カテゴリ

« 2010年4月 | メイン | 2011年4月 »

2010年6月

2010年6月25日 (金)

前夜祭会場へ

061
(客室があるホテル本棟)

060
(こちらが前夜祭会場となる「ルシェーロ」)

063

064
(両対局者の入場を待つ)

(文)

和処「花乃里」

対局室と控え室があるのは、和食レストランである和処「花乃里」。中継に備え控え室で準備をしていると、北浜七段がやってきた。関係者に勧められ、駒の感触を確かめる。「あ、いい駒ですねえ。指しやすいですねえ。ふ~ん」と、しばらくピシピシ駒音を立てていた。そのすぐ脇には、羽生棋聖がキャラクターとしてプリントされているタオルが! まじまじと見つめていると、「これはだいぶ前のものなんですよ」と関係者。準備をしている間、気になって仕方がない。

0581

055
(控え室を訪れた北浜七段)

056

057

(文)

対局に使用される盤と駒

本対局に使用される駒は、児玉龍兒作、「鵞堂(がどう)」という珍しい書体だ。二十年前に作られたものだという。駒箱は椛(もみじ)製。盤は地元の方が所有する日向産榧(かや)の七寸盤。

0491_2

050

048

(文)

検分 (2)

盤駒、照明の順で検分が行われたが、どちらも問題はなかった。「窓側の障子を開けますか?」の問いに、深浦王位は「ええ。景色が見たいので」と答える。羽生棋聖が駒を片付け、検分は無事に終了した。

045
(対局室からは鮮やかな初夏の緑を望むことができる)

043
(景色を見やる両対局者)

0471
(羽生棋聖)

044

(文)

検分 (1)

ホテルに到着してすぐに、対局室の検分が行われた。

037

038

041
(羽生棋聖)

042
(深浦王位)

(文)

「ホテルフォレスタ」へ到着

036
(対局場となる「ホテルフォレスタ」)

035
(エントランスには棋聖戦を告知する看板が)

(文)

見えますか? 岡崎城

本堂を後にし、三代将軍家光公が整備を命じたという山門を見学。この門から岡崎城が望めるよう整備されているとのことで、一行は興味津々。「見える?」「見えるかなあ」と、門をのぞきこんでいた。

024

025
(説明を受け、門を見やる一行)

027
(羽生棋聖)

030
(深浦王位)

029
(左から鈴木女流初段、北浜七段。右端は深浦王位)

028
(青野九段)

032
(岡崎城、見えましたでしょうか……)

(文)

本堂を参拝。文化財収蔵庫、位牌堂を見学

大樹寺に到着した一行は、本堂を参拝。その後文化財収蔵庫、位牌堂を見学したが、こちらは写真撮影禁止。位牌堂では、それぞれの将軍の位牌の前で説明を受けた。中でも十代将軍家治公は、将棋好きとして知られ、詰将棋を作っていたという。また十五代将軍慶喜公のみ、神道方式で葬られていたため位牌がない。慶喜公は「器用でモダン、多趣味な人物。写真で賞をとったこともある」とのこと。鈴木女流初段は慶喜公の写真を見て「かっこいいですね」とつぶやいていた。

015
奥に見えるのが「木造 阿弥陀如来坐像」。県文化財、平安末期のものである。説明によると、「一光千体阿弥陀如来で後背の千体もの阿弥陀仏と共に慈悲にみちたお顔で私たちに救いの手をさしのべている」とある。

021
(徳川家(松平家)家系図の説明を受ける羽生棋聖(左)、深浦王位(右)、中村九段(奥))

022

023

020
(羽生棋聖、深浦王位ら一行の横で聞き耳を立てていた。悟りを開いたかのような悠然とした態度だった)

(文)

大樹寺を見学

一行は対局場となる「ホテルフォレスタ」へ行く前に、「大樹寺」を見学した。大樹寺は徳川氏の菩提寺。

010

011
(境内を散策する羽生棋聖(左)、深浦王位(右))

012
(大樹寺を訪れた記念に記帳する羽生棋聖)

013
(こちらは深浦王位)

014
(羽生棋聖は「克己復礼」、深浦王位は「堅忍」と揮毫)

(文)

移動中

東京から名古屋までは新幹線での移動。名古屋駅に到着後、青野照市九段、村田顕弘四段、澤田真吾四段、鈴木環那女流初段らを加えバスで「ホテルフォレスタ」へ向け出発した。

007
(新幹線車内から見えた富士山の姿。わずかに積雪が確認できる)

008

009
(名古屋駅、JRセントラルタワーズ)

(文)

=== Copyright (C) 2009 >>> The Sankei Shimbun & Japan Shogi Association === All Rights Reserved. ===