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2011年6月

2011年6月15日 (水)

夕刻の対局室

18時頃、対局者カメラによる両対局者の様子。二人の表情からも、盤上の形勢がうかがえるようだ。

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「もう間違えないでしょう」

17時30分、控室の継ぎ盤は対局室の盤面を映したまま止まっている。「ここまで来れば、もう間違えないでしょう」と声が上がる。

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■棋譜解説チャット(片上大輔六段)
「▲8三歩が急所の一撃で、△同金に▲7四角で決まりでしょう。直前の△7四歩はささやかな勝負手で、▲同歩なら△6六銀で、7五や8四に馬を引きつけて粘る含みがありました」

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鉄槌の一撃

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図は17時頃の局面。2三の竜を3四に引いたところだ。歩の裏をつく攻めで、3一の金が守りにくい。△4一金や△5一飛なら▲8五歩が強烈な攻め。角のにらみもあり、まるで鉄槌を振り下ろしたようなインパクトがある。控室の見解は先手優勢。とにかく先手からの攻めが厳しく、後手は先手玉に迫る手段がない。後手はなんとか踏みとどまって、4八の角の救援が間に合う展開にしたい。

■棋譜解説チャット(片上大輔六段)
「▲8五歩には△6四歩だと思いますが、そこでどう決めるかいろいろ考えられて迷います。▲5四竜を本命に推しておきます」

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(空は灰色一色。風がざわめいてきた)

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両翼から大駒で迫る

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図は16時30分頃の局面。清水女流六段の飛角が存分に働き、後手陣の急所をとらえている。「先手の自陣角がうまく働くか」が序盤のポイントだったが、上の局面を見れば清水女流六段の決断はさすがの慧眼だったといえる。駒が分裂気味でやや苦しいと思われる甲斐女流王位だが、うまく態勢を立て直すことができるだろうか?

■棋譜解説チャット(片上大輔六段)
「5筋を取り込ませてしまうのは気がつきませんでした。これは清水さんが優勢になったように思います。△4六歩には▲3八銀で何事もなさそうです。次は▲3四竜が厳しい」

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(控室と対局室の間に位置する中庭)

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旧伊藤伝右衛門邸ギャラリー (6)

■正門
「この建物は、筑豊の著名な炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治三十年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。高い塀は旧長崎街道に面しており、福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から昭和初期に移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ繁棟、西棟の家屋四棟と土蔵三棟からなり、池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅です。
建物の見どころは和洋折衷の調和のとれた美しさ。当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。また、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約十年間を過ごしたゆかりの地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもあります。筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産をごゆっくりご覧ください」

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大盤解説会始まる

15時になり、のがみプレジデントホテル3階では大盤解説会が始まった。解説は森下九段、聞き手は村田女流二段。本局の戦型が石田流であることから、森下九段は石田流の歴史について語っていた。

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旧伊藤伝右衛門邸ギャラリー (5)

■食堂
「西側に食器棚を設けた洋間で、扉に蝶やタンポポが描かれ、華麗な雰囲気を醸し出しています。制作者は福岡市出身で帝展審査員の水上泰生(みずがみたいせい)です。寄木張りは応接間に比べ大らかで明治時代後半の特徴を示しています」

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(書生棟。普段は抹茶やぜんざいがいただける)

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ショップ&ギャラリー白蓮館。柳原白蓮は伊藤伝右衛門と再婚、当時「黄金結婚」と祝福されたという)

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(伊藤伝右衛門と柳原白蓮)

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午後のおやつ

14時に、午後のおやつが対局室に運ばれる。おやつはカフェ&バー「ちろりん村とくるみの木」のもの。甲斐女流王位はガトーショコラを、清水女流六段はカントリーチーズケーキを注文した。飲み物は両者ともハーブティー。

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(甲斐女流王位の注文はガトーショコラ)

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(清水女流六段の注文はカントリーチーズケーキ)

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旧伊藤伝右衛門邸ギャラリー (4)

■洗面所・浴室
「洗面所の鏡縁には英国ビクトリア様式の装飾を施し、格調高い造りです。浴室の天井は湯気抜きが網代風に造られています。檜風呂に推定復元しています」

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■西座敷(裁縫室)
「1906年(明治39)頃の建築当初は西座敷として使用されていましたが、1934年(昭和9)頃の増・改築により裁縫室となり、次間は女中室になりました。西座敷は10畳敷で西側全面を2間踏込床で飾っています。地板は見付繰形で南端に切束付の地袋を置き、その上に天袋を釣束で釣り、後壁に格挟間窓を刳り抜き、北側には取込付書院を出し、その幕板に木瓜形を浮き出します。北・東側は榑縁(くれえん)が回っています」

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清水女流六段、決戦を検討か

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図は13時30分頃の局面。控室では、ここで▲6八金右△5四歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲3四飛が検討されている。飛車交換に持ち込んで華々しく決戦する順だ。「これは清水さん好みという気がします」と関係者。

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(検討中の大庭女流初段(左)、村田女流二段(右))

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