2014年10月16日 (木)

対局者あいさつ

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■森内俊之竜王
「皆さん、アローハ。私は2日前にこちらに入りましたが、環境もいいところで快適にすごさせていただいております。時差も直って、いい状態で明日を迎えられるのではないかと思います。ハワイ対局で注目を集めて盛り上がっておりますので、皆さんの期待にこたえられるように内容の濃い将棋を指したいと思っています。
タイトル戦は普段はよく知った相手と対戦することが多いですが、糸谷さんとはこれまで対戦したことがほとんどなく、どうなるか分からないということは自分でも楽しみですし、指しながら理解を深めていければと思います。海外対局の機会ですので、地元の皆さんに少しでも将棋を知ってもらえればと思います」

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■糸谷哲郎七段
「皆さんアローハ。私はあいさつに入ると、長くて分かりにくいと言われるので手短にしたいと思います。
昨日、領事館にうかがわせていただきました。そこで一つ啓示的な話をいただきました。母の実家が鎌倉でして、鎌倉とハワイはある共通点という話をいただきました。話を縮めますと、日本とハワイは精霊信仰、シャーマニズムという点において共通しています。父方が宮島が実家でして、宗教と縁があるのですが、一神教とシャーマニズムの違いとして、観客に語りかけるか、神に交信するかという話をいただきました。私は中高をカトリック系の学校にいましたが、ミサなどにおいて神父は聴衆に話しかけますが、ハワイや鎌倉に行こうというのは神そのものに話しかける。一種の交信儀式を行うわけです。これは将棋と近しいのではないかと。将棋は哲学では神、世界、真理、存在とある程度同一視される、というと怒られるかもしれませんが。一つの世界そのものが神の代わりである。ニーチェは『神は死んだ』と申しましたが、そういった意味での存在、真理、ただ一つのくつがえしがたいものを神などと隠喩する風習があります。そういう点で将棋はある程度真理を目指す、神の存在ですね。神のメタファーになると思いますが、どこか真理を目指しながら、しかし、神にたどり着かない。ただ、対局者同士は神を目指すという行為ですね。シャーマンも神にたどり着くという行為自体はなしえないわけです。交信することにおきまして、ただ、それを目指す。
というわけで、真理=神に近づけますように将棋を指していきたいと思います」

(書き起こし=銀杏)