第72期王将戦七番勝負第1局 Feed

2023年1月 9日 (月)

掛川城から掛川駅北口は一本道。片道で徒歩10分程度です。城と駅の中間のところを東海道が横切ります。
掛川駅はJR東海と天竜浜名湖鉄道の駅です。

Dsc_3349 (JR駅の北口)

Dsc_3334002 (北口と南口で趣が異なる。掛川は徳川家康が掛川城の今川氏真を攻めたり、掛川市内の高天神城で家康と武田勝頼が戦ったりと、家康と掛川は縁が深い)

Dsc_3358 (天竜浜名湖鉄道の掛川駅)

Dsc_3361001 (券売機前の隣に、昨年の王将戦掛川対局の勝利者記念写真が飾られていた
【藤井竜王 勝者のコスプレ初体験!さすがの読み「動物か鉄道」幼少期の憧れ車掌制服姿で笑顔― スポニチ Sponichi Annex 芸能】
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/12/kiji/20220112s000413F2077000c.html

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上の図は56手目△7四歩の局面。ここから▲6五歩△7三銀▲6四歩△同銀▲6六桂と進んで下の図になりました。6六の駒が歩から桂に変わっています。これで▲7四桂を狙って攻めを継続しようというのが、藤井王将の考えです。上の図は△7四歩と打ったところですが、これは▲7四桂を受けたもの。▲7四桂が実現すると、先手よしと両者が認識していることがわかります。
詰将棋で盤上の置き駒を変えて局面を動かす作品はありますが、指し将棋では珍しい手筋です。特に守り駒の6六の歩を捨てて積極的です。
▲6六桂に△7三銀なら▲7七桂から▲6五桂が一案。うさぎのように桂が飛び跳ねます。 先手は桂を据えて攻めを厚くしましたが、逆に△6六桂の両金取りを食うと、一気に薄くなるため注意が必要です。



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Dsc_4439 (考える藤井王将)

1590年に山内一豊が掛川城を拡張した際に造成された郭の区画です。現在の建物は明治時代のもので、のちに掛川市に寄贈されました。

【竹の丸 - 掛川市観光サイト】
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/spot-list/takenomaru.html

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Dsc_4404 (館内で第63期と第65期の王将戦の記念揮毫が展示されていた)

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Dsc_4421001 (13時25分ごろ、羽生九段が対局室に戻ってきた)

Dsc_4441 (13時26分ごろに対局室に入った藤井王将は、棋譜用紙をのぞき込む。消費時間や指し手の流れを確認できる)

Dsc_4461 (対局再開から数十秒間を置いてから△7六歩と取り込んだ)

Dsc_4468 (藤井王将はすぐに▲7六同銀と応じる)

昼食は、藤井王将は「しあわせの青い玉子のオムライス 掛川牛シチューソース」(サラダ、スープ付)。羽生九段は「うな重」でした。

Dsc_4366 (藤井王将の昼食。掛川産の”しあわせの青い玉子”のふわとろオムライスに掛川牛を使ったビーフシチューを添えた)

Dsc_4366_2 (ビーフシチュー)

Dsc_4347 (羽生九段の昼食)

Dsc_4356 (浜名湖産のうなぎを蒸して、ふっくらと柔らかく焼き上げた)

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図の53手目▲2一銀成の局面で羽生九段が43分使って昼食休憩に入りました。消費時間は▲藤井5時間9分、△羽生5時間48分。対局は13時30分再開です。
図では先手から▲7四桂と打つ手が、8二飛取りだけでなく、△6二玉から逃げ出す道をふさぐ大きな手です。△7六歩▲同銀△7四歩や△7三銀で▲7四桂を防ぐ手が検討されています。

掛川は城下町として、宿場町として栄えました。

Dsc_3898 (掛川城大手門。天守閣に続いて、1995年に再建された)

Dsc_3892 (根固め石)

Dsc_3924 (円満寺にある掛川城蕗(ふき)の門。明治時代に廃城後に移転したもの)

Dsc_3932 (本堂に山内一豊の位牌が安置されている)

Dsc_3907 (清水銀行掛川支店にある彫刻。山内一豊と夫人の千代。「内助の功」の様子を表現している。一豊は掛川で徳川家康を迎えたときにお茶でもてなしたとのこと)
山内一豊と千代 - 掛川市
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/8449.html
【山内一豊ゆかりの史跡 - 掛川市】
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/8450.html