平安時代末期の武将・那須与一は、現在の那須郡那珂川町で生まれたとされる。元暦2年(1185年)2月、屋島に陣を構える平氏との戦いにおいて、扇の的を射落としたエピソードはあまりにも有名。
「与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。 小兵といふぢやう、十二束三伏、弓はつよし、浦響くほど長鳴りして、 あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。 かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。 しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、 沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、 えびらをたたいてどよめきけり」(『平家物語』より)
道の駅・那須与一の郷は、さまざまな施設を集めた道路施設。施設の屋根が扇型という点が大きな特徴だ。「那須与一伝承館」では、与一や那須氏に関する資料を見ることができる。
「与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。 小兵といふぢやう、十二束三伏、弓はつよし、浦響くほど長鳴りして、 あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。 かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。 しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、 沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、 えびらをたたいてどよめきけり」(『平家物語』より)
道の駅・那須与一の郷は、さまざまな施設を集めた道路施設。施設の屋根が扇型という点が大きな特徴だ。「那須与一伝承館」では、与一や那須氏に関する資料を見ることができる。