2019年12月 6日 (金)

15時になって両対局者に1日目午後のおやつが出されました。広瀬竜王は「まめ茶ペラとブレンドコーヒー」。豊島名人は「笑小巻(えみこまき)とグレープフルーツジュース」を注文しています。 

Photo_58 (広瀬竜王が注文した「まめ茶ペラ」)

Photo_59 (豊島名人が注文した「笑小巻」)

Photo_60 (「グレープフルーツジュース」)

本局の対局が行われているのは藩校 養老館の剣術教場ですが、その南側にある槍術教場を前日に見学しました。

Photo_8 (現地の職員から槍術教場についての説明を聞く関係者一同)

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Photo_13 (説明資料を読む豊島名人)

Photo_14 (広瀬竜王は教員の間についての説明資料を読んでいた)

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藩校養老館は津和野藩主亀井氏8代矩賢が、天明6年(1786年)、「下中島堀内」(現在の津和野小学校裏付近)に創設した津和野藩の藩校で、創設当初は儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などの学科が設けられていました。その後、11代茲監は嘉永2年(1849年)に新たに国学や蘭医学を設け、規模を拡大するともに人材育成に力を入れました。

創設時の建物は、嘉永6年(1853年)の大火で焼失してしまいましたが、安政2年(1855年)に現在地に移転して再建され、明治5年(1872年)に廃校となりました。

 ここは幾多俊才を輩出した藩校として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)、福羽美静(国学者・明治天皇待講)、山辺丈夫(日本紡績業の父)、小藤文次郎(日本地質学の父)、高岡直吉(初代札幌市長)、堀藤十郎(中国の銅山王)、福羽逸人(日本近代園芸の祖)、加部厳夫(国学者、「君が代」選定に携わる)など、後に全国に名を馳せた人物が学びました。

現在は、武術教場(槍術・剣術)と御書物蔵の建物を含む敷地が当時のまま残り、県史跡に指定されています。

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△2三金は2時間の大長考でした。現局面までの消費時間は▲豊島28分、△広瀬2時間39分。消費時間に2時間11分の差がついています。
△2三金は控室でほとんど検討されていませんでした。金上がりは△2五歩▲同歩△3三銀の受け、△3一飛の揺さぶりを見たものでしょうか。早指しだった豊島名人、△2三金に手を止めています。
Dsc_3953(広瀬竜王。大長考のすえに、控室であまり検討されていなかった手を指した)

Dsc_3946(広瀬竜王が対局室に戻ったのは、13時26分)

Dsc_3957(豊島名人は対局再開の直前に入室した)

Dsc_3962(対局が再開されても、広瀬竜王が指す気配はなかった)

Dsc_3969(豊島名人。ここまでの消費時間は28分と速い)