第65期王将戦七番勝負第3局 Feed

2016年2月 5日 (金)

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昼食休憩明けに指されたのは△2四歩でした。変化はさまざま考えられます。まず(1)▲2四同銀は毒まんじゅう。△2三歩で銀ばさみを食います。そこで(2)▲2三歩は考えられます。△同銀ならそこで▲2四銀のつもりですが、△3三銀▲2四銀に△2七歩▲同飛△4九角が検討手順。これは後手よし。(3)▲3六銀は△同銀▲同歩△2三銀。互いにどう陣形をまとめていくか。(4)▲4六歩△2五歩▲4五歩△3三桂。(3)と同じ銀の取り合いですが、△3三桂が△4五桂を見ています。
実戦は40分近い長考で(3)▲3六銀が指されました。

20160205_habu7 (△2四歩と突いた羽生名人)

20160205_hiru4 (木村八段が真剣な表情で盤面を見つめる)

20160205_habu6 (13時26分、羽生名人が本局では初めて先に対局室に入った)

20160205_gouda4 (郷田王将は13時28分に対局室入り)

20160205_hiru5 (対局再開の13時30分になり、西山初段が「時間になりました」と告げると羽生名人はすぐに△2四歩と突いた。指し手を決めていたようだ)

20160204_basyo3 (松尾芭蕉に関わる資料と、黒羽藩主大関氏の資料を展示している「芭蕉の館」。黒羽城址内にある)

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(「芭蕉の館」にある松尾芭蕉と芭蕉の弟子である河合曾良が旅をしている銅像。冬の時期に撮ると寒そうだが、実際は春に黒羽地区を訪れた)

20160204_basyo5 (『おくのほそ道』の一節を石碑にしている。「かさねとは八重撫子の名成べし」曾良)

20160204_kurobane1 (黒羽城本丸跡の展望台からは日光や那須の山々を見渡せる。山というと、ホテル花月の南東にある御亭山からは遠く離れた富士山を見ることもできる)

ホテル花月から北東に2キロほどいったところに「芭蕉の館」があります。ホテルのある旧黒羽町(2005年に大田原市に編入)は松尾芭蕉の「おくのほそ道」に縁深い地で、芭蕉は黒羽城に2週間滞在しました。20160204_basyo1 (大田原市内には松尾芭蕉の句碑が10個建てられている。芭蕉の館に向かう途中にある句碑。「行春や 鳥啼魚の 目は泪」。春が過ぎるのを惜しんで鳥も鳴き、魚も涙を浮かべているかのようという内容)

20160204_basyo2 (芭蕉の館は黒羽城址にある)

20160204_cat (ネコを見かけたが、残念ながら横を向かれてしまった)

ホテル花月から北東に1キロ強のところにある大雄寺。黒羽藩主の大関氏の菩提寺にあたります。大関氏が築いた黒羽城址も近いです。ホテル花月のあたりは黒羽藩の城下町でした。

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時刻は11時になりました。封じ手△1四歩以降、指し手は▲1六歩△9四歩▲9六歩の4手しか進んでいません。互いにじりじりと間合いを詰め合っています。最高峰の二人による間合いは実に難しい。
できるだけ現状の形をそのままにしながら有効な手で待って、相手にゆだねようとしているようです。2筋や3筋が戦場になりそうなので後手は△4二玉とは指しにくいのかもしれません。