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2010年6月 8日 (火)

【梅田望夫観戦記】 (1) 相思相愛の羽生と深浦

 私は、昨年、一昨年と棋聖戦第一局の観戦記を書いた。しかし今年がこの二年と大きく違うのは、羽生善治棋聖の名人戦七番勝負がすでに終っており、羽生の過密スケジュールを縫うようにしての棋聖戦開幕ではないことだ。一昨年は、永世名人がかかった名人戦の終盤と棋聖戦の開幕が重なり、周囲も大いに気を遣っていた。昨年は、観戦記冒頭で「名人戦の激闘と並行しての棋聖戦開幕である。羽生さんは今年度に入ってから、11戦4勝7敗(0.364)、名人戦も郷田挑戦者に2勝3敗とカド番に追い込まれ、珍しく羽生不調説がささやかれている」と書いたように、名人戦第五局と第六局の間に棋聖戦第一局が組まれていた。しかし今年の名人戦では、羽生は四連勝で挑戦者・三浦弘行八段を退け、5月18日に名人戦を早々に終えた。棋聖戦挑戦者の深浦康市王位は、名人戦第四局が行われた福岡での前夜祭で、「ここで三浦さんに頑張ってもらわないと、羽生さんが余力を持って棋聖戦を迎えるので……」と話して会場を沸かせたが、これは深浦の本音でもあったろう。昨年同時期とうってかわって、羽生の今期の成績は10勝1敗、勝率.909と絶好調、休養十分で最高のコンディションの中、第81期棋聖戦五番勝負が開幕する。

 将棋の世界で「81」は節目の数字である。「81」は盤の升目(9×9)の数。将棋界で初めて、棋聖戦が「盤寿(数え年の81歳)」を迎えた。棋聖戦は一年に二度タイトル戦があった時期が長かったため、他棋戦よりも早く盤寿を迎えることになったのだ。盤寿を祝して昨日は、産経新聞社・住田良能社長がここ奥出雲町に駆け付けた。そして、日本将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖自らが、今日の開幕局の正立会人を務める。

 そして昨夜の前夜祭は、地元出雲のスター・里見香奈女流名人も参加して盛大にとり行われた(中継ブログ参照)。しかし、この奥出雲町の町をあげての歓待ぶりは、本当に素晴らしかった。産経新聞社勅使川原文化部長が「本日は大変あたたかい、いやヤケドしそうなくらいの歓迎をいただいて感激しております」と声をつまらせながら挨拶したほどで、隣の席の羽生棋聖も「これほど素晴らしい歓待はなかなかありません」と感激していた。また「聞きしにまさる」とはこのことか、と思ったのは里見さん人気のすさまじさだった。そして、前夜祭に列席した溝口善兵衛島根県知事以下、行政の津々浦々まで「県の宝」「市の宝」「町の宝」として里見さんをを大切にしていることが、あたたかく伝わってきた。

 前夜祭のあとも、米長会長、産経新聞社住田社長らと、伝統文化と最高頭脳の戦いという全く異質な要素が融合した「将棋という日本文化の素晴らしさ」について話がはずみ、その興奮冷めやらぬまま眠ったことに時差も加わり、数時間眠ったところで不覚にも覚醒してしまった。そして「さあ今日は何を書こうか」と考え始めたら、頭が冴えてもう眠れず、仕方なく午前3時半にひとり無人の控え室にやってきて、今日の原稿を書き始めている。

 さて、夏の将棋といえば、初夏からのこの棋聖戦五番勝負、盛夏の王位戦七番勝負、そして晩夏から初秋にかけての王座戦五番勝負と続く。今年はひょっとすると、五年前の羽生佐藤康光17番勝負(棋聖戦、王位戦、王座戦3タイトル戦連続同カード)以来となる、羽生深浦17番勝負が見られるかもしれない。

 6月11日(金)に行われる王位戦挑戦者決定戦で羽生が新鋭広瀬章人五段を下せば、王位戦は深浦羽生戦となり、二人の12番勝負が確定する。さらに深浦は王座戦挑決トーナメントでベスト8に残っているので、あと3連勝すれば王座戦も羽生深浦戦になって17番勝負となる。羽生とタイトル戦の番勝負を戦うことに無上の喜びを感じる深浦にとって、そうなれば間違いなく「至福の夏」となる。深浦は、それを強く意識している。その証拠に私は、昨日、出雲空港から奥出雲町に向かう車中で、深浦にドキリとすることを言われた。

 「梅田さんの予想を覆さなければなりませんからね」

 一緒にいた人にはきっと何の話かわからなかったと思うが、私には心当たりがあって、深浦の言葉を聞いてすぐに胸が痛くなった。深浦が言っているのは、私が昨年の10月に書いたブログ のことなのだ。

 私は渡辺明竜王のそろそろの大ブレークを予想し、「竜王戦防衛。A級に昇級。王将戦、棋聖戦、王座戦のうち少なくとも二つの挑戦者となり羽生に挑戦する。棋王戦、王位戦のうち少なくとも一つは挑戦者になる。」と予想した。確かに渡辺がこれだけ勝つと予想することは、他の棋士たちがことごとく渡辺に負けることを意味する。深浦は心中で私のブログを読んで憤ったのであろう。

 じじつ、深浦は大事なところで渡辺に負け(2月)、順位戦でのA級復帰を逃した(渡辺がA級に昇級)。しかし深浦はその後、この棋聖戦の挑戦者決定戦で渡辺を倒し、渡辺の棋聖戦挑戦を水際で阻止して、今日ここ奥出雲にやって来ている。さらに近々行われる王座戦の準々決勝がまた深浦渡辺戦なのである。深浦は再び渡辺との戦いに勝ち、渡辺の王座戦挑戦を阻止し、自らが挑戦者になると決意しているのだ。

 そういう結果を出して、あなたの予想を覆さなければならないと、にこやかに笑いながらも怖いことを言う。深浦とはそんな人なのだ。自分の周囲で起こるありとあらゆる事象を、闘争心に火をつける材料にして、自らを駆り立てていく。

 昨日の深浦とのやり取りで私は、アメリカにわたってまもなく仕えた、抜群に仕事のできるスウェーデン人の上司を思いだした。同僚たちはその上司のことを「シリアス」という一言で評していたが、そうか深浦も「シリアス」な男なのだなあ、と深浦をより深く理解できた気がした。「シリアス」とはなかなか日本語にしにくいのだが、真剣で一生懸命ということだけでなく、必要以上に深刻という感じが含まれ、甘えや妥協がいっさいなく、きわめて目的志向で、目的を達成するためにはときに手段を選ばないこともある、という感じが合わさっている。そしてこの「シリアス」さは基本的に仕事上に限られ、その上司もそうだったし深浦もそうだが、プライベートのときはまったく違う顔を見せるのだ。

 ところで深浦は羽生に強い。羽生の圧倒的な戦績についてはここで繰り返すまでもないが、羽生の対戦棋士別データベース を眺めれば一目瞭然で、羽生が30局以上戦っている10人のトッププロ棋士の中で、深浦だけが対羽生戦で抜きん出た好成績を残している。羽生深浦は55戦して羽生28勝27敗とほとんど互角なのである。そんな深浦を評して羽生はこう語る。

 『単純に地力があるということだと思います。ここ5年、ほとんど活躍している人たちが変わらない中で、深浦さんだけがひとり急激に活躍するようになりましたよね。もともと非常に玄人受けする評価の高い人ですから、それがやっと実を結ぶようになったのだと思います。(中略)非常によく考えて実に綿密に作戦を組み立ててくるなぁという印象はあります。』(別冊宝島「羽生善治 考える力」(2009年12月刊))

 『(私たち二人の)対戦成績はほぼ互角ですが、それは基本的に深浦さんが強いからだと思います。』(産経新聞6月1日)
羽生は深浦について「単純に地力がある」「基本的に深浦さんが強いから」とシンプルに語っている。名人戦を終えたあと十分に「余力」のあった羽生は、王位戦での深浦への挑戦も視野に入れ、作戦家で強敵の深浦に対しての相当に入念な対策を用意し、今日の対局にのぞんでいるに違いない。

 観戦記者で今日のネット中継を担当する後藤元気(中継記者名:烏)は、深浦についてこんな名文を書き、昨年度の将棋ペンクラブ大賞を受賞した。

 『何人かの棋士に、なぜ深浦は羽生に勝てるのかと聞いた。答えは皆同じだった。「深浦さんは鈍いから、羽生さんの強さがわからないんだ」。棋士を志した頃は誰しも、自分が絶対無二のヒーローになると信じている。しかし奨励会の荒波に揉まれ、プロになり、大人になる頃にはすでに疲弊している人も少なくない。絶対無二のはずが、せめてタイトルを一つくらい、せめてA級に、せめて…いつしか、あれほど鮮明に描けたはずのヒーローはどこにもいなくなっている。深浦の強さは、自分はまだヒーローになる過程だと信じられる点にあるのかもしれない。危うい変化に堂々と踏み込める自信、自身の読みをとことん信じられる心の強さは、そこから来ているのではないだろうか。』(第34期棋王戦本戦▲深浦康市王位-△行方尚史八段観戦記)

 この文章から、仲間の棋士たちが深浦に向けるまなざしの屈折がよく見えてくる。私も深夜の酒場で、「深浦さん、王位ひとつならいいけど、タイトル二つ以上は嫌だなあ」と、ある棋士がつぶやくのを聞いたことがある。また別の棋士の、「深浦さんは羽生信者ですよ。でも、そういうふうを見せながら、その羽生に勝った俺は偉いんだ、と自己主張している」という、どきりとするような言葉も聞いた。プライドの高い棋士たちは、谷川浩司、羽生善治、佐藤康光、森内俊之といった、少年時代から別格の「選ばれた人たちの中でも特に選ばれた人たち」ならその圧倒的活躍も仕方ないと納得できても、最近「ひとり急激に活躍するようにな」った深浦に対しては「自分と同格であったはずの深浦だけがなぜ?」という思いが今も消せない。それが「深浦さんは鈍い」といった言葉につながるのであろう。

 しかし、深浦の兄弟子の森下卓九段は深浦をこう評する。

 『深浦王位は根性の男である。深浦王位ほどの根性が自分にあったならと、どれほど思ったかもしれない。(中略)奨励会時代、あるいは若手のときに深浦君ぐらい努力した棋士は多いかも知れない。しかし、三十半ばを過ぎても深浦君ほど努力している棋士は数人だろう。王位戦七番勝負で、2年続けて羽生さんを破ったのは、まさに深浦君の努力が実ったと言えるだろう。羽生さんを前にして少しも臆さないのは、努力で羽生さんに負けていないのだ、という自信が彼を支えているからだと思う。』(「将棋世界」2009年2月号)

 そう、深浦は「努力の人」「根性の男」なのである。

 拙著「シリコンバレーから将棋を観る」では、羽生善治、佐藤康光、深浦康市、渡辺明、2008年度の七冠を分けあった四人のトッププロの姿を描いた。読者の感想を聞いたり読んだりするに、四人のうち誰に自分は感情移入するか、誰がいちばん好きか、という観点で読んでくださった方が多かった。なるほど、それが自分を知るうえでの鏡の役割を果たすからだな、と著者としてたいへん興味深かった。

 私が主宰している小さな私塾がある。そこの私の一番弟子は今、ロンドンの大学に留学している22歳の若者なのだが、彼はこの本を読み、とりわけ深浦の生き方に共感したと私に言ってきた。そこで私は、彼を深浦に紹介した。その後、ときどき彼は深浦とメールのやり取りをしているらしいのだが、深浦が彼に贈ってくれた言葉は、

 『努力を続けていれば越えられない壁は無いと思ってます』

 だったと言う。「深浦さんから頂いたこの言葉を糧に、頑張っていきたい」と、嬉しそうなメールがロンドンから届いて以来、そろそろ半年が経つ。深浦を応援する者には、努力に努力を重ねて羽生に勝つ、そんな深浦の人生の営みに魅了され、自らの姿を投影しつつ深浦の達成に勇気づけられる、そういう気持ちが隠されているのかもしれない。

 仲間の棋士たちが深浦に複雑な思いを抱く中、羽生は、深浦の将棋を高く評価し、人間的にも深浦に好意を持ち、難解な現代将棋を究める同士と位置付けているふうである。羽生とこれまで幾度も対話を重ねる中で、私はそう感じることが多かった。

 深浦は10年前に、

 『羽生さんと指すのは一番楽しいです。子供の頃のような気持ちになります。』(将棋世界2000年9月号)

 と嬉しそうに語ったが、彼の気持ちは今もまったく変わっていない。

 しかしそれでいて深浦は、羽生のことを「本当に怖い人だ」「あんなに嫌らしい人はいない」とつぶやくことがある。羽生もまた、深浦に輪をかけて「シリアス」な人に違いないのだ。

 そんなこんなもすべてひっくるめて相思相愛の羽生と深浦が、今日これから、ここ奥出雲の地で相まみえるのである。

 

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