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2011年6月14日 (火)

飯塚市歴史資料館を見学

ホテルを出発した一行は、対局場に向かう前に「飯塚市歴史資料館」を訪れた。

2011年5月25日、山本作兵衛の炭鉱画がユネスコ記憶遺産として登録された。記憶遺産として申請し登録されたのは国内初で、資料館にはその貴重な絵画が展示されている。

■山本作兵衛(やまもと・さくべえ)――館内掲示より
明治25(1892)年、福岡県嘉穂郡笠松村鶴三緒(現在の飯塚市)に生まれる。父山本福太郎、母シナ。明治39(1906)年、15歳で山内炭坑(嘉穂郡)に入坑、昭和30(1955)年に位登炭坑(田川市)を閉山により退職するまで炭坑夫として働いた。位登炭坑閉山後、長尾本事務所の夜警宿直員として勤務するかたわら、炭坑記録画を描くようになる。その作品は、昭和37(1962)年に初めて新聞紙上で紹介され、その後、出版化されるとともに、多くの展覧会で展示公開された。昭和59(1984)年、死去(92歳)。平成8(1996)年、田川市石炭・歴史博物館所蔵の炭坑記録画571点が福岡県指定有形民俗文化財となった。さらに平成14(2002)年、13点の作品が追加指定された。

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■記憶遺産(きおくいさん)――館内掲示より
ユネスコが認定している「世界遺産」、「無形文化遺産」に次ぐ「第3の遺産」といわれるもの。ユネスコが「後世に残すべきもの」と判断した、歴史上の人物の直筆、楽譜、写真、映画などを登録する制度。1992年に創設され、2010年3月現在76か国の計193件が登録されている。これまで登録された例としては、オランダの『アンネの日記』、ポーランドの「ワルシャワ連盟協約」、フランスの「人権宣言」、ドイツの「ベートーベン直筆の第九交響曲の楽譜」、「ゲーテの直筆文学作品」、トルコの「ヒッタイト帝国の楔形文字の粘土板」、ウズベキスタンの「現存する世界最古のコーラン」などである。文化庁によると、日本も04年に参加の是非を水面下で議論したことがあるが、記憶遺産が対象とする書物などには数多くの国宝や重要文化財などがあり、国が特定の遺産を推薦すれば、国宝などに優劣を付けることになりかねない、といった専門家の意見があって見送られたという。その後、記憶遺産の海外での知名度が上がり、日本ユネスコ国内委員会でも、文化財の序列に縛られずに選べば良いと結論付けて、登録を目指すことにしている。審査は2年に一度で、推薦できるのは1か国1回につき2件までとなっている。

(文)

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