2008年10月18日の記事
沈黙の将棋大会
【梅田望夫観戦記】 (5) 渡辺と羽生、24歳のパリ
午後3時半時点、42手目△6二金で、盤面はやや膠着状態になっている。
「手が狭い将棋になっていますね」「千日手にはしないでしょうけれど、それは私の思想ですから、わかりません」とは佐藤棋王の解説である。竜王戦規定では、二日目の午前中までに千日手になった場合は、少し休んで指し直しをするとのこと。ただし二日目午後に千日手となると、協議によって、その後どう進めるかを決定するようだ。
「次の手とその次の手は、かなり難しいです。私には▲6八金引しか見えません」とは佐藤さんの予想だったが、先手の渡辺竜王は▲9八香。「おっ、本気出しましたね」と佐藤さん。渡辺竜王は、「自己評価は」と「週刊将棋」誌インタビューで問われて、
『現代的といえば現代的でしょうね。戦い方の優先順位として玉の固さを重視するところですか。固めるのが好きなのでわかりやすいのでしょうね。手口がばれている(笑)』(10月15日号)
と語っているが、やはり玉を固めに行った。
「穴熊どうやって組むんだろうな、バランスが悪いですからね。でも、羽生さんは、穴熊は阻止するでしょう」と佐藤さんがつぶやいた。羽生挑戦者はここでどう出るのだろうか。昼食外出から戻った米長会長が、この局面を凝視。「羽生は△5五銀と△6九角を考えていて、結局はやめるだろう」、と予想。
羽生挑戦者、長考に入るかもしれない。
ところで、羽生さんと渡辺さんは14歳違いである。
そして竜王戦パリ対局が行われるのは、14年ぶり。(1994年、佐藤康光竜王対羽生善治挑戦者)
つまり、羽生さんが今の渡辺さんとほぼ同い年の頃に、やはり竜王戦でパリに来ているということなのである。
渡辺さんは今、ブログを書いていて有名だが、14年前といえばまだインターネットは萌芽期も萌芽期。一般に日本でインターネットが使われ始めるのは1995年のことで、ブログなどもちろん存在していない。
しかし、羽生さんは当時、ブログを書いていたのだ。
紙上ブログと言えばいいだろうか。
「将棋マガジン」という月刊誌に、月に一回、日記連載をしていたのだ。
そしてその連載が、ほぼ無修正で「好機の視点」(小学館文庫)という本に、2003年にまとめられた。これがなかなか面白く、この本を読み、渡辺さんのブログを読むと、二人の性格的な違いがよくわかることだろう。
そしてその文章を、いま38歳の羽生さんは少し恥ずかしがっている。
『この本は私が二十代前半の時に「将棋マガジン」という雑誌に連載していた物をまとめたものです。
今、振り返ってみると恥ずかしい部分も多く、封印をしてしまいたい気持ちです。
その理由はいくつか有るのですが、まず指している将棋が若いと言うか粗い印象があります。
色々な作戦、戦法を試している意味もあったのですが、現在の目で見ていると無謀に近い棋譜も数多く見受けられます。
それから対局に追われていたからでもあるのですが、あまり深く考えずに原稿を書いていて、一回の連載の量としては多くはないのですが、毎回、もがくような感じで書いていた事も思い出しました。
しかし、棋譜も原稿も自分がその時に歩んできた足跡であり、今回、このように一冊の本として出版が出来る事を嬉しく思っています。』
羽生ファンの方はぜひ書店で探されるといいのではないかと思う。
ひょっとしてパリの感想、書いていないかなあ、と探してみた。あった、あった。筆写しておこう。
『事前の情報ではパリはかなり寒いと聞いていたのでセーターやコートを持っていきましたが、到着の日には気温が二〇度もあって、まったく予想外でした。
写真撮影なども兼ねて、凱旋門やルーブル美術館、モンマルトルの丘など、いわゆる観光の定番といわれている所に行ってきました。
そこで特に感じたのは歴史の厚みの違いで圧倒されたことと、ヨーロッパのほうでは歴史的に価値のあるものは残していく心が、日本のそれよりも強くあることで、街並みや雰囲気は昔から変わらないのでしょう。
それと比較すると日本は十年もすれば同じ場所かどうかわからなくなってしまうこともあるわけで、文化の違いなのでしょう。
良き伝統を残してゆく精神と常に新しく、より良い物を作ろうという精神、チェスと将棋の生い立ちにもこれがかなりの影響を与えているのでしょう。(p160-161、1994年10月)』
羽生さん、24歳のときのパリの感想である。
膠着状態の局面でのケーキ
39手目、37桂
【梅田望夫観戦記】 (4) 昼食休憩、佐藤康光棋王の局面解説
解説役の佐藤康光棋王に、昼食休憩、28手目△4四銀の局面での「5級向け解説」と「初段向け解説」と「五段向け解説」をお願いした。以下、佐藤棋王の言葉です。
「5級向け解説」
陣形をみてわかるとおり、先手渡辺竜王は玉を▲7七銀▲7八金▲5八金でしっかりと玉を守っています。「玉の守りは金銀3枚」というのは将棋の格言通りです。あと攻める駒が右辺ですね。守り駒が左辺、攻め駒が右辺。後手の羽生挑戦者のほうの陣形は、まだちょっと微妙なところなんですね。なんというか、基本的に、相手の攻めを見て反撃するので、はっきりした守り駒攻め駒という区別はついていないです。……これ、五級向けになっているかな?
でまぁ、渡辺さんとしては攻め込みたいんですけれども、こういうときは▲1五歩、△同歩、▲同銀といきます。数の攻めですから、銀を前に進ませるには、▲3五歩は同歩とただで取られてしまって、それ以上は前に進めないですね。ですから▲1五歩から進めることになりますけれども、▲1五歩、△同歩、▲同香といくと、もし△同香と取ってくれれば▲同銀と前に進めますが、△同香と取らずに後手に△1三歩と受けられて、やはりそれ以上、銀が前に進めない。そこで、攻めるとしたら▲同銀と銀でいくのが、棒銀でよくある攻め方です。△同香なら▲同香といって、銀香交換で駒損なんですけれども、端を破れそうなので、そうやって攻めるのが棒銀戦法のひとつの狙いになります。
……というのが五級向け。実際は渡辺さんはそう攻めないと思いますが、初級者のアマチュアの方はそうやって攻めるのがわかりやすいのでおすすめです。
「初段向け解説」
五級向けだと、先手渡辺竜王持ちですよね。あきらかに。五段だと、いい勝負。初段だと……先手持ちなのかな。初段向け解説、難しいですね。
あっ、初段向けの解説、ひとつ思いつきました!
ここで先手が▲8八玉と入るとどうなるでしょうか。▲8八玉とあがると、後手にうまい手があります。△8五桂と跳ねる手があるんです。いやー、これいい解説だね、自分で言っていても!(笑) 羽生さんが飛車を引いたばかりだからいいんですよ。
先手は玉を囲いたいんですよ。玉はしっかり入城しないといけないので、▲8八玉と矢倉囲いにしたいのですが、この局面でそうすると、それは後手の狙いにはまって、△8五桂。以下▲8六銀と逃げると、△5五角と王手飛車が来るわけです。角打ちですね。王手飛車がかかると、これはダメですね。△8五桂に対して▲6八銀と引いても、△5五角で王手飛車です。△8五桂には▲6六銀と上がるしかないのですが、そこで△6五歩が、続く好手です。以下、▲同銀ととれば、△5五角と打たれて王手飛車となります。
あらかじめ後手の羽生さんが△8一飛車と引いているんですけど、この手が生きてくるんですね。飛車を引かずにこの局面になっていると、先手が▲8八玉とあがって△8五桂と跳ねたときに、先手の▲7三角が王手飛車。逆に、後手が王手飛車をかけられてしまいますね。△8一飛車にはそういう深謀遠慮の意味があります。
先手がこの局面で▲8八玉と上がる場合は、まず角の利きを遮断して、つまり、いったん▲6六歩と突いてから▲8八玉と上がるのが手順です。▲7七銀という一枚だけでナナメを遮断しているが不安があるので、▲6六歩と突いて二重に遮断してから▲88玉と上がるのが、手堅い手順なんですね。
おお、初段向けのいい解説が、できたできた!(笑)
「五段向け解説」
前例のあまりない局面ですね。類似形はあるんですけれど。一手損角換わりでは少ないです。
羽生さんは右玉ということになりそうですが、渡辺さんの棒銀は、一気に攻めつぶそうというのではなく、羽生さんの右玉を誘ったことに満足し、銀を3七に引いて使って、これから駒組み勝ちを狙う、ということだと思います。玉の固さで勝つ展開を狙っている。穴熊もあり得ます。
午後は一手一手が微妙なので、あまり手が進まないかもしれません。
渡辺さんは▲3七銀と引いて、次に飛車先を交換しようとするでしょうが、羽生さんはそれを許さないでしょう。
普通の角換わりでこういう将棋はよくあったんですが、後手の飛車先の歩が違うんですね。後手が右玉にしたときの飛車先の歩が、8三がいいか8四がいいか8五がいいか。それぞれいろいろあるのですが、8三だと反撃力がなくて先手が安心なので、いずれ8四歩を突くと思います。
写真は16日午後ノートルダム大聖堂をバックに撮影。
昼休後、再開
昼休
食事
16日昼食 ルーブルの近く(下写真)
キッシュ
豚肉のソテー
りんごのタルト(温)
16日夕食 モンパルナス(下写真)
飲み物 渡辺竜王はビール、羽生名人は白ワイン
前菜 冷菜の煮込み、オリーブオイルかけ ゆで卵付き
メイン フライパンで焼いた鮭、クルジェット(フランスのズッキーニ)添え
デザート パンナコッタ
17日昼食 ベルサイユ
飲み物 渡辺竜王はアップルジュース、羽生名人はグレープジュース
前菜 ホタテのグラタン
メイン チキンのクリーム煮、ジャーマンポテト添え、プロヴァンス風トマトのオーブン焼き
デザート チョコレートエクレア
エスプレッソ
17日夕食 ホテル近くの日本料理店
飲み物 渡辺竜王はビール、羽生名人はウーロン茶
刺身の大漁舟盛り合わせ
お任せにぎり寿司、あさりの吸い物
生牡蠣、かさごのさつま揚げ
【梅田望夫観戦記】 (3) F1と装甲車
羽生挑戦者が△7四歩と指したところで、私は対局室に入ったが、渡辺竜王はこんこんと考え続け、なかなか次の一手を指さない。十分、二十分、三十分と、時間だけが過ぎていき、二人の姿に大きな変化はない。
ときおり深いため息をつき、二人は視線を盤面から虚空に転換する。
静寂な対局室の中に入って、長考する棋士たちの周囲を流れる時間の中に身をおくという経験は、現代社会のどこを流れる時間とも異なる。
渡辺竜王は41分考えて▲2五歩(21手目)。羽生挑戦者は△3三銀(22手目)。そして竜王は棒銀の方針を示す▲2七銀(23手目)。そして羽生挑戦者は△7三桂(24手目)。
すでに対局開始から三時間が経過しようとしている。濃密な時間の流れの中で、二人は、それぞれ12回ずつしか手を指していない。
将棋というゲームは一手の価値がおそろしく重い。
そんなことを改めて考えたのは、深浦王位と次のようなやり取りをしたこともあった。
羽生七冠ロードをストップして王位を防衛した深浦王位は、このひと夏をかけて羽生四冠と死闘を演じた。読売新聞紙上座談会で「竜王戦は4勝2敗で渡辺竜王の防衛」を予想した深浦さんに、このたびの竜王戦の見どころについて、また対局者二人の違いについて、質問メールを送ってみたのだ。
深浦王位からの返答メールは、こんなものだった。
『羽生さんと言えども、振り回されるかも知れません。なので作戦に注目してます。渡辺さんの「堅さと攻め」にどう対抗するのか。ただ渡辺さんの方が、序中盤で離されないように、という対策の方が深刻でしょうね。可能なら昨年の渡辺佐藤戦の4局目を見て戴きたいのですが、佐藤さんの角交換向かい飛車に渡辺さんが淡々と穴熊に囲った将棋です。一手でも得して、中終盤へのスピード感に繋げたい、と考える羽生世代に対して、渡辺さんは序盤に65角と打たずに自分の将棋(穴熊)を貫きました。序盤ですと、この1局面に象徴されてますね。局面によってはF1と装甲車ぐらいに違うと感じる事もあります。正直、始まってみないと判りませんが、久々に自分以外でワクワクする将棋ですね。 深浦康市』
羽生さんがF1で、渡辺さんが装甲車かあ。
深浦さんが語る「昨年の渡辺佐藤戦」について調べてみたら、深浦さんと渡辺さんが将棋世界08年6月号で対話している記録があった。
『深浦 … 後手から角交換して向かい飛車。▲6五角を打つなら打ってみろという作戦ですが、それに対して渡辺さんが我関せずという態度で淡々と穴熊に組んだのが印象的だった。後手としてはめいっぱい頑張った作戦だけど、頑張ってこの程度の分かれになるんじゃつらい。手損振り飛車が成立するかどうか、昨年のテーマの1つだったけど、この将棋以来、後手からの角交換振り飛車は減ることになったと思う。
渡辺 これねえ、1手で△2二飛と回られるのはしゃくなんだけど、怒って▲6五角打つほどじゃないと思ったんだ。後手としては▲6五角打たれるリスクもあるし、この将棋のようにじっくり穴熊に組まれるリスクもある。それだけリスクを負うなら別の将棋にしたほうがいいというのが、最近の後手の傾向ですね。』
盤面の詳細はともかく、わずか一手の指し方の違いという盤上でのやり取りから、二人の将棋を「F1と装甲車ぐらいに違う」と感ずるという深浦さんの感性から、たとえば野球のようなスポーツにおける一つ一つの動き(投球やバットスイングなど)に比べて、将棋の一手には破格の重みがあるものなんだなと思ったのだ。
ところで「野球術」という本がある。熱狂的野球ファンで政治評論家のジョージ・ウィルが、四人の野球知性に密着取材して現代野球の神髄を解き明かした不朽の名著である。その中にこんな言葉がある。
『ほんとうの野球ファン、すなわち深い知識と豊かな想像力と鋭い観察力にめぐまれた野球ファンになるのは、そう容易なことではない。ぼんやりと野球見物するファンがナイフで木を削っている人々だとしたら、ほんとうの野球ファンとは、石を彫り刻んでいる存在に近い。石を彫り刻むという行為は、彫る人の心に、たえずなにかを問いかける。そもそも、ゲームを見にいく際に、「テイク・イン」という言葉の使われるスポーツが野球以外にあるだろうか? 野球の場合、われわれは「明日の晩の試合、テイク・インしようぜ」などという。ほかの競技だと、こんな言い方はしない。これは野球特有の言いまわしだ。野球というスポーツには摂取するべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある(といっても、ありあまっているわけではない)。だからこそ、こういう言い方が生まれたのかもしれない。』
長考する棋士を眺めながら、序中盤の難所の局面での次の一手の意味を考えることは面白い。ただそれは、将棋の強い人たちに許された特権的な楽しみである。
しかし将棋を観る楽しみはそこにだけあるのではない。必ずしも将棋が強くなくても、「深い知識と豊かな想像力と鋭い観察力にめぐまれた将棋ファン」になることができるのではないだろうか。
無限に広がっていく将棋のさまを眺めながら、将棋についてかつて語られた豊穣な言葉を思い起して考えたり、別の芸術の世界を連想してその共通するところを抽出したり、そこから得られたエッセンスを現代を生きる糧にしようとしたり、私たちが一局の将棋から吸収(テイク・イン)できることはたくさんある。
ジョージ・ウィルにおける野球という言葉を将棋に置き換えたら、こうなる。
『ほんとうの将棋ファンとは、石を彫り刻んでいる存在に近い。石を彫り刻むという行為は、彫る人の心に、たえずなにかを問いかける。芸術かつ頭脳スポーツである将棋には摂取するべきものがたっぷりある。摂取したものを吸収(テイク・イン)する時間もふんだんにある(といっても、ありあまっているわけではない)。』
なにしろ野球と違って、二日間にわたって、一局の将棋が指されるのだ。「テイク・イン」という言葉は、野球以上に将棋にフィットするのである。
ちなみに、今日明日の対局にのぞむ羽生さんの抱負は「パリらしく芸術ともいえる将棋を指したい」である。