■正門
「この建物は、筑豊の著名な炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治三十年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。高い塀は旧長崎街道に面しており、福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から昭和初期に移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ繁棟、西棟の家屋四棟と土蔵三棟からなり、池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅です。
建物の見どころは和洋折衷の調和のとれた美しさ。当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。また、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約十年間を過ごしたゆかりの地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもあります。筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産をごゆっくりご覧ください」
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14時、対局室におやつが運ばれた。メニューは甲斐女流王位がシフォンケーキ(ブルーベリー)、ハーブティー。里見女流三冠がガトーショコラ、ロイヤルミルクティー(アイス)。おやつは今年もカフェ&バー「ちろりん村とくるみの木」のものだ。
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■内玄関
「1906年(明治39)頃の建築当初は長屋門の正面に位置する表玄関でした。廊下を挟んで対面には二階の西洋館に上がる階段がありました。1917年(大正6)頃の増築により表玄関ができ、内玄関になりました。土間は人造大理石仕上げ、縁に小さな溝を切り、右側に履物入れを設置。上り縁は分厚い一枚板で角を丸く仕上げており、表玄関と同じ手法です。3畳敷で北・西側は板敷き。帽子掛けや傘立てもあります」
■西座敷(裁縫室)
「1906年(明治39)頃の建築当初は西座敷として使用されていましたが、1934年(昭和9)頃の増・改築により裁縫室となり、次間は女中室になりました。西座敷は10畳敷で西側全面を2間踏込床で飾っています。地板は見付繰形で南端に切束付の地袋を置き、その上に天袋を釣束で釣り、後壁に格挟間窓を刳り抜き、北側には取込付書院を出し、その幕板に木瓜形を浮き出します。北・東側は榑縁(くれえん)が回っています」
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