図は羽生棋聖が敵陣に角を打ち込んだ局面。控え室ではまったく予想されていなかった手で、すぐにその真意をはかるべく検討が開始された。先ほどから予想する指し手が当たらず、誰もが「難しい」と首をひねる。「一手指す方がよく見える」とは棋譜解説チャットの中座七段。指導対局を終えた棋士が控え室に戻り、検討は熱を帯びてきた。
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本局は「1手損角換わり」と呼ばれる戦型に進行した。
図は後手から角交換した局面。後手は△8八角成で1手使い、先手は図から▲8八同銀で角を取り返しつつ銀を動かせる。つまり、後手は自分から角交換すると手損になる。これが「1手損角換わり」の名前の由来だ。将棋は1手1手交代で指すゲーム。たくさん指せれば有利になると考えるのが普通だろう。だが、この場合は「形の得」という概念が絡み、手損の評価を複雑なものにしている。
下の図を見てほしい。
1手損角換わりから「腰掛け銀」という形に進んだ局面。普通の角換わりであれば、後手は△8五歩と突いているところ。ところが1手損のため、図では△8五歩が入っていない。これはマイナスでしかないのだろうか? 実は、この△8五歩を「保留」することで、後手は△8五桂と跳ねる余地ができている。これは反撃としては相当に効果的だ。さらに、図で過去に「指せない手」であった△4三金右や△2二玉を可能にしてもいるのだ! つまり、後手は△8五歩を保留することで、「手損」を「形の得」として生かしているのである。
「手損する」という常識破りの工夫によって、普通の角換わりとは異なるまったく新しい世界が開けた。この戦型には、まだ多くの可能性、未発見の課題が埋もれている。新鮮な、未知の局面に出会える――それがこの戦型が、トッププロをも魅了する理由なのだろう。
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