第54期王位戦七番勝負第2局 Feed

2013年7月23日 (火)

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第2局は羽生王位が△5三銀(上図)と指し、急戦矢倉になりました。
前手の▲7七銀(17手目)に呼応した動きで、先手が角のラインを自ら止めているので中央から戦いを起こして手になるとみています。前日のインタビューで語っていたように、羽生王位は積極的に踏み込んでいきました。
もっとも、先手もそれは望むところ。井上九段によると先手はあえて▲7七銀と指し、急戦を誘っていたようです。午前中から早速駒がぶつかって下図。午後からは緊迫感のある局面が続きそうです。

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17_3 (観戦記者の諏訪景子さんに序盤の解説をする小阪七段)

(若葉)

9_1 (中の坊瑞苑は有馬温泉でも有数の老舗旅館。古くは江戸時代から宿屋を営み、明治元年に「中の坊旅館」として創業した。館内は伝統を感じさせつつもモダンで落ち着いた雰囲気。2011年3月にリニューアルされた)

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(若葉)

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有馬温泉の守護神「湯泉神社」の縁起によると、「日本三古湯」と呼ばれる有馬の泉源を最初に発見したのは大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったとされています。有馬が世間に名を知られるようになったのは第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃からで、両天皇の度重なる行幸により関西の奥座敷として一躍有名になったと言われています。

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平安時代に入ると各種の文献にも有馬の名は散見されるようになり、多くの文人や天皇、また重臣たちも有馬を訪れていたことがうかがわれます。清少納言も枕草子の中で「出湯は、ななくりの湯、有馬の湯、那須の湯、つかさの湯、ともに湯」と書いています。有馬温泉は日本でも屈指の名湯として、当時から高い評価を得ていたことがわかります。

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有馬温泉の現在の基盤を築いたのは豊臣秀吉で、1597年から大規模な改修工事を行いました。その理由は前年に起こった慶長伏見地震の影響で温泉の温度が急上昇して熱湯になってしまったからで、有馬温泉の湯治効果を重要視していた秀吉は泉源の工事に着手することとなりました。以来350年間、有馬は泉源の工事を一度も行っていないそうです。

※ 参考: 有馬温泉観光協会公式ホームページ

8_5 (現在の有馬温泉の基盤を築いた「太閤」豊臣秀吉)

8_4 (有馬を愛し、度々足を運んだとされる秀吉の正室「ねね」)

(若葉)

対局開始を見届けた関係者が続々と控室に戻ってきました。
局面が序盤ということもあってリラックスムードです。

16_1 (立会人の大役を終えて一息つく井上九段。控室に戻ると牛蒡記者の中継コメントに興味津々)

16_2 (そして継ぎ盤を取り出すと、携帯を片手に昨日行われた中継局をチェックする。小阪七段、東七段も加わる)

(若葉)

<主催社サイト>
神戸新聞ホームページでは、動画や写真を通して対局の模様が中継されています。本中継サイトと併せてお楽しみください。

<現地大盤解説会>
なし

<その他解説会>
「第54期王位戦第2局 ミニ解説会」
 場所: 東京・将棋会館2階道場
 日時: 2013年7月24日(水) 16:00~
 詳細: 将棋連盟道場ブログをご覧ください。

<ニコニコ生放送>
なし

(若葉)