【梅田望夫観戦記】 (2) 二手目△8四歩問題と将棋の進化の物語
まもなく始まる棋聖戦第一局のオープニング直後を楽しむための補助線を一つ用意したいと思う。
あるインタビューで「将棋を観る楽しみ」とは何かと問われて、私はこう答えた。
『「指す面白さ」とは、将棋というゲームそのものの魅力。「観る面白さ」は、もう少し別の要素が加わります。棋士の魅力、複雑で難解なものが明快に説明されて理解できる瞬間の快感、一局の将棋の無限の広がりを感じる興奮、一局の将棋に流れる物語や将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ、将棋界の伝統や文化に日本の素晴らしさを思うこと……』
この中では少しわかりにくい「将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ」という観点から、棋聖戦のオープニングの見どころをご紹介してみたい。
「現代将棋とは」と尋ねられて、羽生はこう答えていたことがある。
「現代将棋では、初手から、一手一手の意味付け、手順、組み合わせ、そういった対策をきちんと考えていかなければならない」「戦型と戦型がリンクし、地下鉄の相互乗り入れのようなさまざまな形を関連付けて考えるのが現代将棋」「昔の将棋では、組み上がるまでは取りあえずお茶でも飲んでゆっくりしようかという雰囲気があったが、もう今はない」
ただなかなか、初手からの一手一手の緊張が続く現代将棋の意味を、私たちが理解して楽しむのは難しい。
そこで、序盤も序盤、後手の初手である二手目に注目し、後手番を持った羽生または深浦が「▲7六歩に対する二手目に△8四歩と指すか」ということを、最初の見どころとしてみたい。
先手が角道をあける(▲7六歩)、それに対して後手が飛車先を突く(△8四歩)。ここから矢倉になったり角換わりになったり、様々な形へと将棋は変化していくもの。「▲7六歩△8四歩」は、将棋におけるオープニングの王道である。
しかしこのオープニングの王道がじつは今トッププロ間で減っており、たとえば羽生は今年の一月を最後に一度も「△8四歩」を指しておらず、「▲7六歩に対して△3四歩」というオープニングをずっと選択しているのである。これが「現代将棋の進化の物語」の一例である。
この二手目8四歩問題に、私が注目するようになったきっかけは、去年の11月にさかのぼる。
去年11月の竜王戦第三局で、渡辺明竜王が角換わり同型の後手を持って森内俊之九段に快勝した翌日、日頃から仲良くしている片上大輔六段が、私に興味深い話をしてくれたときだった。
「渡辺竜王は、角換わりの将棋は後手しか持たないのです。「角換わり同型でもし仮に先手必勝という結論になると、矢倉も指されなくなって、たいへんなことになってしまう。だから角換わり同型の後手を持って勝つことにこそ意味があるんだ」という問題意識を渡辺さんは持っていて、その思想に基づいて快勝したからこそ意味が大きい将棋だったんですよ」
えっ、矢倉が指されなくなってしまう?
「戦型と戦型がリンク」するのが現代将棋なら、確かに一つの戦型の結論が他の戦型の出現に影響を及ぼすことも少しは想像はできる。しかし、角換わり将棋に結論が出ると、「将棋の純文学」とも称された矢倉戦法が指されなくなる(絶滅する)などというリンクの仕方があるわけか。私は「それは面白い!」と、片上に強く反応した。すると明晰な片上は、より詳しくわかりやすくこう解説してくれた。
「二手目8四歩問題は、振飛車党や、居飛車党でも二手目に△3四歩と突く横歩取り・一手損中心の人には、それほど関係がありません。2手目が△8四歩のとき、先手には▲2六歩からの角換わりと▲6八銀からの矢倉という選択肢があるわけですが(相がかりもありますが、話を簡単にするために省略します)、そのうち角換わりは、
・戦いが始まるときの形が最も定型化されているうえに(同型以外の形は少数派)
・そのあとの戦いもかなり突きつめて研究することが可能である
という大きな特徴を持っています。だから、先手の有力な選択肢の一つである角換わりに、明快に先手必勝との結論が出てしまうと、お互いの棋士が合理的な選択をする限り、後手は2手目に△8四歩と突けないし、もし突いたとしても、先手は矢倉は目指さなくなってしまうのです。その結果を「定跡の進歩」と見ることも一面では可能ですが、そのぶん将棋の可能性が狭まってしまうことは否定できません。昔の棋士は、そういう意味では必ずしも合理的な選択をするとは限らなかったのですね。いまは「得意戦法」というフィールドを持つ棋士が少なくなりました。長年矢倉を指し続けてきた棋士であっても、かなりの人が角換わりに宗旨換えすることでしょう。2手目△8四歩党にとって、角換わり同型はずっと以前から悩みのタネでしたが、その傾向は年々強まっています。だからこそ、竜王戦という大きな舞台で、後手勝ちの結果が出たことが大きいのです。」
と。片上がこんな話をしてくれたのが、去年の11月のことだった。
しかしその後、渡辺は1月の羽生戦(朝日杯)と2月の佐藤康光戦(王位リーグ)で、角換わり同型の後手を持って敗れた。そしてそれ以後、「二手目△8四歩」をほぼ封印してしまったのだ(指したのは早指し戦のみ)。先ほど話題に出た、深浦相手に戦う棋聖戦挑戦者決定戦で後手番を引いた渡辺は、「二手目△8四歩」ではなく「二手目△3四歩」と指したのだった。
去年11月からの約半年のこんな変化を踏まえて、最近、改めて片上に話を聞いた。
「「2手目△8四歩」そのものが消えてしまうことは、到底自分には考えられませんし、半年や1年のスパンの傾向でそう断じることは全く不可能です。でも、後手番で角換わり同型は今は指せない、という感じは確かにあって、でも、それがいつまで続くか、現時点ではあまりにも不透明なのです。数年のスパンで、それが続くようなことがあれば、影響はかなりあると思います。▲7六歩に△8四歩と突いたときに▲2六歩と突く棋士はいまのところ多数派ではないですが、たとえば、これが全体の3割、4割という数字になってきて、しかも勝率が7割、8割ということになれば、△8四歩が絶滅に向かう可能性はあるでしょう。考えにくい未来ですが、羽生さんや渡辺さんは、そういうこともうっすらと想像しながら指している、とも思います。実際には人間のレベルではそこまで到達しないと考えることと、それを想像することは、矛盾しないと僕は思います。棋聖戦第一局または第二局で深浦さんが後手番になったとき、二手目△8四歩が出るのではないかと予想しています。」
なるほど、現代将棋の水面下では、こんなことが起きているのである。
私は、この二手目8四歩問題について最新事情について、先週、渡辺竜王とメールのやり取りをした。渡辺はこう断言した。
「角換わり同型の後手は今は苦しいんでしょう。今年度に入ってから角換わり同型は1局もありませんから。誰も後手を持ちたがらないという状況です。腰掛け銀同型での新発見、あるいは同型以外での角換わり対策がないかぎり△8四歩は突けません。先手番を持った羽生さんも深浦さんも、△8四歩に対しては角換わりと矢倉が半々、最近では角換わりに偏っていますから、今回の棋聖戦でもし▲7六歩△8四歩のオープニングならば、後手棋士に角換わり対策があるに違いありません。」
そして渡辺は「△8四歩の未来」についてこう付け加えた。
「△8四歩の未来は角換わり次第なので、何とも言えません。角換わりの動向次第ですぐに復活することもあるでしょう。「▲7六歩△8四歩▲矢倉・角換わり」の出だしに比べて「▲7六歩△3四歩▲2六歩△変化球」のほうが、未開拓の分野が多いので、定跡形が息詰まると、どうしてもこちらに流れます。プロ将棋の歴史で見ても2手目△3四歩からの変化球がメジャーになったのは藤井システム、△8五飛が大流行した10年くらい前からです。まだ10年しか経っていないので、きちんとした定跡が出来ていない将棋が色々とあるわけです。」
ちなみに、昨年の棋聖戦第一局(先手木村八段、後手羽生棋聖)では、▲7六歩△8四歩のオープニングからすらすらと矢倉の戦いとなった。それから一年の間に、現代将棋の最先端はこんなふうに進化している。そして、こういった諸々を含めて将棋を鑑賞するのが「現代将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ」である。
今日まもなく始まる棋聖戦第一局は、振り駒で先手後手が決まる。
どちらが先手になっても初手は▲7六歩の可能性が高い。果たしてそのとき、後手は△8四歩と指すだろうか。渡辺が断言するように、この二人の戦いにおける二手目△8四歩の意味は、「私は角換わり対策を用意してきましたので、それで勝負しませんか」という意思表示なのである。そしてそれに対して先手の三手目が▲2六歩なら、それは「それは望むところ、今日は角換わりで勝負しましょう」という意味だし、▲6八銀なら「いやいや、今日は矢倉を指しましょう」という意味になる。
果たして二人の対局者は、「腰掛け銀同型での新発見、あるいは同型以外での角換わり対策」を用意して、この五番勝負にのぞんでいるのだろうか。それが、後手の初手(二手目)で明らかになる。