2025年7月16日 (水)

有馬温泉は多くの偉人に愛された地でもあります。奈良時代の高僧・行基は、荒廃していた有馬温泉を薬師如来のお告げにより再興し、温泉寺や施薬院を建立したと伝えられています。その功績から有馬温泉の三恩人(仁西、豊臣秀吉)のひとりとしていまなお、敬われています。

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0008(法然上人も有馬温泉を訪れて説法を行い、特に極楽寺では中興の祖とされる)

Img_9603(ねねの像。豊臣秀吉の正妻として知られる)
Img_9623(ねねの視線の先には秀吉像)

20250715103局面は終盤戦に突入しました。上図は歩を突き出し、△2四同歩は▲2三銀が飛車金両取り。△2四同金も▲4二銀から▲3三銀不成があります。後手は歩を放置して△7五桂で攻め合いを志向しました。以下▲2三歩成には△6六銀が妙手。▲同歩△6七銀▲5九玉に△8七桂成が詰めろになります。実戦は△7五桂以下▲7七金△8八銀▲7八金△8七銀と進んで下図。

20250715108にわかに流れが激しくなりました。検討陣は「永瀬九段が勝負を懸けたように見えます。優劣は不明ですが、決着はつきそうです」と見解を示しました。

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極楽寺は、594年に聖徳太子が創建したと伝わる有馬最古の寺院。阿弥陀如来坐像を本尊とする浄土宗の古刹です。平安末期の洪水で荒廃しましたが、1191年に仁西上人によって再興されました。
念仏寺は、1538年に岌誉上人によって創建され、後に豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の別邸跡に移転した浄土宗の寺院です。本堂は有馬温泉郷最古の建築物とされ、阿弥陀如来立像を本尊としています。
源泉天神(天神泉源)は、有馬温泉街にある七つの主な源泉のひとつ。菅原道真をまつる天神社の境内に湧く代表的な金泉の泉源です。地下206メートルから毎分28リットル、98.2度の高温で湧出しており、鉄分と塩分を多く含む金泉の中心的な存在です。天神社は平安時代に北野天満宮の分霊を勧請して創建された歴史ある神社で、天神泉源は有馬温泉の歴史と信仰の中心地となっています

0006(極楽寺)

0007(念仏寺)

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有馬温泉周辺には多くの神社が建立されています。有馬温泉の中心に鎮座する湯泉神社は、有馬の氏神・温泉守護神として長い歴史を誇る神社です。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、熊野久須美命(くまのくすみのみこと)の三柱で、有馬温泉の発見や発展に深く関わったと伝えられています。特に、子宝や子授けのご利益があることで全国から多くの参拝者が訪れ、温泉の安全や繁栄を祈願する「入初式」など伝統行事も受け継がれています。また、社殿には三羽のカラスの彫刻が施され、有馬温泉の起源を物語っています。湯泉神社は有馬温泉街の高台に位置し、周辺の散策とともに歴史や文化を感じられる場所です。

0002(行基が建立した温泉寺。本尊は薬師如来で近畿圏では最大のもの)

0003(湯泉神社)

0004(長い階段を登らないと、本堂にはたどり着かない)

202507159315時を回って局面は勝負どころを迎えています。上図は▲5五同銀と歩を取って飛車に当てた局面です。船江七段は飛車を逃げずに△5六歩を候補に挙げました。▲同歩で先手玉のコビンをこじ開けておけば、将来△4六角や△5七銀▲同玉△6五桂の筋で、先手玉に迫りやすくなります。
2手前の△5五歩に1時間18分を費やした永瀬九段、上図で再び考慮に沈んでいます。

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