第67期王将戦七番勝負第1局 Feed

2018年1月 7日 (日)

時刻は17時30分を回りました。豊島八段が本局で初めてまとまった時間を使っています。18時を回ると、手番の棋士が次の一手を決めたところで封じられ、翌日に指し継がれます。

Img_1842 夜空に浮かぶ掛川城。

Img_1841 対局室では、豊島八段が長考している。

現地大盤解説会が行われている大日本報徳社。解説会場の大講堂は国指定の重要文化財です。また、敷地内にあるほかの建物は、すべて静岡県の指定文化財となっています。

Img_1810 仰徳(こうとく)記念館。

Img_1795 仰徳(こうとく)学寮。現在は大日本報徳社の事務所として使われている。

Img_1808 冀北(きほく)学舎。

Img_1815 淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館。

Img_1833掛川城公園の「はす池」越しに臨む大日本報徳社。

Img_1811 二宮尊徳像。

54図は16時30分頃の局面。
形勢を問われた郷田九段は「激しい攻め合いになっていますが、専門的に見ると後手の1手勝ちがかなりはっきりしているように思います。先手が粘る順も、いまのところちょっとわかりません」と語り、明確に後手優勢と判断しています。

Img_1838 控室で将棋プレミアムの生中継の取材を受ける郷田九段(右)。神谷八段(中)、中尾五段(左)も後手優勢と見ている。

また、Twitter解説の井出四段も「後手やや優勢」から「後手優勢」に形勢判断を進めています。

■Twitter解説■
井出隼平四段>(△2八歩に)これが筋ですか。▲2八同玉は△2六歩が詰めろで攻めが速くなってしまいそうです。後手玉に迫るには▲5二銀ですが銀を渡すと△2九歩成が詰めろになっているかもしれません。(後手優勢)

【16時40分追記】

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久保王将は△2八歩に▲2四成銀としました。以下△2九歩成なら▲2五成銀と根元の桂を取る狙いです。「なるほど、桂を取れば上部脱出の望みが出てきますか。さすがに簡単には終わらないですね」と郷田九段。

Img_1724 苦しい局面に追い込まれた久保王将。さばきのアーティストの名が知られているが、苦しい時の粘りの技術にも定評がある。

掛川城を中心とする敷地一帯は掛川城公園として市民の憩いの場になっています。

Img_1646 公園入口から掛川城を臨む。

Img_1649_2 上の写真の右手が二の丸御殿。

Img_1641 近年発掘されて復元された三ヶ月堀。

Img_1639 お城側から見た二の丸御殿。

Img_1638 対局が行われている茶室は掛川城の直下にある。

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図は15時20分頃の局面。
「▲2三歩を打ったら、もうタダでは済まないです。これは封じ手までに相当の局面まで進みそうですよ」(神谷八段)

Img_1794 控室には掛川市立中央図書館での将棋指導と講座の仕事を終えた中尾敏之五段(右)が来訪し、神谷八段と検討している。

15時を回り、対局者に午後のおやつが運ばれました。午前中は飲み物だけだった久保王将、午後は「モンブラン」と「アイスコーヒー」を注文しました。反対に午前中にフルーツ盛り合わせを注文した豊島八段は、午後は「フレッシュジュース(苺)」のみです。

Img_1786 モンブランとアイスコーヒー。

Img_1789 掛川産イチゴ(紅ほっぺ)100%のフレッシュジュース。

34△4五銀の仕掛け以降、後手にとって難しい局面が続くと検討されていましたが、図の△4四銀が好手と評判です。一見すると相手からの▲4四銀を防いだだけで、後手を引いて面白くないようですが……。

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その後、△2五歩▲3七銀△3五歩と進んでみると打った銀が働いています。
郷田九段は「こうなってみると、先手があまりうまくいってない感じがしますね」との見解を示して、大盤解説会場に向かいました。

Img_1747 △4四銀の好手を見せた豊島八段。ここからペースをつかめるか。

13時から現地大盤解説会が始まっています。

Img_1781 解説会は報徳思想の総本山、大日本報徳社で行われている。

Img_1784二宮金次郎像。

Img_1778 初日から多くの人が来訪している。掛川の将棋熱の高さがうかがえる。

Img_1776 解説は静岡出身の神谷八段が担当。立会人の郷田九段もゲスト出演を予定している。

Img_1779_2 大盤の後ろには報徳の教えの書画がかけられている。
報徳の教え(現代文)は以下の通り。

父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
吾身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食住の三にあり
衣食住の三は田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年々歳々報徳を忘るべからず

掛川市は静岡県西部に位置する都市で、人口はおよそ12万人(2017年11月現在)。東海道の主要な宿場町として古くから栄えました。街のシンボルともいえる掛川城は、室町時代に今川氏が家臣の朝比奈氏に銘じて築城され、さらに戦国時代に豊臣秀吉の直臣、山内一豊が城主となったあと、天守閣や大手門が建立されました。それにより、城下町としても大きく発展を遂げて現在に至ります。

Img_1687 掛川駅は東海道新幹線が停車する大きな駅だが、掛川城側の北口は城の景観に合わせてレトロな木造になっている。

Img_1684 駅前にある二宮金次郎の像。
二宮金次郎(金次郎は通称・幼名は金治郎)はのちの二宮尊徳で、掛川に根付く報徳の教え(いろいろなものの恩徳に感謝しながら生活する思想)を広めた。掛川には報徳思想を受け継ぐ大日本報徳社があり、二宮尊徳の残した報徳の教えは、掛川市民に広く根付いているという。

Img_1677 掛川駅から掛川城に向かう途中に、本局の協賛をする掛川信用金庫がある。こちらも、城の景観に合わせたレトロな作りだ。

Img_1675 掛川信用金庫を過ぎると、すぐに掛川城の大手門が見えてくる。

Img_1651_2 掛川城の前を流れる逆川。川岸の崖が欠けるように崩れる様から、欠け川(懸け川とも)と呼ばれ、そこから掛川の地名がつけられたと考えられている。掛川城の天然の堀の役割も担っていた。

Img_1657 今日は天気がよく、鴨の一家が気持ちよさそうに泳いでいた。

Img_1720 先に対局室に戻った久保王将は棋譜を手に取った。

Img_1737 少しして豊島八段も対局室へ。

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Img_1750 郷田九段が再開を告げる。

Img_1754 再開してすぐに久保王将が▲4五同銀を着手。

Img_1760 豊島八段はすぐに△同歩と取った。

33再開から▲4五同銀△同歩▲3三角成△同桂まではすぐに進み、そこから久保王将は3分で▲6六角と打ちました。