2021年1月

2021年1月10日 (日)

掛川城は今川氏の臣下にあった朝比奈氏が築いたと伝わります。1513年ごろに現在の拠点に移り、明治期の1869年に廃城となりました。天守閣は廃城前に地震で崩れましたが、1994年に市民や地元企業からの募金より木造で再建されました。現在は掛川城公園として一般公開され、掛川市のシンボルともいえる場所です。二の丸茶室は同公園内にある数寄屋造りの建物で、一般の方も利用できます。

【掛川城】
http://kakegawajo.com/

Dsc_2577(掛川城は城山の上にあり、天守台までは急な階段が続く)

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Dsc_2598(天守台から市街をのぞむ)

Dsc_2631(明日は成人の日。晴れ着姿の若者をよく見かけた)

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大日本報徳社は、報徳思想を伝える公益社団法人です。掛川城の近くにいくつもの施設があります。前期までは大講堂が大盤解説会場になっていました。今期は仰徳記念館が関係者控室として利用されています。大講堂は国重要文化財、その他の施設の多くは静岡県指定有形文化財です。

【大日本報徳社 施設紹介】
https://www.houtokusya.com/施設利用/施設紹介/

Dsc_2110(大講堂)

Dsc_2113(仰徳学寮)

Dsc_2114(冀北学舎)

Dsc_1795(仰徳記念館)

Dsc_2116(淡山翁記念報徳図書館)

掛川市は静岡県西部の都市。掛川城の城下町として、また東海道の掛川宿として栄えてきました。特産品は、掛川茶、バラ、メロン、イチゴなど。二宮尊徳(幼名=金次郎・金治郎)の唱えた報徳思想と縁がふかい土地でもあります。掛川信用組合(のちの島田掛川信用金庫)の創業者である岡田良一郎氏がその普及に努めました。市のキャラクターである「茶のみやきんじろう」は、掛川茶と二宮尊徳に由来します。

掛川市での王将戦開催は第59期から12期連続、第1局開催は第61期から10期連続となります。年明け最初のタイトル戦は掛川市で恒例になりました。長年にわたり、市を挙げて王将戦に協力していただいています。

【第366回 掛川に根づいた「報徳の教え」|掛川市】
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/9437.html
【岡田良一郎 その1~2|掛川市】
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/7489.html
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/7490.html
【掛川市公式キャラクター「茶のみやきんじろう」|掛川市】
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/7756.html

Dsc_1407(JR掛川駅南口)

Dsc_1424(同駅北口)

Dsc_1422(駅の売店には、お茶やイチゴが並ぶ)

Dsc_1428(同駅近くの二宮金次郎像)

Dsc_1460(掛川城近くの街路には、のぼり旗が立ち並ぶ。写真はすべて昨日撮影)

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図の▲6七桂で前例(▲2八角)を離れました。27分の考慮で指されています。対して永瀬王座は2分で△6四金。自然な受けとはいえ、永瀬王座はまだ想定内の進行なのかもしれません。


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Dsc_2483(12時30分から大盤解説が始まった。神谷八段が解説)

Dsc_2484(解説は掛川市立第一小学校の大盤解説会にリモートで配信される)

Dsc_2556(14時になり、森内九段に交代)

Dsc_2614(第一小学校)

Dsc_2618(体育館が会場。記念扇子や「王将戦70年のあゆみ」も販売されていた)

Dsc_2492(天守閣と二の丸茶室。日差しは暖かく、風は冷たい)

Dsc_2494(永瀬王座の盆には大量の飲み物。昼からひざ掛けのリクエストがあった)

Dsc_2495(渡辺王将側にもカイロとひざ掛けが用意された)

Dsc_2498(対局室から見える景色)

Dsc_2509(永瀬王座が先に戻った)

Dsc_2533(渡辺王将が戻り、対局再開)

Dsc_2535(再開してすぐに△4五同歩が指された)