豊橋公園内、石垣に沿って入っていくと吉田城跡の本丸に出ます。かつては中央に将軍上洛時の御殿があったと伝わりますが、いまや四隅にあった櫓のうち、復元された鉄櫓(くろがねやぐら)しか残っていません。鉄櫓は天守とは呼ばれませんでしたが、実質的な天守だったと見られています。
(吉田城跡の本丸から高さ15メートルの鉄櫓を望む)
吉田城は当初は今橋城として1505(永正2)年に築城され、東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将が攻防を繰り返した歴史を持ちます。その後、1590(天正18)年に豊臣秀吉は仕えていた池田輝政を15万2千石の大名として吉田城に国替えし、池田輝政は城地を拡張し、城郭を大改修しました。いま残る鉄櫓は無料で開放され、見学できます。










昼食休憩明けの△3九馬に対し、控室では当初、▲5三角△3三玉▲4四桂△4三金▲3二銀と寄せにいく順が検討されました。しかし、△5三金▲同と△3五歩(変化1図)で、寄せが発見されていません。
以下、▲4三と△3四玉▲2六金には△4六銀打(変化2図)がしっかりとした受けになり、先手も手順中のどこかで▲4九金打や▲4九歩など、受けに回らざるをえないのではないかと見られています。













この先、終局まで休憩はありません。


