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2023年6月 4日 (日)

小林健二九段が語る東南アジアの将棋普及

本局の立会人で日本将棋連盟の東南アジア地区将棋大使も務める小林健二九段に、東南アジアの将棋普及やベトナム対局の開催について話を聞きました。


東南アジアにはこれまでに100回以上行っています。シンガポールは50回くらい、マレーシアは30~40回、バンコクは30回くらい、香港も40~50回、広州が4回くらい、北京と上海が10回くらい、ヤンゴンが5~6回、ベトナムは1回。一番長いときでシンガポール、マレーシア、バンコク、香港と行ったときは2週間くらいいました。あまり長いときついので、基本的には2か所くらいで1週間くらいの滞在にしています。最初は全部ボランティアでやっていたんですが、それを各地の支部長さんも知っているので、日本将棋連盟に嘆願書のようなものを出していただいて、2005年から10年くらいのとき、米長邦雄会長の時代だったと思いますが、「この肩書を与えるからもっと活動しなさい」と、東南アジア地区将棋大使に任命されました。

最初のきっかけは花粉症なんですよ。1975年に18歳で四段になって、20歳頃ですかね、3月から4月になると熱が出ないんだけども、鼻水は出るわ、くしゃみは出るわ、だるくなるわで、風邪だと思ったら花粉症だったんです。ちょうど中原誠名人も花粉症で名人戦の前にハワイに行っていて、知り合いから外国にいるととても楽になるというのを聞いたんですね。ペーペーの四段では海外には行けませんから、A級八段になったら行こうと決めていました。ただ海外に行くのではつまらないから、外国に将棋を普及しようと思い、知人を頼りに香港支部に行くようになりました。30歳くらい、1990年代に入ってからのことですね。

それから香港の支部長さんの紹介でシンガポールに行くようになって、シンガポールにも支部ができました。この頃から毎年4月くらいに行っていたのが年1回では収まらなくなって、秋にも行くようになりましたね。あるときシンガポール支部の方が「小林先生、今度クアラルンプールに行くので来てくれませんか」。それをきっかけにマレーシアにも支部ができました。するとマレーシアの会員の方に「今度ヤンゴンに転勤になりました。来てくれませんか」と。それでミャンマーにも行きました。指導をするときは、僕が日本人の方に将棋を教えるから、その方は現地の方に将棋を教えてくださいということをお願いしていました。

名鉄観光の会長が僕のことをかわいがってくれまして、「応援してあげるからアジア大会を開きなさい」といわれて、アジア支部対抗戦を開くようになりました。シンガポール、マレーシア、バンコク、香港と順番に場所を変えながら年に1回。第1回のシンガポールは僕と佐藤康光さんで、翌年は森けい二さんを呼んで。2019年にバンコクで開催したときは、私と大野八一雄さん、高田尚平さん、北尾まどかさんの4人で行きました。そのときにベトナムからは4~5人の方が来ていたと思います。次回はベトナムでやりましょう、といっていたところにコロナになってしまったんですが、今年になって棋聖戦が開催できました。このように、いろいろとネットワークが広がって今に至るということです。

ベトナム対局は本当にありがたいお話をいただきました。アジアではシャンチーやチャンギをやっている国もありますが、将棋をやっている皆さんは「日本の将棋が一番難しくて面白い」といいます。日本の将棋を見ていただける大きなチャンスなので、世界に知っていただきたい。私も普及でやりたいことがまだいろいろとあります。藤井聡太さんにおんぶに抱っこではいけません。今回のベトナム対局を生かすように活動を続けていきたいと思っています。

今回の立会人を引き受けた時点で思ったのは、両対局者が今までと同じ環境で対局できるかどうかです。2時間とはいえ時差があるので、体調が心配ですね。特に藤井さんは岩手、長野と対局が続いてこのベトナムですから。お二人が普段通りに対局できるように徹したいと思います。

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(小林健二九段=3日にハン川で。撮影=牛蒡)

(文)

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