』(10月15日号)
と語っているが、やはり玉を固めに行った。
「穴熊どうやって組むんだろうな、バランスが悪いですからね。でも、羽生さんは、穴熊は阻止するでしょう」と佐藤さんがつぶやいた。羽生挑戦者はここでどう出るのだろうか。昼食外出から戻った米長会長が、この局面を凝視。「羽生は△5五銀と△6九角を考えていて、結局はやめるだろう」、と予想。
羽生挑戦者、長考に入るかもしれない。
ところで、羽生さんと渡辺さんは14歳違いである。
そして竜王戦パリ対局が行われるのは、14年ぶり。(1994年、佐藤康光竜王対羽生善治挑戦者)
つまり、羽生さんが今の渡辺さんとほぼ同い年の頃に、やはり竜王戦でパリに来ているということなのである。
渡辺さんは今、ブログを書いていて有名だが、14年前といえばまだインターネットは萌芽期も萌芽期。一般に日本でインターネットが使われ始めるのは1995年のことで、ブログなどもちろん存在していない。
しかし、羽生さんは当時、ブログを書いていたのだ。
紙上ブログと言えばいいだろうか。
「将棋マガジン」という月刊誌に、月に一回、日記連載をしていたのだ。
そしてその連載が、ほぼ無修正で「好機の視点」(小学館文庫)という本に、2003年にまとめられた。これがなかなか面白く、この本を読み、渡辺さんのブログを読むと、二人の性格的な違いがよくわかることだろう。
そしてその文章を、いま38歳の羽生さんは少し恥ずかしがっている。
『この本は私が二十代前半の時に「将棋マガジン」という雑誌に連載していた物をまとめたものです。
今、振り返ってみると恥ずかしい部分も多く、封印をしてしまいたい気持ちです。
その理由はいくつか有るのですが、まず指している将棋が若いと言うか粗い印象があります。
色々な作戦、戦法を試している意味もあったのですが、現在の目で見ていると無謀に近い棋譜も数多く見受けられます。
それから対局に追われていたからでもあるのですが、あまり深く考えずに原稿を書いていて、一回の連載の量としては多くはないのですが、毎回、もがくような感じで書いていた事も思い出しました。
しかし、棋譜も原稿も自分がその時に歩んできた足跡であり、今回、このように一冊の本として出版が出来る事を嬉しく思っています。』
羽生ファンの方はぜひ書店で探されるといいのではないかと思う。
ひょっとしてパリの感想、書いていないかなあ、と探してみた。あった、あった。筆写しておこう。
『事前の情報ではパリはかなり寒いと聞いていたのでセーターやコートを持っていきましたが、到着の日には気温が二〇度もあって、まったく予想外でした。
写真撮影なども兼ねて、凱旋門やルーブル美術館、モンマルトルの丘など、いわゆる観光の定番といわれている所に行ってきました。
そこで特に感じたのは歴史の厚みの違いで圧倒されたことと、ヨーロッパのほうでは歴史的に価値のあるものは残していく心が、日本のそれよりも強くあることで、街並みや雰囲気は昔から変わらないのでしょう。
それと比較すると日本は十年もすれば同じ場所かどうかわからなくなってしまうこともあるわけで、文化の違いなのでしょう。
良き伝統を残してゆく精神と常に新しく、より良い物を作ろうという精神、チェスと将棋の生い立ちにもこれがかなりの影響を与えているのでしょう。(p160-161、1994年10月)』
羽生さん、24歳のときのパリの感想である。